更新 2016.06.08(作成 2013.09.05)
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第6章 正気堂々 92. 今年最後の仕事
1996年12月20日(金)、年末役職者会議が平和大通りに面する全日空ホテルの一室で開催された。
年末の役職者会議は、次年度に向けての経営戦略や各部の運営方針を確認する場である。
社長を筆頭に本部長、部長と順次発表していくのであるが、部長自らが筆を執って発表論文を作ることは滅多にない。大概は最も信頼する部下に書かせ自分は校正するだけというのが大方のパターンである。ある意味、部長にどれだけ信頼されているかの試金石でもある。
ただ、社長時代の樋口や現社長の大西、それに常務の新田などは自分で草稿する。自分の思いや魂を自分の言葉で伝えたいのだ。必用なデータは秘書に命じてビジュアル化する。
部下に書かせた原稿はどこか冷めた論文調のよそよそしさが臭うが、自分の言葉で発したものは自分の思いを込めることができ、一言一言に心を打つ重みがある。起草する部下もどれだけ部長の気持ちになって仕上げることができるかに本気度がこもる。
樋口も社長時代は自分で起稿していたが、会長に退いてからはこうした公式の場では全面に出ることを控え、発表することはしなくなった。
役職者会議は選ばれた者の晴れ舞台であるが、出席者のほとんどが朝から晩まで本気で聞いている者はいない。自分の所属部署か自分に関係あるプレゼンしか真面目に聞いてはいない。神妙な顔をして座ってはいるものの、そのほとんどを聞き流しながらこれは誰の原稿だなとか、今年は担当が代わったなとか、発表の巧拙や内容の良し悪しを批評しながら聞き流しているものだ。
特に経理や総務の話は事業部門の者にとっては縁遠い話で、手続き関係の変更以外は全く関心が湧かない。あるのは人事だけだ。その方針は直接自分や部下の処遇に関わってくる。その方針によっては何を磨き何を身につけなければならないか、部下にどう接していけばいいか身の処し方が大きく変わってくる。
人事部長が壇上に上がった瞬間から会場の雰囲気はキュッと引き締まる。プレゼン資料を用意した平田には堪えられない瞬間である。部長の発表が始まるとさらに空気は締まっていく。目を見張る者、口を開ける者、慌てて手元資料に記しを引く者など、緊張と驚きが支配する。それが平田にはたまらない手応えだ。
発表はパソコンの性能が向上し、特にプレゼンテーション用のパワーポイントの普及でパフォーマンスは飛躍的に向上した。
だが、部長本人のITアレルギーか原稿を用意する担当者のスキル不足か、中には印刷物だけを配布してあとは手元原稿を読むだけの人もいる。そんな時は全員が下を向いたままで、聞いているのか寝ているのかわからない。パソコンの普及期なだけに個人の技量差がかなりある。
96年度の日本経済は、バブル崩壊後95年に2番底を打ち、技術革新や規制緩和を背景としたIT産業とその関連セクターの好業績と設備投資に支えられ、やや回復基調にあった。
そのIT産業は、LSIや半導体記憶装置の飛躍的な性能向上でコンピューターの高機能化とIT投資へのコストパフォーマンスを向上させた。そのことで一般企業の情報関連投資を一気に加速させ、業況は活況を呈し、もはやバブルに近い状況といえた。
しかし経済全体では、円高や情報革命がもたらした競争市場のグローバル化による産業構造の転換圧力や、大幅な資産価格下落がもたらしたバランス・シートの調整圧力は依然強く残っていた。
円高は一服したとはいえトレンドは継続しており、グローバルな競争圧力はますます高まっている。
そんな状況下、住宅金融専門会社(住専)が処理され、破綻金融機関の処理に関する制度上の整備が図られるなど、金融機関の不良債権問題への対応は真っ只中にあり、11月には阪和銀行が自主再建は困難と判断され、大蔵省から銀行では初の業務停止命令を出された。
企業運営はサバイバルを懸けて大胆な戦略を打ち出すところが出てきた。
三菱銀行と東京銀行が合併し,資金量世界最大の「東京三菱銀行」が誕生したのもこの年である。
マツダは実質的にフォードの子会社となり、新王子製紙と本州製紙が合併し、国内最大の製紙会社「王子製紙」が発足した。
携帯電話やPHSの加入数が急増したのもこのころである。
携帯情報端末,デジタルカメラ,デジタルビデオカメラ,インターネットTV,DVD,MDプレーヤー、ソフトなど、多彩なデジタル商品が一気に普及した。
中国食品でも全営業マンがモバイル端末を小脇に抱えて営業に出向くようになった。そこには、担当ディーラーの売り上げ構成や年別、月別、日別の品種別販売動向などが瞬時に提案できるようになっていると同時に、そこで成立した商談データが即本社に送信され、翌日の配送計画や販売戦略に活かされる仕組みになっている。
平田はこうした背景を簡潔にまとめ、「だから人事のビックバンが必用だ」と説き起こした。
役職者会議は各部長にとって晴れの舞台であり原稿作成には力が入るものだが、新制度導入時期でもあり今回は殊更全力を込めて起草した。
何かと助けてくれる丸山に恥をかかせるわけにはいかない、という気持ちが平田を突き動かした。
何度も何度もやり返し、渾身の力を込めて論文作成に取り組んだ。藤井にも見てもらった。藤井の経験と広い視野は原稿をさらに格調高くブラシュアップし、格段にハイセンスに仕上がった。
「そもそも自由主義の市場経済に国境などない。そこに経済的合理性と価格差があれば世界中から人、物、金が流れ込む。人事の世界でもすでに実力の時代が来た。わが社も人材への期待の仕方が変わらなければ大競争時代を生き残れない。このたびの人事制度の改革はそれを具体化する新しい制度である。この制度改革で最も顕著なことは、制度の変更ではなくその根本的考え方が実力主義に変わったことである。このたびの制度改革だけでなく、今後打ち出される全ての政策が実力主義に基づいて提案されることになるだろう。ビッグバンとはそういうことだ。最後に退職金も年功ではなくなります。私たちもしなやかに変わっていきましょう」と布石を打って発表論文を閉めた。
会場はシンと静まり返り、全員がショックに打たれたようにパワーポイントのスクリーンに釘付けのまま動かなかった。
役職者会議が終わった数日後である。新田がふらっと人事部に顔を出した。いつものように状況確認と少しの息抜きをしたあと、出口に向かって歩き出した帰り際である。
「おい。丸山さんの役職者会議のあの原稿は誰が起草した?」
振り向きざまに誰となく問いかけた。
「はい。私が」
“何か拙いことでもあったか。全身全霊を傾注して作ったつもりだが”
平田は逃げるわけにもいかず、低いトーンで返事をしながらおずおずと立ち上がった。
「うん。あれは良かった。人事の論文らしい、人に訴える実にいい内容があった」
「そうですか。ありがとうございます」ホッとして返事を返した。
新田が人前でこれほど褒めることは滅多にない。平田は思いがけず嬉しかった。