ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.5-46

一方のガバナンス

更新 2016.05.26(作成 2010.05.25)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第5章 苦闘 46. 一方のガバナンス

平田が帰ったあと、交渉委員会は熱を帯びた話し合いになった。
「さあ、みんなどうするかね。このままではどうにもならんよ」
「要は、平田さんの言うことを信じるかどうかでしょう」
「そうやけど、今まで散々組合が言ってきたのに会社は何も変わらんかったやないですか。今回だけ信じるんですか」山口出身の執行委員が強い口調で拘った。長州人はまっすぐで一本気だ。
「俺は信じていいと思う。人が代わったんですよ。会社とか人事とかじゃなくて平田さんは信じられると思う。その平田さんを呼んだ今の人事は信じていいんじゃないかね」
平田が組合の副委員長をやり始めたころに、要求基準作りで悩んでいたとき、モデルライフサイクルによるビジョン作りのヒントをくれたり、地域手当の不合理を気付かせてくれた石本である。当時は山陰地区の中央委員をしていたが、今は執行委員として堂々と活動している。
「しかし、川岸さんか平田さんか知らんがこんなときにこんな手当を提案してくるんやで。信じられるかね」別の強気な誰かが反対した。
「だから。それを信じるかどうかなんよ」石本も思わず力が入った。
「なんでかと言うと、昔私が中央委員をしていたとき、地域手当の矛盾を平田さんに話したことがあります。そのとき平田さんは家計簿のアンケートを取って地域手当をなくしてくれました。2年の時間を要しましたが堅実に取り組んでくれる人だと思います。おかしいことはおかしいと主張のある人です。モデルライフサイクルに基づく賃金要求方式だって平田さんが作ったんじゃないですか。我々は今でも使っていますよね」
皆にそのことを思い出させるように、石本はここで一息入れた。
「さっき平田さんが言ったことは、夢かもしれませんが何もしないよりいいと思うんです。組合の立場に拘って慎重に安全な道を選んで反対ばかりするより、今会社が変わろうとしているのが見えるんですからそれを信じたほうがいいじゃないですか。だって前の担当者に比べると真剣味が全然違うやないですか」
実際、人を動かし何事かを成しとげるのはその熱意だ。
石本はこの数年の間に大きく成長し、会議の帰趨に少なからぬ影響を与えるだけの力量を身に付けていた。
最後は委員長の坂本が、
「信じる信じないは個々にあってもいい。しかし、組合として、今会社がどっちの方向に行こうとしているのかだけは見誤らないようにしたい。大局的に見ると改革の方向に行っていることは確かだと思う。成就するかしないかは別だ。関係者の力量やトップの考えもあるやろうからな。ただ、今は会社の方向性に抗ってみてもしょうがないやろ。そういうことを確認したうえで、春闘を経済問題として捉えていきたい」と、締めくくった。

こうして平田は、川岸や樋口らが描く大きな道筋を、より具体的に噛み砕いて組合に浸透させるプロパガンダのような役割を泥を被りながらやりこなした。会社の考えをよりわかりやすく、背景にある考え方や将来見通しまで咀嚼して言って聞かせる役割は貴重な仕事だった。その結果、平田は会社側の一員としての存在感を強める一方、組合と会社の結節点としての役割が強くなっていった。
そのことが、坂本をして平田を信頼させた大きな要因になった。
一方で、坂本には坂本の考えがあった。
それは、樋口が来て会社のガバナンスが大きく変わるのにつれ、組合も近代化の必要性を強く感じていたからだ。これまでのように面子や建前ばかりにこだわり、頑迷に保守するだけの組合ではだめだ。既得権に拘泥するのではなく、スクラップアンドビルドで新しい労働環境を構築することで、会社との対立軸は維持しながら一方のガバナンス機能をより近代的にしたいというのが彼の考えにあった。
内政面でも彼は考えていた。組合の会計の在り方について、これまでのような消費会計的考え方からバランスシートを重視する会計運営にしたい。それによって、経済が縮小するなら組合費だって縮小できるようにしなければならない。そのために彼は、組合の法人資格を受け、外部の第三者機関による厳格な会計監査を受けるようにし、あえてシビアな会計運営を志した。
そんな彼の思いと平田の考えは、改革や近代化という点において共鳴するものがあった。組合と会社が天秤のように左右に揺れながら一歩一歩改革の階段を上っていく。そんな経営の近代化を彼なりに描いていた。
坂本がそんな思いを持ったのは平田や川岸よりもある意味早かったかもしれない。
吉田たちの突然の引退にも関わらず、何一つ動じることなく若くして堂々と組合を引き継ぎ、立派に運営していく気構えは彼なりの信念があったからだ。そのとき既に彼の中ではその夢が描かれていたのであろう。それも、元をたどれば河原の教示による彼の勉学の賜物だ。とにかくよく勉強し深く考えていた。バブルの絶頂期に、もしかしたらその先に来るものをすでに予感していたかもしれない。
そんな背景が、その後の2人の関係を強い信頼で結びつけていった。
その日の夜、闘争委員会での審議を終わらせた坂本は平田を飲みに誘った。
「ヒーさん。まだ仕事しよるんかね」
平田の目の前の内線電話を坂本は鳴らした。もう、7時近い。
「ヒーさん、飲みに行こう。付き合いんさい。○○で待っとくけ」
坂本の誘いは簡単だった。いつもこんな具合で平田を誘った。
普通、交渉期間中に組合の代表と会社側の人間が飲みに行くことは、余程のことがないかぎり「馴れ合い」との非難を気にして滅多にない。しかし、坂本は平田とは必要ならいつでも飲みに行った。信頼の証しであり、やましさが微塵もない自信からだ。リスクがあるとすれば平田のほうだろうか。「会社の情報が組合にリークする」と疑われればその可能性が全くないわけではないが、少なくとも人事部にはそれを疑う者は誰もいないと平田は信じていた。
中国食品の労使関係は健全だ、と平田は思っている。政策論議は政策論議として是々非々を忌憚なく議論し、人は人としてお互いの立場を尊重しそれぞれが己の高みを目指していく。こじれた労務問題も政治活動もなく、企業内組合として労働協約憲章にある「会社と組合員の社会的経済的地位の向上を目指す」活動を地道に歩いている。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.