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誰かに

更新 2013.06.05(作成 2013.06.05)

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第6章 正気堂々 83.誰かに

「お疲れー」
3人はビールでグラスを合わせた。
丸山は「おう」と短く答えた。
喉を潤し料理が揃うと、早速柴田が「会長はなんだったのですか」と聞いてきた。やはり自分だけ蚊帳の外は気が悪い。それに今日誘ってくれたのはそれを明かしてくれることも前提だろう、という強気も垣間見える。
「うん。なんでもない。もっとしっかり仕事せい、ってお叱りよ」
「それだけですか」
丸山は不満そうだった。
「うん。それだけよ」
「平田さんは何だったんですか」
柴田は焦りのような心境か、盛んに探ってきた。
「うん。僕もそんなもんでした。今会社が大事なときだから、早くやれって。そんなことですよ」
「それだけで呼ばれたんですか」
柴田はなおも不満そうだった。
「どうか。やれそうか」
丸山はそうした話に託けて本当に自分も気になっていることを確認した。
「なんとかやるしかないですね」
カバンの中にはさっきもらった色紙が新聞紙にくるんで忍ばせてある。平田はそっとカバンに手を置いた。
「部長」
平田は改めて丸山に話しかけた。
「私は大体人からそんなに好かれるような人間じゃないんですが……」
次の何かを言おうとするのを柴田が遮った。
「そんなことはありませんよ。多少、言い方にきついところもありますが、間違ったことは言われませんもの。私なんか全然気にしませんよ」
「いや、いいんです。よくわかってますから」
そう断わって話を続けた。
「なんだか自分でもよくわからないんですがね。こんな自分なんですが何か困ったときや窮地に陥ったり、あわや命を落としそうになったりとかしたとき、なんかしら助けが入るんです。何か見えない力に守られているような気がするんですよ」
「あーっ、俺もそうなんよ」
こんなことを言うと笑われるかと思っていると、意外にも丸山も同じ事を言うので驚いた。
ドライな柴田だけが「オカルトの話か」とニヤニヤして、
「どういうことなんですか」と、興味本位に聞いてきた。
平田は初めからそんな反応は予測済みで、気にせず先を続けた。
丸山は盃に目を落として静かに平田の話を待っていた。
「うん。まあ、いろいろあるんですがね。例えば、釣に行ったとしましょうか。断崖絶壁の危険なところもあるわけですよ。一歩間違えば崖の下に落ちてしまうような。そんなときこの岩に掴まれって声なき声が命令したりするんです。反射的に掴まったとたん突風が吹いたり、大波が来てさらわれそうになったりしても助かったことが何度かあります」
「ふーん。たまたまの偶然じゃないんですか」
あくまでも柴田は信じられんといった素振りである。
「そうかもしれん。しかし偶然には声が聞こえたりせんやろ」
平田はすこしムカッとした。
「それに、仕事の上でもそうなんです。何か困ったり窮地に陥ったときには誰かしら助けてくれるんです」
「それはどんなときですか」
またもや柴田が聞いてきた。今度は真面目な聞き方だ。仕事のことなら自分もあやかりたいといった打算が感じられた。
「例えば工場に左遷させられたときも、河原さんなんかが身の処し方を教えてくれたし、吉田さんなんかが組合に誘ってくれて表舞台に引っ張り出してくれた。それで人事に呼ばれた。人事制度なんて難しい仕事をどうしたらいいかわからないときに今度は藤井さんが登場してくる。僕が苦手なところでは、花本という助手を部長が付けてくれた」
「今はなんかあるんですか」
柴田はなぜ急にそんな話をするかと不思議がった。
「うん。実は今、悩んでましてね……」
平田は個々人の顔が浮んで悩ましいのだということを明かした。
「ここんとこずっとそのことで落ち込んでいたんですがね。そしたら今日会長に呼ばれまして、自分が正しいと思ったら思い切ってやれって。それがお前を信じて任せている人に応える道だと。お前がだめなら会社がお前を首にするだけだ。だから思い切ってやれと。そしてこれを頂きました」
平田はありのままを語り、ついにさっきもらった色紙を披露した。そのほうが現実離れした話を信じてもらえるような気がしたからである。
柴田は手にとりながら「いいですね」と羨ましがったが、丸山はうなずきながら、「会長も真剣なんだろう。会長の言われるとおりよ。思い切ってやるしかないんじゃないか」と感想を漏らした。
「なぜ、会長がわざわざ僕みたいなのに気を留めてくださるのか、そこにいたるまでに何があったのかはわかりませんけどね」
そう言って丸山の顔を見た。暗に「部長が何か頼んでくれたのですか」という問いかけを含んでいたが、丸山に何の反応もなかった。
「ただ、こんな僕のために会長を動かす何かの力が働いたんですよ」
平田は真面目に続けた。丸山は黙ってうなずいて聞いている。
「そんなふうに何かしらいつも誰かに、何かに助けられて生きているような気がします。人に助けてもらったという話はよく聞きますが、私はそれ以上に、それじゃなぜその人が助けてくれるのかという不思議があるんですよ」
「それは俺も同じだな」
丸山が静かに口を開いた。
「へー。部長もそんなことがあるんですか」
柴田はそんなこと信じられんと盛んに不思議がった。
「うん。まあ似たようなことだけど、やはり何かに助けられている。俺はそれがご先祖様じゃないかと思っている」
「ご先祖様ですか」
平田は“そうかもしれない”と確かめるように反覆した。

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