更新 2013.01.25(作成 2013.01.25)
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第6章 正気堂々 70.悲しい人
阪神淡路大震災を契機に、中国食品ではボランティアへの活動を積極的に支援することにした。
一つは社員がボランティア活動するための有給休暇を業務に支障がないかぎり積極的に与えるというものだ。
そして人命救助や社会貢献などとともに顕著な社会貢献があった場合は表彰する制度を設けた。
このころから樋口は企業の社会貢献を積極的に推し進めた。その根底には、会社の佇まいについての樋口なりの信条があった。
「人にも品格、人格があるように会社にも社格というものがある。ただ金儲けが上手いだけではだめだ。人間は人の間と書く。人の間にいるときに出るものが人間性だ。企業も社会でどう生きるかが大事だ」
それが樋口の持論だった。
前記のボランティア休暇制度もそうだが、企業メセナとして各種公演や市民大学への協賛、社員による会社周りの環境清掃などがそうだ。
「こういうものは言われたからするではなく、企業カルチャーとして根づくことが大事だ。それには全社員が社会の一員としての自覚をしっかり認識することだ。これからの企業は社会から見放されたら存在意義はない」
“企業は社会の公器”というのは樋口の持論だった。
さらにはスキー部と陸上部を設立し、スポーツ振興にも手を貸した。
「アマチュアスポーツは誰かが支援しないかぎり絶対に成り立たない。いつも企業の広告活動とみなされてきたが、そうではない。そこは持ちつ持たれつだ。マスコミに取り上げられないスポーツなんて意味がない。マスコミに載るから企業の広告塔だと言われるがそれは逆だ。支援者があるから興隆し、マスコミに載るからこそ誉れがあり、やる気になる」
広告宣伝は営業部広告課がマスコミに十分流している。スポーツ振興は全くの別儀だ。樋口の気持ちは純粋に社会貢献だ。その証しにスポーツ振興は人事部の管掌だ。
広島は本州でスキーができる南限地だ。それだけに、
「中国地方のトップレベルにしろ。そこまで力を入れてこそ本物の支援者だ」
陸上部は、スポーツ協会から「このままでは広島の陸上競技がすたれてしまう」と頼まれたらしく、引き受けることにした。
どちらも選手の人件費や活動費、設備費などかなりの負担だが、樋口は積極的に取り組んだ。
優秀な選手も獲得して、スキーでは男女共に数年後には広島県の国体の選手枠を独占するに至った。陸上競技部は残念ながらまだ発展途上だ。県内には世羅高校や西条農業高校など強い高校があるが、社会人では中国電力、天満屋など強豪がひしめき、なかなか頭角を現せないでいる。
人間って本当に悲しい生き物だ。そんな会社の志を逆手にとるような事を平気でする。
それは夏休みに入ってすぐのことだった。
「広島中央営業所の松岡です。人事部は何とかしてくれませんか」
所長から人事課長のところに一本の電話が入った。
「どうかされましたか」
「富永なんですが、明日ボランティアで子供たちを海に連れていかなければならないから休みをくれって言うんですよ。つい先週も休んだばかりなんですよ。この真夏の一番忙しい時に冗談じゃありませんよ。計画的に自分で段取りをつけて休むんならまだしも、いつもいきなり言い出すんですよ。それも、休ませないのは会社が悪いとばかりに食って掛かってくるんです。俺たちにはボランティア休暇の権利があるって言うんです。会社がこんな制度入れるからですよ。人事部でなんとかなりませんか」
事業所を運営している所長の切ない嘆きである。
富永というのは中央営業所の営業マンで、若いころからボランティア活動を続けておりその心掛けはそれなりに評価を受けていた。体の不自由な児童が通う養護学校のイベントや催しを手伝ったり支援したりしていた。最初は誰かに誘われて始めたらしいが、最近ではすっかりのめり込んでしまってライフワークにまでなってしまっているらしい。
それまでは休日を利用したり休みをもらうにしても周りへの気遣いをそれなりにしていたものだが、ボランティア休暇制度ができてからというもの当然の権利のような振る舞いに変わってきた。ボランティア活動が何事にも優先されるべきかのような物言いになってきたというのである。
「あーいう物言いをされたらもう私たちの手に負えませんよ。所内の雰囲気はおかしくなるし、一生懸命やってる他の者に申し訳がありません。人事部で何とかしてくださいよ。」
人事課長の柴田は丸山に相談した。
「どう扱いましょうか」
「まったく困ったもんだな。お前はどう思うか」
丸山は柴田の見解を求めた。
「そりゃあ、他の者への示しもありますからきちんと言い聞かせなければならんでしょう」
「どうやって」
「あくまでも有休ですから、それなりの手続きが要ります。それに則って運営するということで」
「……」
そうこうするうち平田も呼ばれた。
丸山は、会社が進めている社会貢献と個人のボランティア活動との整合をどう整理したらいいかを迷っていた。
「お前はどう思う」
「私も同じです。企業は福祉団体ではありません。このボランティア休暇制度は会社の志とか心意気の部分で、あくまでも便宜を図りますというものです。個人は会社という枠組みを無視して勝手にはできません。それが全てに優先するような独善的考え方は間違っていると思います。会長だってそんなことを願って導入したわけではないと思います。あくまでも人知れずさりげない活動こそ評価されるべきでしょう」
2人に同じ意見を言われて円山は、
「それじゃ、柴田。お前が行って言い聞かせてきてくれ。俺が行ってもいいが、俺が行ったら何らかのペナルティを課さなきゃならんようになるから」
富永の振る舞いはそれでもすぐには直らなかったが、柴田に言い聞かされて少しは聞き分けるようになった。