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正気堂々

更新 2013.05.24(作成 2013.05.24)

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第6章 正気堂々 82.正気堂々

「ちょうど10年前かな。俺は東京からこの会社を建て直すために来た。もう10年になる」
樋口は感慨深げに強調した。
“そうか。もう10年にもなるのか”
今や樋口は中国食品の中でその存在は神格化されている。松下幸之助氏が商売の神様と崇められているように、樋口は中国食品の救世主であり、今や中国食品の哲学であり、文化であり、シンボルなのだ。
松下氏の場合は、PHPや松下政経塾の役割が大きく、社内だけでなく広く経済界でその存在がクローズアップされているが、世の中には目立たないながらも素晴らしい経営者は他にもたくさんいる。並び称される本田宗一郎氏や土光光男氏、坪内寿夫氏などもそうだし、最近ではファーストリテイリングの柳井正氏やセブン&アイ・HDの鈴木敏文氏などもそうだ。ワタミの渡邊美樹氏なども人材育成に力を注いでおられ、開発途上国の教育にも尽力されている。
しかし、そんな人だからこそそのお膳立てに自分たちが絡んだことに間違っていなかったと確信している。
ただ、樋口には少し気の毒な気もする。
「社長業というものはな、そりゃあ君たちが想像もつかぬほど過酷で孤独な課業だ。他の役員は本気で経営に責任を取ろうと思う奴はいない。自分の持ち分だけの安全と責任回避しか考えておらんでな。そんな役員が全員反対しても、本当にそれが正しいかどうかわからんギリギリの選択をたった一人で決断せにゃならんときもある。あらゆることに気を配りながら、一分一秒も気を抜くことができない。この10年間ただひたすらに会社のことだけを考えてきた。ほんのわずかな変化にも細心の注意を払い、全身全霊を注ぎ込んで取り組んできた。ヤスリで身を削り神経をすり減らしながらの毎日なんだよ。だから、君には何度か世話になったがたまには釣りにでも行って息抜きでもしないと気が狂いそうになる」
平田は驚いた。樋口とは押しも押されもせぬ経営の神様であり、揺るぎない自信に満ち溢れて悩みなど微塵もないと思っていたのに、こんな苦悩もあったのかと驚いた。
強い信念と哲学に裏打ちされた経営理念で、社内の誰の口出しも許さない冷徹さで頑固一徹に突き進んでいるのだとばかり思っていたからである。
社長業の苦衷を一身に背負ってきた苦しみの中から搾り出される樋口の言葉には重みがあった。
「だが、人事制度に関しては君が社長だ。君も似たような仕事をしている。君の気持ちはようわかるよ」
そんな大層なことを言われて面映く、
「いえ。会長のご苦労には比べものになりません」と恐縮した。
「やっと会長にしてもらったが、トップとしての責任は変わらん。トップとは孤独でな、段々と社内の情報から隔離されていく。最初はできるだけみんなのところに降りていこうとしたがやはりガードする。今の君がそうだ。こうしてたった2人で話しているがそれでも本心を言ってくれない」
「いえ、そういうつもりでは……」
「いや、いいんだ。もう慣れているしそんなもんだと思っている」
そこまで言って樋口は新しいタバコに火を点けた。
平田は情報を隔離するつもりで悩みを言わないのではなく、そんな弱気をトップに見せるわけにはいかないではないかと思うのだが、樋口は勝手に理解している。
「恐らく制度に関しては君も同じ苦労をしているだろう」
「……」
「君はなんのために会社に来ている」
「はい。今の私はいつも人事のことで頭がいっぱいです。ひたすら公正でいい人事にしたいと思い続けています」
「うん。いいことだ。欲を持ちなさい。欲が磨かれて志になる。欲があるから頑張れる。欲があるから壁にもぶつかる。そして痛い思いをしながら志をつかみとっていくんだ。それが人生というものだ。つらいかもしれんが運命を引き受けるしかない。それが生きるということだ」
樋口の話し方には若者のように力んだ高揚感はないが、侘び寂びの世界のようなどこか枯れた響きの中に名状しがたい悟りのようなものが伝わってきた。
そういえば昔川岸からも同じようなことを言われた。
「人事を任された者の天命と思ってやるしかないじゃないか。俺たちでだめなら天が首にする」と。
そんな遠い記憶を必死でまさぐりながら樋口の言葉を聞いた。
しかし、励まされれば励まされるほど、迷っている今の自分が苦しかった。
平田は、樋口から面と向かってこういうことを言われたのは初めてである。酒席ではいつもこうした説教じみた話になるが、半分は聞き流していて身にならない。
「君がやらなければ、君を引き上げた者にとって一番信頼していた部下に裏切られることになるんだぞ。任せた人にも志があってそれを君に託している。それを裏切るということは、その人の志をも踏みにじることになるんだぞ。君がいいと思えばこそ任せている。それが君を任じた上の者の心だ。君を任じた人の心を君も信じて思い切ってやりなさい」
“そうか。信頼されるとはそういうことか。必ず応えなければいけないことなんだ”
平田は信頼される重圧のようなものを感じた。
“信頼される。任される。ただそんなことで喜んでばかりはいられないんだ”
新田や丸山や川岸の顔が浮んだ。
窮地にあればあるほど、人の優しさは嬉しかったが、樋口の言葉はズシリと背中に重かった。
「君は今自分がやっていることが正しいと信じているのだろ。どこかにやましいことでもあるのか」
「はい。いつでも虚心です」
「もし、恥じるところがなければ自分を信じて正気堂々と進むがいい。これを君にやろう」
樋口は脇に置いていた一枚の色紙を平田に差し出した。
「わしの拙い字だが、会社のために君に少しでも元気な人事制度を作ってもらおうと思って書いてみた」
「ありがとうございます」
さっきまで背中でジットリと浮んでいたものがスーッと軽くなった。
平田は両手で押し頂きながらジッと色紙を見つめた。
そこには「正気堂々」が太字で記されていた。
「意味はわかるかね」
「いえ。恥ずかしながら。字体からなんとなくわかる程度です」
平田は詳しい出典は知らなかったので、素直にそう白状した。
「うん。昔、中曽根康弘氏が首相に就任したとき揮毫したことがあるがね、古くは中国の故事だ。あとは自分で勉強だな」
樋口はそう言って大きくうなずき、目で平田を諭した。

「正気」:天地、宇宙に存在する明らかな正しい根本の力。至高、至大な天地の元気。正大の気。
辞書を引くとこうある。
「孫子」に「正正の旗をうつなかれ、堂堂の陣をうつなかれ」というのもある。
「きちんと整っている軍隊や士気が上がって進軍してくる軍隊はそれを迎え撃ってはならない」
「戦う将兵の士気が上がっている敵には、しかけてはならない」
というものだ。日本では「正正の旗」ではなく、「正義の御旗」としか使われない。
それほど正々堂々の心を持つ者は強く正しいと言っている。天地に恥ない正しい行動を堂々と貫く人に対しては、攻撃する手だてがないということであろう。
また、南宋の忠臣、文天祥はモンゴルとの戦で捉えられたが、殺すことを惜しんだモンゴル皇帝から、自分に仕えるよう叛意を促されるが獄中より一編の歌を送って忠節を貫いた。
その歌が「正気の歌」で、
「この世の中には邪悪で邪まな気が満ち溢れているが、一方で天地に正気があり。この正気は人に乗り移っては浩然の気となり広々とした志気として正義を形作っている」というようなものだ。
中曽根氏は、こうした故事を繋ぎ合わせて「正気堂々」としたのではあるまいか。
何かを成そうという志を込めたら、「正々堂々」ではなく「正気堂々」になる。

平田はこの色紙を額に入れ自宅の玄関に飾った。出入りするときには否が応にも目に入る。毎朝心に焼き付け、「よし」と自分に言い聞かせて家を出るようにした。
一方の樋口もこの頃から「気」ということを盛んに口にした。
やる気、勇気、本気、根気、元気、景気……、など、いろいろな「気」が存在する中で「空気が一番大事じゃ」と語った。「正気」が天地の間に存在していると信じてのことではないかと平田はそっと考えた。
気功ということもある。
「気」とは人の生命力であり、心や精神の活動エネルギーのようなものであろう。

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