更新 2014.04.25(作成 2014.04.25)
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第7章 新生 22.リセット
「おはようございます」
椿はまず全員にあいさつした。めいめいこもごもに返すが、温度差は随分とある。相手の顔を見て元気に返す者もいれば、テーブルに視線を落としたまま条件反射のようにつぶやく者などもいる。日に当たっている者と日陰にいる者の差だ。
「今日は年間目標の中間チェックの確認です。個別面談は後日行いますので、今日は状況確認だけしたいと思います」
みんなも何度も経験してきたプロセスであるだけに「うん」「うん」とうなずきながら聞いている。
「それじゃ、最初は厚生課長から、その次に人材開発、人事課、最後にヒーさんと行きましょうか」
椿なりの計算があっての順番なのだろうが、特に異論も疑問もない。進捗確認だ。主任や係長については確認しない。彼らは課長が面談するし彼らの目標は課長の目標に包含されている。あくまでも参考までにオブザーバーとして出席しているだけで、OJTの意味も含んでの参加だ。
それぞれの課長は、頻りに順調に行っていることをアピールしている。
「大丈夫です。今のところ特に問題はありません」
これが決まり文句で発表を終わる。
「それじゃ、最後ヒーさんお願いします」
椿は、流れに乗って平田に振ってきた。
“そうか、これが狙いだったのか”平田は自分を最後に回した理由が呑み込めた。何かの切っ掛けや流れがないと振りにくかっただけなのだ。
ただ平田には、そんなこといちいちが神経に障るようでしかたがない。病んでる者の習癖だ。
平田は殊更平静を繕って何も問題がないと不愛想に報告した。
「部長のご意向どおりに進んでいまして、今のところ何の問題もありません。ただし、目標の遅延は方針変更ですから評価的にはニュートラルになりますよね」
相当、当てつけがましく念を押すように言葉尻を閉じた。
敢えて「部長のご意向どおり」と被せた意味など理解しない課長連中は、平田の進捗遅れをあげつらいたくてしょうがない。
「しかし、関係会社の制度整備とか、退職金とか問題があるんじゃないんですか」
早速、人事課長の柴田が首を突っ込んできた。
「何か問題がありますか」平田は、しれっとして受け流した。
「全然進んでいないのと違いますか」
他の課長も同調してうなずいている。係長や主任クラスは、どっちにも組したくないから戸惑い顔で事の成り行きを見守っている。
「部長がするなってストップ掛けられているから止めてるだけで、何も問題はないでしょう」
「しかし、会社としてそれでいいんですか。問題があるでしょう」
それが正しい考えだ。平田への面当てで言い始めたことだが、それが正論なのだ。
「そりゃー、会社としては大問題ですがそれが人事部の方針になったのですからしょうがないでしょう」言い訳がましく弁明した。
だが、議論は完全に正論にすり替わった。
「いや、まあそのことだけど……」
椿は、一番信頼している人事課長の柴田にまで問題だと指摘されて、自分の判断ミスでこれ以上会議を紛糾させたくなかった。ここは、ミスはミスとして収めてすんなり先に進めたかった。
「初めはヒーさんに負荷をかけまいと思っていたんですが、そうとばかりも言っておられないんで、今までどおりやってくれませんか」
椿は精いっぱいの譲歩を表したつもりだ。
「しかし、私がやればおかしなことになると仰ったじゃないですか。負荷を掛ける掛けないは他の人にやってもらえばいいことで、おかしなことになるのは解決したんでしょうか」
健康な精神状態ならば「あっ、そうですか」と大人の対応をするのだろうが、今の平田には素直に受け入れられない。理性とかけ離れたところで殻に閉じこもろうとする精神がわざとダダをこねて見せる。
椿は痛いところを突かれて顔を歪めた。
「うん。まあ、そういうふうに言ってくる者もいるもんで、どうかなと思っていたんですよ」
要は他人が言うからであって、自分で良い悪いの判断はできないと言っているようなものだ。殊更人間関係に頼って生きている者は他人の意見に流される。
「じゃあ、おかしなことになってもいいんですね」
「いやいや、おかしくない」椿が訂正した。
これで決着がついた、と誰もが思いきや、追い打ちをかけるように平田は言わずもがなのことを口から発した。
「それから、関係会社をバカにするなと言われてましたけど、そこはどう解決されるんですか」
よせばいいのに、とことん追いつめてしまうのが心の病んだ者の偏屈さだ。今まで抑圧されていたものを取り戻すかのように、行き着くところまで行かないと気が済まない。
「いや、関係会社からも手伝ってほしいと要請があったのでそういうことにはならないと思うので手伝ってやってくれませんか」
椿は咄嗟に嘘をついた。それ以外に言い逃れる術を思いつかなかった。
「そうですか。それじゃ、いいんですね」
平田もやっと矛を収めた。しかし、拗ねたふくれっ面はまだわだかまりを残したままである。
他の者もやれやれと胸を撫で下ろしているのがその表情に表れていた。しかし、言い過ぎであることは明らかだ。
これで平田と椿の関係は一応リセットされたのであるが、平田を怒らせたら厄介だというムードは一層強く印象付けられた。