更新 2013.10.15(作成 2013.10.15)
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第7章 新生 3.運命
久富は、「いいですよ。仕事で行けないときもあるかもしれませんが、自分もいつそういうことが起きるかわかりませんからできることはお手伝いします」と、快く引き受けてくれた。病院がすぐ近くなのも幸いした。
「室長には俺のほうからもお願いしておくから。それじゃ頼むよ」
と、双方の連絡の仕方を確認した。
これが普通の人間の考え方だろう。
自分の都合だけを優先した仕事振りでいい仕事ができるわけがない。いつか躓くだろう、と平田は三村が気の毒に思われた。
それから10カ月。久富は月に1度、多い時で2度くらいのペースで献血に呼び出された。こういう役割は一旦引き受けると後には引けない重い仕事だ。
平田も、久富の負担になってはいないかと気になり、時々は久富を訪ねて様子を聞いていた。
「お前が参ってしまっては意味がないからな」と気をかけ、なにか旨いものが手に入ったときなどは、お裾分けを持っていってやったりした。
献血を始めて4カ月が過ぎたころである。他部署の人間が人事に顔を出すことなど滅多にないのだが、久富が8階に上がってきて平田を廊下に連れ出した。
「どうした。なにかあったか」
「はい、実は石田さんの旦那さんがさっき来られて『お礼の気持ちです』とこれを置いていかれたんですよ」
そう言いながら久富は封筒の中身を平田に見せた。
久富は献血のたびに奥さんと顔を合わせており、石田さんといえば奥さん本人を指すのであろう。石田さんの旦那さんという言い方をした。
封筒の中には5万円が入っていた。
「僕はこんなつもりで協力しているんじゃないんですが、どうしたらいいですかね」
久富は困惑していた。
「それはもらってやってくれんかのう。お前がそんな気持ちで引き受けたんじゃないことはようわかっているが、旦那さんはお前の気持ちが嬉しかったんよ。金額で計ることはできないけど、そうせずにおれない気持ちなんよ。もらってあげることで救われると思うよ」
平田は少し考えてそう言ってやった。
「なんだか“みかじめ料”みたいになって、お前を縛り付けるようで苦しいかもしれんが、藁にもすがる気持ちなんよ。もらってやってくれ」
それから一進一退を繰り返しながら10カ月が過ぎた。
最後となった10月は容態が悪化し、この月だけで3度の献血に呼ばれた。
運命とは時に残酷な顔を見せる。家族や周りの懸命の祈りも甲斐なく、奥さんの命を奪い去った。
だが、久富の献身的献血は奥さんの命を何カ月間か生きながらえさせ、支え続けたことに変わりない。その間、家族の深い絆と多くの貴重な思い出を残したことは事実である。
平田は労をねぎらうため久富を訪ね、感謝の気持ちを伝えた。
葬儀から数日が過ぎ、家のことや葬儀の後始末などを片付けた石田が、お世話になった人々へのお礼回りにと久富と平田のところに訪ねてきた。そして前回と同じ金額を今度は平田にも置いていった。
平田はなにもしていない。もらう資格などなかったが、平田が断わると久富がもらいにくかろうと思い、受領することにした。
その代わりではないが、平田はお返しとして四十九日の法要に合わせてご仏前に久富との連名にして花輪を送っておいた。
石田と、平田や久富との恩義のやり取りは形の上ではこれで一旦区切りがついたことになる。
だがそれとは逆に、平田にはそれだけでは済まないものがある。快く引き受けてくれた久富になにか報いてやらなければならないオブリゲーションが残っているような気がしてならない。
幸い、中国食品には社会貢献活動表彰制度がある。数年前樋口がこさえたものだ。ボランティアや人命救助など社会に貢献した社員を、年末の役職会議の席で表彰するものだ。これには周りの誰かの推薦がいる。
今はちょうどその時期であり、平田は迷わず久富を推挙した。
この制度の事務局は人事部にある。人事課長が現場から上がってきた推薦を審議案件にまとめ、推薦状を添えて審議委員会に付議するのである。
今回の件は、過去の事例から判断して表彰に受かるかどうかのギリギリの当落線上にある。なんとしても表彰したい平田は、合格するためには審査員の心情に強烈に訴えるしかないと考え、推薦状の文体を思いっきりセンセーショナルに、扇情的筆致で書き上げた。
一通りの顛末を記述した後、末尾にこう書き添えた。
「人知れず人命と向き合うひた向きさ、何時呼び出されるかもわからない不安、後には引けない責任の重大さ、いつまで続くかもわからない重圧、それらを乗り越えて支え続けた献身的努力と勇気と優しさこそ本制度の精神に合致するものであります。相手の方はわが社にどれだけ感謝されたことでありましょう。強力なファンになっていただいたことは疑いの余地がありません。是非彼を称えていただきたいと思い、推挙するものであります」
案の定、審査会では「この程度では……」との反論が出た。だが、「平田が推挙するんだから」と新田が強力に後押ししてくれたこともあり、なんとか表彰が決まった。久富は役職者会議で栄誉に浴した。
久富の恩義になんとか報いることができた平田は、果たさねばならない義務から解放されなんとなく胸が軽くなった。
久富が1人であったことも奇特さを際立たせることになり、審査会では有利に働いた。平田は、自分の要請を断わった三村を見返してやったような気分になったがそれは邪まである。
石田夫妻にしてみれば1人より2人のほうが心強いに違いないではないか。素直に悲しむべきである。
久富に報いたいばかりにそんな本末転倒の思い違いをした自分が可笑しかった。
平田が私情を人事の制度に持ち込んだのは、これが最初で最後である。