更新 2015.03.05(作成 2015.03.05)
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第7章 新生 53.あんたが言うなら
平田は新田の考えを坂本に話し、年金化を考えていることを説明した。
「それは大事なことやね。みんなバカばっかりやからね、いきなり大金を握って人生を狂わせる奴は結構いると思うよ」
「そうかねぇ」
平田はあいまいに答え、坂本が新田と同じことを言うのでやはり可笑しかった。
「そうよ、ヒーさん。それは是非考えてやってください。俺からも頼むよ」
坂本は本気の顔だった。
「そう。そりゃまあやるけどできるかどうか全く見当もつかんのよ」
坂本にまで要求されて平田はもう一度、本気で取り組む覚悟を決め直した。
「うん。それから、ネーミングだけど、前に自立支援制度に名前を変えるとか言っとらんかったかね」
坂本は年金化の手法については、そこは会社が考えることと割り切っているようで、平田が悩んでいることも意に介さずあっさりと話を転じた。
「うん。考え方はその通りなんだけど『セカンドライフ支援制度』が会社の肩たたきじゃなく、あくまでも社員の自主申告制度として浸透定着しとるやろ。それをわざわざ自立支援制度なんて変えてみてもわざとらしくなって、かえって藪蛇になるような気がする。痛くもない腹を探られるよりせっかく根付いているものはそのまま生かしたほうがいいと思ったんよ」
「なるほどね。わかった。それはそれでいいやろ。しかし、会社は絶対肩たたきはせんやろうね。絶対しちゃいけんよ」
「それは絶対にないと思う。ただ役員の中に、勇み足のようになってひょっとしたら危なっかしい行動をする人がいるかもしれません。社員が会社を見限るように会社も見限る社員がいるんですよ。会社というのは役員そのものですからね」
「それをやったら社員と会社の関係は完全に不信と憎しみの連鎖に陥りますよ。組合としても、あくまでも自主選択制度だからこそ敢えて容喙を控えているんですからね。もしリストラ的働きかけが少しでもあれば組合としては看過するわけにはいかんようになって、何らかの対応を取らざるを得なくなります」
「うん。わかってる」
平田はかって、組合の副委員長を経験してきただけに坂本の言うことはよくわかった。雇用の確保は組合の最後の砦だ。
「それでやね、セカンドライフ受付開始に合わせて組合のほうで『セカンドライフ支援制度相談室』を立ち上げんかね。立ち上げるだけでいいんです。組合も十分関心を持っているよ、おかしな行動には監視していますよ、との牽制があれば会社も意識すると思うんよ。本物の相談もあるやろうから、それはそれで乗ってあげればいいやろ」
「うん。それは俺も考えていたんよ。わかった。やりましょう」
いかに自主的申告制度といっても、紙一重の際どい制度だ。そこはやはりお互い神経がピリピリした。
「ところでヒーさん。この退職金制度はあんた本当にこれでいいと思うかね」
坂本は居住まいを正し、テーブルの上の資料を手で押さえつけて改めて本音を探るようにポンと投げかけてきた。
平田は一瞬、「ウン?」と目を見張った。ここまで、順調に話が通ってきただけに、自分は坂本の反応を誤認したかと今日の会合を反芻したが、思い当たらない。
ならば、ここは躊躇ってはいけない。信じればこそ提案しているのだ。
「うん。いいと思う。これしかないよ」
きっぱりと言い切った。
緊迫の一瞬だ。
ややあって、坂本が決断した。
「わかりました。ヒーさん。あんたがそう言うなら信じましょう。本当にこれでいいんやね」
「いい。これしかない」
平田は同じことを繰り返した。
「わかりました。これでいきましょう。しかし、ヒーさん。俺はあんたが言うから信じるんやからね」
「ありがとうございます」
平田は頭を下げた。
“これはすごいことだ。1600名の社員の運命を俺に託してくれたのだ。俺を信じてくれている”平田は身震いをした。
もちろん、こんなことは根回しの域を出ない。正式には団交という形式の上で、新田と坂本が合意という意思表示をし、握手をし、合意書にサインして初めて合意形成がなされたことになる。
いずれその時期が来るとしても、今は二人きりでその方向性を決めたのだ。責任の重さに身が引き締まった。できることならこの場から逃げ出したいくらいだ。
「正直言うてね、ヒーさん。賛成や反対をいう事は簡単や。じゃがね、ここまで切り詰めなければいけないかどうか、年金を維持するのが難しいのかどうか、そしてこの水準でいいのかどうかなんて俺たちには正直判断できんのよ」
平田は黙ってうなずいた。1300名の組合組織を預かる坂本の正直な本音だろう。たった今、自分だってこの場から逃げ出したい気持ちになっていたばかりだ。
「それでも、どこかで決断せにゃいけません。そのとき何を信じ、何を頼りにするかよ。世間ではヒーさんのことをいろいろ言う奴もいるけど、俺には、一途に制度に打ち込むヒーさんが一番信じるに足ると思っている。本当にいいよね、これで」
「いい。正直、俺もこの場から逃げ出したいくらい責任の重さを感じている。決断するって……」
後はどんな言葉にしたらいいのかわからなかった。
「社長らの気持ちがようわかるよ」
そう言って言葉を切った。
「それでヒーさん、この制度全体を組合の役員にレクチャーしてくれんやろか。執行委員、ブロック役員までやね。直前にいきなり聞いてもよく理解せんやろうし、少しずつでも馴染んでほしいのよ」
「いいよ。いつでも設定してください。むしろこっちからお願いしたいくらいです」
平田は坂本のほうから提案してくれたことがありがたかった。
「うん。お願いします。また連絡します」