更新 2012.02.03(作成 2012.02.03)
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第6章 正気堂々 35. 知・行・果
樋口の就任と入れ替わりに小田、後藤田が退任し、その後新井、河村、浮田と古い役員が次々に去っていった。他にも平取で2人ほどその役割を終えた者もいる。代わりにプロパー役員5人が誕生した。
最終的にいかに人事を思いのままにできるかが力の証明である。「全てを君に任せる。好きにしてもらっていい」と言う当時のマル水食品社長、金丸の言質を盾に、樋口は今思いのままその手腕を振るった。
古参役員を退任させたことで重石のとれた樋口の経営は軽やかになってきた。これまでは何か事を起こそうとするたびに、「うんこらしょ」と一踏ん張り力でこじ開けなければ開かない錆びついた扉のようなものがあった。しかし今はそんなこびりつきもなくなり軽やかに進むようになってきた。それを支えるのが新しく任命された若き役員たちだ。彼らは樋口の意図をよく理解したし、決定事項や方針に対する迷いがなくレスポンスが早かった。彼らもまた、保守的で腐臭のする古い役員たちがいなくなったことで一つの重石がとれ、青雲の志に再び火がついたのだ。熱き心をたぎらせる若き企業戦士よろしく進取果敢に働き、会社全体に躍動感が生まれてきた。樋口は彼らの活躍が嬉しかった。
理想のボード体制などというものはいつになってもできるものではないだろうが、少なくとも足かせはなくなった。
やっと自分の思うように動く体制が出来た樋口は、矢継ぎ早に新しい施策を打ち出した。FA化や統廃合を含めた工場の合理化、ITへの投資とその研修、長時間労働への取り組み、企業メセナへの取り組み、経営の多角化と、次々に担当部署へ要望を出した。
世の中から一時期の不動産バブルの狂気はすっかり沈静化し、企業は忍び寄る不況の足音に身を構え管理部門は肥大化した体質のスリム化を急いでいた。同時に事業面においては、次なる収益源の確保とバブルで膨張した資産(人、物、金)の再配分先を求めて多角化に乗り出した。
管理部門の合理化は人員の削減と労働時間の短縮、事務の効率化だが、経済がグローバル化し情報のクオリティが益々重要性を増してきたことと相まって、行き着く先どこの企業もIT化を急ぐことになり、今やITによる新たなバブルの様相を呈し始めた。
その背景にはIT技術が飛躍的に発展していることがあり、投資に見合う十分なリターンが期待できることと、競争に勝つためのインフラ整備に遅れてはならないという危機感があった。
人事部門のバブルの清算は人員の適正化とバブル時に常態化した長時間労働の退治である。日本の働きすぎは今や国際的非難の的になりその適正化は国家的テーマになりつつあった。
中国食品でも同様の状況にあり、労働組合が何か会合があるたびになかなか進まない時間短縮で人事部を突き上げてくる。特に営業現場と本社管理部門は業績が上がらず、サービス残業も目に余った。
ところが労働時間データによくよく目を凝らしていると、営業のトップセールスの中にそんな時でも早く帰っている者が目に付いた。成績も大体トップを走っており、途中で投げ出しているわけではない。
こういう人に言わせれば要は段取りだという。
「ルートセールスだからといって毎回行くことに拘る必要はないでしょう。顧客の規模や販売特性を把握し、どの頻度で訪問するかや重点商品を決めて回る順番や詰め込む商品の種類、量など、その日の段取りをしっかりやると後は楽に回れますし、その分商談に力が入れられます」という。
人事部は音頭を取ってこうした人の事例紹介や段取りと仕事の取捨選択を徹底することを進めた。しかし、人の意識というものはそう簡単に変わらない。特にこの課題はインカムとも直結する問題だから組合も神経質になる。管理職も売り上げへの悪影響を考えて強く出れないでいた。
しかし樋口は、口を酸っぱくして時短の必要性を語った。
「朝から晩まで機械のように働き、給料だけを持って帰るロボットではいかん。生活に潤いがなければ心が殺伐としてくる。そんな心では新しい工夫も改革もできない。第一いつ勉強するんだ。そんなことで“日新”の風を吹かすことはできるのか。土日の2日の休日のうち、1日は家庭サービスに、あと1日は自分への投資に使うようにしなければいかん」
人が成長しなければ会社の成長もない。樋口はそう考えていた。
ちょうどそのころ、一つの流行り病のように社内で離婚が広がりを見せていた。その根本原因も突き詰めていけば長時間労働にあるようだ。樋口がここまで強く言う背景の一つであった。
社員たちのほとんどは朝早くに出かけ、夜は真夜中近くに帰ってくる。たまの休みは日ごろの疲れからぐったりと寝込み、日がなゴロゴロとテレビの前から動かない。子供は遊びたくてせがむがその気力も湧かない。そんな社員の奥さんたちが、家庭を犠牲にして働きづめる旦那さんに、結婚や家庭の意義を見失い、我慢しきれなくなるのだ。たまには旦那さんにしてもらいたいことや手伝ってほしいこともある。それもしてくれない旦那さんに愛想をつかす形で若い人を中心に離婚が社会現象になりつつあった。そのことに心を痛めたのだ。
「会社からは少なくとも9時に帰り、夕食に奥さんが付き添い、夫婦の会話があるくらいにしなければなんのための家庭か。そんな家庭があればこそ働く意欲も湧いてくる」
こうした樋口のポリシーは皆にも理解されるはずだ。人事部は挙って現場に出かけ、段取りの工夫と共にこの考えを広めることに注力した。この説得には時間がかかったが地道に続けるしかなかった。
トップのそんな思いは徐々に末端まで伝わってはいったが、しかし成果は上がらない。理屈でわかってもそれを阻害するなにかがあった。
それは……。
長時間会社にいることが会社への忠誠心であるとの信心はそう簡単に捨てられない。それに年々厳しくなる人事評価を気にすれば、仕事が終わりました、はいさようなら、とはなかなか言えない。社内風土を変えることの難しさだ。
「予算にもいっていないのにもう帰るのか」所長はハッパを掛ける。
こう言われると売り上げが芳しくない営業マンは帰れない。先回り営業や押し込み営業を無理してやってしまう。そうすれば翌月の売り上げが苦しくなる。ディーラーの在庫回転率が悪くなる。ますます売り上げは落ちる。悪循環が繰り返される。
そんな状況を見かねた樋口は「知・行・果」という新しい訓示を打ち出した。
「結果が出ないのは行動が変わっていないからだ。行動が変わらないのは正しく理解していないからだ。正しく知れば行動が変わる。行動が変われば結果が違ってくる」それがこの標語の真意だ。
社内報のトップ記事は常に社長談話であるが、樋口は、今回はこのことを題材に時短の重要性を熱く語った。
「知るということは理屈を理解することではない。その意味や精神を本心から信じ、自分の哲学にまで高めることである。そうすれば行動が変わる」
社内で時短への熱意が高まれば高まるほどあちこちで議論に上がり出したのが、もっとはっきりと人事評価にも入れるべきだという意見だ。
「人事はこれだけ時短、時短と言うのなら評価の中に時短の項目を入れたらいいじゃないか。俺たちもやりやすくなるよ」
これまで他部署において人事評価の項目について意見を出すなど敬遠されていたが、評価制度が変更されたり制度がオープンになったりして社内に馴染みが出てきたせいか、直接人事に意見するのはまだ少ないものの陰での議論の俎上に載せることには遠慮がなくなった。オープン制度の効能だ。
時短をやっているかなどという評価項目は当然ない。しかし上司が評価するときは、時間や経費(人件費を含む)の消費と個人が出したパフォーマンスとの対比で仕事の効率を評価として下しているはずだ。
しかし、時短が一つの会社の重要なテーマとなった上は考えざるを得ない。次の制度見直しのときの平田に課せられた課題に違いなかった。