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不信

更新 2016.05.23(作成 2009.05.15)

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第5章 苦闘 9. 不信

8時ちょうどくらいに川岸はやってきた。平田の顔を見ると嬉しそうな顔をしてみせた。その表情からは“やっと来てくれた”という安堵感がうかがい知れた。
その顔を見て、平田は早く来て良かったと内心思った。初日から部長より遅くなりたくなかった。
平田は立ち上がり川岸の机の側で川岸の着席を待った。
「やっと来てくれたな。待っとったよ」川岸は座りながら先に声を掛けてきた。
「はい。覚悟しました。よろしくお願いします」平田は緊張と照れの混じった歪んだ顔をしながらあいさつした。
今までは会社側と組合という立場で、時には机を叩いて論戦していた相手である。これからどういう立場で接したらいいのか。平田はにわかに自分のスタンスを図りかねた。
「うん。まあみんなが揃ったら紹介するからゆっくりしとってくれ。頼むよ」そう言って川岸は鍵の掛かった引き出しから辞令を取り出し、今一度自分でも覚悟をするかのように両手でしっかり持ったまま、ジッと見つめた。意を決すると立ち上がって平田に渡しながら、握手を求めてきた。平田も手を握りながら頭を下げた。
浮田に嫌われ工場に出されたのは6年前だ。何の落ち度がなくても嫌いな奴は平気で左遷させる人の営みの冷酷なことを嫌というほど味あわされた。そんな人事がまかり通る人事部が不甲斐ないと憤慨したものだ。そして今度は自分がその人事に携わろうとしている。複雑な心境だった。
本社への復帰はどれだけ待ちわびたことだろう。辞令を見つめながらジンと熱いものが込み上げてきた。

8時30分近くになって高瀬はやってきた。人事部の中では遅いほうだ。
中国食品は本社をここに移転するとき、マル水が工場跡地に建てた分譲用マンションを社宅用として5戸購入した。そのうちの2戸は秘書課長と総務課長用である。秘書課長と総務課長はいついかなるときに緊急の用があるかわからない。本社の近くに住むべきである、と強制的に入居させた。残りの3戸は社員の社宅用に供していた。
高瀬はその社宅に入居していた。そのため会社へはものの2、3分で着くことができた。しかもエレベーターが止まらない限り時間が狂うことは絶対にない。その場合でも階段を降りるのに2、3分掛かるくらいだろうか。
その点、遠方から来る者は渋滞や事故など不測の時間を取られることがある。用心のため自然と早めに家を出ることになる。遠方者ほど早い出勤となり、近くの人間ほど出勤時間が遅いという逆転現象が起きていた。
川岸はそれも不満だった。営業現場や工場は従来どおり8時半始業であり、社員のほとんどは8時には出勤しその日の仕事の準備や段取りを始めている。まして人事課長は社員にいつ何が起きるかわからないではないか。少なくとも俺と同じくらいには出てこいよ。川岸はそう言いたかった。
平田は同じように立って高瀬にあいさつした。
「やっと来たかね」高瀬も川岸と同じことを言った。
「みんなの顔は知っているやろうから後であいさつだけしてくれ」
6年前まで本社にいたのだ。2、3の最近入社した若い女性社員に知らない者もいたがほとんどが顔見知りである。
「それで一体何をしたらいいんですか」
「うん。西山さんのあとをやってもらうことになると思う」
「西山さんはときどき団交に出てきて原資がどうの仕組みがどうのと言ってたようですが、そんなことですか」
「そういうこと。しっかり引き継いでくれ」高瀬はぞんざいな言い方で横柄に振る舞った。
平田には、殊更自分を大きく見せようという虚勢が伺えて素直に打ち解けられなかった。他の男性社員とは異質な違和感を覚えた。
「だったら西山さんのほうがベテランだし西山さんがやったほうがいいんじゃないんですか」平田は、自分が呼ばれた明確な理由と何をしたらいいのかを上司である高瀬から直接聞きたかった。それがわからなければ自分の役割もイメージがわかない。
「西山さんは古いしマンネリしとるからな。事が進まんのよ」
「事ってなんですか」
「それを考えてほしいのよ。まあ、人事制度とかいろいろあるけど、俺もよくわからん」高瀬は小声で自信なげな言い方をした。川岸に聞かれたくないようだった。
「問題があるから私を呼んだんじゃないのか」平田は、「あんたは課長やろ」と叫びたかった。“無責任すぎる。自分の業務じゃないのか。何が問題かくらい把握しておけよ”平田に一つの不信が湧き上がり顔を曇らせた。

先般の「5−1.小学と大学」でのコメントのとき見つけられなかった安岡正篤先生の『大学と小学』という語録がやっと出てきた。
小さな冊子なのでそのときには目に入らなかったものだが、最近書棚を整理してやっと見つけた。
その中に、こんなくだりがあるのを再発見した。

三   学

少(わか)くして学べば壮にして為すあり。
壮にして学べば老いて衰えず。
老いて学べば死して朽ちず。

佐藤一斎・言志晩禄

教育に携わる方ならご存知かもしれない。小生もこの本を初めて手にしたときに読んでいるはずなのだが思い出せなかった。既に記憶になかったと言ったほうが正しいだろう。恥ずかしきかぎりで、人間の記憶の頼りなさである。
人間死ぬまで勉強だということであろうが、これは学びの内容ではなく学ぶということに対する心構えや姿勢を言ったものだ。この本は語録であるから、後世の編纂者が内容だけでなく心構えも大事と挿入されたものであろう。
せっかく目についたので小生の記憶だけの解説より、『大学と小学』の1節をそのまま紹介しよう。

『人間の学には自己を修める修己と、人を治める治人の二つがあるところにより、自己を修めるを小学といい、人を治めるを大学という』

と、説かれている。
「大学」はもともと四書五経の一つで、大人の学、天下を治める君主、宰相が修める学問としてまとめられた儒教の思想である。
一方、朱子学の教えである礼節を重んじ、人格を磨き、いかに自己を修めるかという道徳教育の学問が「小学」である、と説いておられる。

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