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バサラ

更新 2010.07.05(作成 2010.07.05)

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第5章 苦闘 50. バサラ

「私が申し上げているのは、相対的効果であります。このまま社員のやる気を損なうより、ボードの一角を社員に空けていただいて社員の士気を上げることのほうがよほど業績に繋がると申し上げておるのです。マル水の人件費を多少軽減したとしても、わが社1,300名社員全体の盛り上がりの比較にはならんでしょう。わが社の業績が上がり、配当を増やし、株価も上がればマル水さんには十分恩返しができます。経営権の問題は大いにこちらのほうでございましょう」
「人事のローテーションの問題もあります」
「先ほども申し上げましたように、人材はむしろ不足気味ではありませんか。それにマル水でローテーションを早め人心を刺激されるのに中国食品にはそれをお認めにならないというのは、それこそ社員に独善的だと取られますし片手落ちというものです。社員を大事にしてきたマル水らしくありません。マル水の社員も中国食品の社員も同じです」
樋口はテーブルを叩きたいくらい高揚していたが努めて平静を装い、ゆっくりとそして低い声で説得に努めた。そうしないと声につられて興奮が表に出るのを堪えられそうになかったからである。ここで相手を怒らせるわけにはいかない。あくまでも下手に強(したた)かにである。
「今のままでは早晩業績に陰りが出てくるのは必至であります。企業は不断に成長していかなくてはなりません。それには社員にも希望がなければ難しゅうございます」
「このまま続けたらどうなりますか」
「クーデターが起きるかもしれません」
「そんなバカな」2人は呆れかえった。長い歴史に裏打ちされ、しっかりした企業文化と伝統に育てられた規律正しい社員気質を持つマル水の者には考えられないことだった。
「マル水は伝統が作り出す社内規範が社員に浸透しておりますが、中国食品は新興企業で社員気質はバサラそのものでございます。上手く使えば思わぬ勢いを出すこともありますが、下手に扱うと何をしでかすかわかりません。彼らの成長意欲はマグマのようなもので、放っておくといずれ爆発いたします」
新興企業の良さは古い伝統や文化にとらわれない自由闊達な発想や活動ができるところである。それを規制する制約はなにもない。中国食品もその気質を多分に包有しており、豪放磊落な一方自由奔放で無秩序である。
「私が中国食品へ出された経緯もございます」
樋口のその一言に藤野は「ウン」とわずかな懐疑を覚えたが、それは自分が社長になる前のことで、なにか裏事情があったとしてもそんな面倒な話には関わりたくない。“知らぬが仏”を決め込んだ。
「あながち間違った推測とも言えません。直接行動となるかどうかは別にしまして、サボタージュや無視といった反逆の形になることも考えられます。所詮親会社とはそんなものかと、白けさせてはなりません。先ほど申しました者たちは社員みんなの希望の星なのです。この者たちに背を向けさせたら全社員がボードから離れていきます。それによる会社の損失は計り知れないものになるでしょう。再び赤字に陥ることも十分考えられます」
今の業績が経営の手腕だけで回復してきたことは折々の報告で知っているし、それほど多くの経営マジックが残されていないことは金丸ら2人にも理解できた。
「中国食品を更なる発展に導くには、これからは人力を活用するしかありません。ここが経営の仕上げどころです」
樋口はこの3人の中でもけして引けを取らぬ実力者である。たまたま運命のめぐり合わせが今の立場を形成しているだけで、ひょっとして立場が入れ代わったとしてもけしておかしくないのである。その樋口が正論でグイグイ押しまくるのである。金丸も藤野も唸らざるを得ない。
そのとき、それまで黙って聞いていた金丸がため息交じりに口を開いた。
「あなたを中国食品に送ったのはそんなつもりじゃなかったのですが、会社とは不思議ですね。トップの力量次第で会社自体が主張を持ち、存在感を大きくする。強いては社員の地位すら押し上げる」
「私は自分のことや経営権云々を言っているのではなく、これだけ業績を上げているのですからわが社の社員にも経営に参加する資格が十分あるのではないかと申し上げております。経営参画を認めないということは社員を信頼していないと突きつけているようなものです」
金丸は“わかっている”と黙ってうなずいた。
「中国食品は私に任せると仰ったじゃありません。武士に二言はないと私は信じております」
最後に念押しで締めくくった。

第28回定期株主総会の事だった。あまり目立った存在感のない古い役員が解任され、平成の四天王の4人全員が一気に役員に引き上げられた。
樋口は中国食品のプロパー社員のための役員席をボードの一角に確保したのだ。
これには社内が仰天した。初の生え抜き役員の誕生である。それも一気に4人である。プロパー社員にも役員への道が開かれた瞬間である。社内は沸騰し、次は俺もと野心家たちが小躍りし目をぎらぎら輝かせた。
実はその兆候が全くなかったわけではない。1月下旬のある一時期、川岸や堀越の態度が微妙に変化したのだ。ソワソワと浮き足立ったかと思えば他愛もないことで殊更はしゃぎ過ぎたり、部下のわずかなミスを咎め過ぎたり、やけにもったいぶった尊大な態度を示したり、彼ららしからぬ不自然さだった。それはいつも傍にいる者にしかわからない微かな変化で、それもほんの1、2週間で落ち着きを取り戻す小さな揺らめきだった。
樋口から打診があったその一瞬だったのだろうか。内に秘めておくには大きすぎる喜びで胸ははち切れんばかりだっただろう。喜びと希望と重責への不安が限りなく錯綜し、平常心でいることを忘れさせたとしてもけして不思議ではあるまい。それでもクールな新田と青野は、いつもより一層厳格な態度を示すことでカモフラージュした。

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