更新 2016.05.30(作成 2011.12.05)
| 正気堂々Top |
第6章 正気堂々 29. 俺がか
藤井にとっても、丸山との面談は一度は通らなければならない大事なプロセスの一つだ。丸山が平田以上の重要な戦略を持っているとするならば、当然それが尊重されプロジェクトをそちらのほうに誘導していかなければならないし、或いは、考え方に平田との乖離があるとするならばコンサルの活動を通じて考えのすり合わせをコーディネートしなければならない。ゆるがせにはできない重要なステップだ。時と場合によっては会社のトップとだって面談しなければならない時がある。人事部が提案したときに当たって砕けろの一か八かの提案ならいざ知らず、必ず成功させなければならない経営のポリシーに関わる部分の一大改革の提案にトップの意向を無視した提案はないからである。トップと人事部の考え方に乖離があればそれはすり合わせしなければならないし、トップの考えはプロジェクトの活動の中に織り込まなければならないコンサルタントの大事な任務の一つだ。よほど凡庸なトップならいざ知らず、物事の見極めや判断が一部門の担当者や部門長より一日の長があることは極自然なわきまえと思われるからである。
「大きな経済環境の変化の中でさまざまな問題が、そして制度や仕組みの中では大きな歪みが、今日本全体で起きようとしています」
藤井は丸山の覚悟を促すように今日本が直面している環境変化について説明を始めた。
「わが社でも本当にそういう状況なのか。多少伸びは鈍くなってきたが今のところ業績は順調にきているように思うが……」
「そうでしょうか。会社全体に言えることですが、転換期にきていることに気付いていないだけではないでしょうか。バブルが崩壊し日本経済全体が急速に縮小していく過程にあり、中国食品だけが暴風雨の圏外でいられる保障はありません。今のままではこれまで成功してきたビジネスモデルが少しずつ剥がされていき、ジワリジワリとボディーブローのように利いてきます。いろいろな制度や仕組みは既に陳腐化しており、それを時代の変化にマッチした仕組みに変えていかなければ生き残れなくなります。それを乗り切るのが経営です。今、経営にはそれを見通す見識と実行力が求められています」
制度の見直しは今日本中で怒涛のような時流となっている。
藤井はコンサル業を通じて他の部署とも深い交流があり、中計の策定にも関わってきているから中国食品の業績が今は好調ながらピークアウトしつつあることを肌で感じていた。企業のライフサイクルに伴う盛衰もいくつもの実例を見てきており、コンサルタントらしく今中国食品がどの立ち位置にいるか見えていた。
コンサルタントとしては、そこを外しては指南の方向を間違う。クライアントとのその確認は重要だ。まだ気付かぬ経営陣ならばそれに気付いてもらうのもコンサルタントの重要な任務だ。しかもその前提は役員はおろか全社で共有してもらわなければこれからの提案の全てがトンチンカンなものになってしまう。中計でもその前提で主要テーマが設定されており、業績目標もほとんど横ばいで次のステップへの基礎固め的政策が主である。人事部長がそこを外してもらっては中計の根幹部分で仏作って魂入れずになる。人事改革のウェイトはそれほど大きい。
そんな説明をしながら、発足したばかりの中計がまだ組織に深く浸透していないことを感じていた。
「それに、中国食品は創業25周年を過ぎてちょうど転換点にきております。団塊の世代が高齢期にさしかかり、若手が実力をつけてきて団塊の世代に取って代わろうとしております。しかし、今のままでは頭を抑えられて身動きがとれません。この若い力をいかに引き出すか、そんな仕組みやフィールドをどう提供できるか、それが人事部長のお仕事です」
そう言って藤井は、丸山の決断の鈍さを茶化すようにニコリと笑った。
「今は、将来を見据えた経営のビジョンが必要です。今までは目先の制度改革ばかりに気を取られて、長期展望やパラダイムを根本的にチェンジしようとする動きはありませんでした。今人事には平田さんがそのアイデアを出そうとしています。恐らく今のわが社にはそれ以上のアイディアをお持ちの方はおられないでしょう。私は中国食品という会社の中で人事というものがどのように運営されているのか、どんな位置付けでどのように蠢いているのかはわかりませんが、平田さんが目指しているものをどのように作ったらいいかはわかります」
「それは俺も聞いた。しかし、俺がか、って思うんだよ。よりによって俺の時にか、ってな」
「そうです。俺が、です。丸山部長がです」
藤井は平田に肩入れするように力を込めて言い切った。
「川岸部長、平田さん、そして丸山部長。これは宿命です。その辺は今の社長はよく見ておられると思いますね」
「そんなことあるもんか。俺のような奴はどこにでもいるからね」
「そんなことはありません。仕事ができる方は多くいらっしゃいますが仕事をさせきる人はそういらっしゃいません。有能なマネージャーと言えば、人を管理することが役割と考えておられる方が多いのですが、有能なマネージャーとは仕事をマネージするために人をマネジメントする人なんです。今仕事がどんな状況かわかっていて、どんな人材が整っていて、どんな戦力が必要で、不足をどうキャスティングして使いこなすか。そんな部長はそう多くありません。人に好かれているだけでは有能なマネージャーとは言えません。人がいいだけです。無能な善人より優秀な悪人です」
「ハッハッハ。俺は悪人か」
「いえ、そうじゃありません。例えです。今は人事に来たばかりで仕事への戸惑をお持ちかもしれませんが、そういう組織マネジメントができる方だと思っています。それに悪人っていうと悪いことをするだけのイメージですが、悪人って結構知恵があって強かで戦略家です」
「俺も例えで言っている。だが、俺は悪人にはなれんな」
「それは、自分の利己だけを考える悪人をイメージされたらなれないでしょう。しかし、会社のため、社員のためならなれる方です」
丸山は「ウーン、そうかな」とまんざらでもない返事を返しながら、どう考えても、もう運命に向き合わなければならないことをあきらめるように深いため息を一つ吐いた。