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平田ネグレクト

更新 2014.01.24(作成 2014.01.24)

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第7章 新生 13.平田ネグレクト

1997年3月27日(木)中国食品(株)の株主総会は何の波乱もなく無事終了した。樋口、最後の総会である。
総会の1週間前には、業界紙の記者がスッパ抜こうと盛んにアプローチしてきたが、広報担当に完全にブロックされスクープに失敗している。
この総会で会長の樋口と社長の大西が引退し、代わりに竹之内が就任した。そして樋口と大西は、それぞれ非常勤の相談役と顧問に就いた。
総会後、間髪をおかず開かれた拡大取締役会で竹之内は社長に就任した。
竹之内は名実ともに社長になり、それまでと違って遠慮や重しがなくなり一回り大きくなったように見えた。
以前いた四天皇とよばれた三役のうち、残ったのは専務となった新田だけだ。あとの3人はそれぞれ関係会社の社長となって出て行った。
専務だった堀越は中国ベンディングオペレーション(株)へ。製造本部長で常務だった青野は日本冷機テック(株)へそれぞれ社長として移っていった。
新規事業の酒造事業会社“銀嶺”には川岸が就いた。
いろいろな憶測や衆目を集めていた処遇人事であるが、結局は至極順当な配置になった。
堀越はもともと営業が本業であり、中国ベンディングオペレーション(株)はいわば本業回帰のようなものである。
青野も製造出身の技術屋であり、日本冷機テック(株)への就任は昔取った杵柄だ。
問題の酒造事業は並みの腕力では到底成功はおぼつかない。粘り強く、額に汗し、ヘドロを吐いてでも、地面にへばりついてでも前に進む野武士のような猛々しさがなければ務まらない。若さといい、バイタリティといい、川岸は最適任者で、それもまた比類なき人選だった。
この人選に樋口も、竹之内も、坂本も迷うことなく川岸に白羽の矢を立てている。
四天皇のうち残ったのは新田だけで、専務取締役管理本部長となった。
ギラギラした野心を一番表面に表さなかった新田が結局最後まで残った。
サラリーマン役員が生き残るには、権力に対して全く野心を見せず無害を貫き、警戒心を抱かせないか、はたまた誠心誠意忠誠を誓い権力と心中覚悟で追従するかである。一番いいのは、いかなる権力にもなびかず、自らの信念に基づきひたすら精進に努め実力を磨くことだろう。
新田は東京の某有名私立大学出であり、その辺の身の処し方はセンスがいい。中国食品のような、どちらかというと泥臭い人間関係が好まれる風土の田舎企業で、めずらしい存在である。
関係会社の株主総会と取締役会は翌日開かれ、それぞれ社長交代の手順が踏まれた。
こうした一連のトップ人事に連れてそれ以下の役員体制も大きく変わった。それが平田に新たな試練をもたらすことになる。
丸山は常務取締役に昇格し、青野の代わりに製造部本部長となった。
平田のこともよく理解してくれて、せっかくいい上司に巡り合えたと思っていた矢先である。丸山と離れるのは辛かった。肩の力がガクッと抜けるようだ。
「私も連れていってくださいよ」と言いたかったが、企画担当の自分が抜けるわけにはいかなかった。お前の企画ではダメだと排斥されるまで自ら逃げることはできない。それが全社への責任だ。逃げるには辞めるしかない。
丸山の代わりに人事部長となったのが椿保夫である。椿は営業部で販売促進部長をやっていたが、最近販売が伸びないのは人事政策が悪いためで営業マンがやる気をなくしたからであると、陰で人事批判を憚らなかった。挙句、「私にやらしてください」と竹之内に阿り、人事部長となったのである。さらに、大きく空いた役員席の数を埋めるように取締役になった。
この僅かな期間にすでにそれくらいの裏技をやりのけるいやらしさを持った寝技師である。
そんな経緯からして平田とは初めからソリが合わなかった。
だが、人事部批判をするだけで人事部長になれるほど簡単なものではないはずだ。彼なりのポリシーや信念をもっともらしく打ち上げたのだろう。
耳で聞くぶんには確証が残らないから少々の齟齬や矛盾が見過ごされる。聞きかじりでももっともらしく並べられると、それらしく思えるものだ。
問題はそれがどれほど練られてまとまった理念に磨き上げられているかである。そして命をかけてもいいほどの哲学に昇華させているかであろう。一心不乱に思い続け、考え抜いてそれでもこれだと両手に乗せて放り出せるほどのものになっていなければ、本物ではない。思いつき程度を吹聴するのは容易いことだ。それに騙されてはならない。ちょうど、新人事制度で不本意な処置に遭った管理職の不満も燻った。
しかし、それが1つの真理と言うならば、それはそれで貫けばいい。全社に向けて新たな理念を高らかに歌い上げ、それを具体的政策として提案していけばいいだけのことである。平田はどんなバッシングに遭おうともそれを貫き通してきた。
その平田に対する挑戦が始まった。
平田はどこまで本物かじっと見守るしかなかった。

椿の平田ネグレクトは歓迎会の飲みの席で早速始まった。
平田は椿の人となりを知らない。お互いを理解するため、といえば聞こえはいいが本音のところでは探りを入れるためといったほうが近い。平田はビールを片手に隣に進み「部長」と声を掛けた。
椿はたまたま若い女子社員とバカ話にふけっているところであり、それほど憚られるタイミングではないはずだ。平田に気が付けば、「よッ」とか、「おう」とか振り向くのが次に部長となる者の心がけではないのか。
だが、平田の呼びかけは無視された。
2、3度呼びかけたがやはり同じだった。
平田は、「あっ、そう」と胸の内で開き直り、椿との融和を諦めた。
しかし、これは序の口である。平田の新たな試練はここからだ。
糾える禍福の縄は、またしても捻れ始めた。

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