ナビゲートのロゴ
ナビゲート通信は主な更新情報をお届けするメールマガジンです。ご登録はこちらから。

下記はページ内を移動するためのリンクです。

現在位置

 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.5-43

意識

更新 2016.05.26(作成 2010.04.23)

| ←BACK | INDEX | NEXT→ |

第5章 苦闘 43. 意識

交渉委員は長テーブルをロの字に並べて囲んでいる。ひな壇というほどのこともないがホワイトボードのある一辺に委員長と書記長の席があり、平田はその席を少し詰めて座らされた。
「ヒーさん。今日は、一度いろいろと確認しておきたいことがあって来てもらいました」坂本はまず、平田に断りを入れた。
「うん、私もなんか溜まっているような気がします。お互いに本当のところが見えてないように思います」
平田はそう言いながらも、実は目指そうとしていることをまだ会社がさらけ出していないだけだと思っている。しかし、それはあくまでも川岸と平田の心意気程度の構想があるだけでオフィシャルにできるようなものは何もないのだ。ただ、その心意気すら知らない組合にはモヤモヤとしたストレスとなっていた。
人の気持ちや心ほど伝わりにくいものはない。「これくらいわかるやろ」と思うのは当人の勝手な思い込みに過ぎない。
「さあ、みんな。せっかく来てもらったんだから、聞きたいことがあったら自由に聞いてください」今度は書記長が皆を促した。
平田は人事部に来てまだ半年弱だが、このころになると組合OBの印象より、すでに会社の一員という存在感を強くしていた。
「まず、移行原資の内訳を教えてください」誰かが口火を切った。
「単純に単価アップ分が569円です。係長が277円、主任が292円、副主任のポスト減分が47円です。これを差し引いて組合員1人当たり522円の移行原資になります」平田は、皆のメモのペースを確認しながらゆっくり答えた。
「当然削減分の原資はベアの中に組み入れられるんでしょうね」
若い交渉委員が、団交の二番煎じのような議論を蒸し返してきた。
「移行原資全体を回答の外に出すべきですよ」地方からきたブロック委員も刺すような眼差しで追い討ちをかけてきた。
今は会社を動かすという一段高い意識を持ち始めた平田は、交渉委員のレベルをこんなものかと少しガッカリした。
“俺たちもこんな理屈で交渉していたのかな。後藤田さんや川岸さんたちはさぞ可笑しかったやろな”自分が組合活動していたときのことを思い出し、胸のうちで苦笑いをした。
こうした発想や質問の仕方も独特な組合の保守性だろう。少しの力みと組合員の生活防衛をバックボーンにした使命感がそう言わしめる。それはなかなか変わらない。組合の組織が宿している体質のようなものだ。
平田は、「なるほど、人は意識の持ちようだ。違う意識で見ると景色は変わるもんだ。俯瞰するというほど達観できてはいまいが、よく見える」とその場の自分を分析した。
「冷静に考えてください。同じことですよ。それじゃ、これからポストが増えたり減ったりするたびにベアが上下するんですか。おかしいでしょう。そうじゃなくて、そんなこともあんなことも考えて総合的に賃金が決まると考えましょうよ。会社が断を下すときというのは、政策の是々非々さえ決まれば後は会社の負担額として総額でいくらかということしかありません」
「管理職の改定額がえらい高いじゃないですか。なんでそんなに高いんですか。その原資があるんなら賃金アップに回してくださいよ」
「高くなるのは当然です。管理職は全員が対象者ですから1人当たりが高くなるのは当然です。組合員の場合は2割くらいの人が係長・主任でその単価を改定しても組合員1人当たりにしたらグッと低くなります。係長・主任だって対象者だけの平均にすると2,600円になるんですよ」
みんな「なるほど」とやっと計算のあやが理解できたような顔をしている。
「管理職手当を上げる前に、管理職に相応しくない人間がいっぱいいるじゃないですか。その辺を質すことが先じゃないんですか」
いよいよ質問が核心に迫ってきた。平田は、これは自分が答えていいのかなと少し考えた。しかし、人事のこれからのことに不信をもたせたまま彼らと交渉していくのは困難だ。少しでも信頼を取り戻しておかなくてはならない。そう思って自分や川岸の考えをぶつけてみることにした。
昔、後藤田が「急成長してきた会社には年功処遇は仕方なかった。若い人には1年の経験の差は大きかった」と言っていたことを思い出した。ある種のレガシーコストでその弊害が残っているのだ。しかし、ここでそのことを言っても始まらない。これからどうするかだ。平田は意を決した。
「私の考えを聞いてもらえますか。そんなことも含めて私は人事を変えたいんです」平田は、おもむろに自分の考えを語り始めた。
「私はかって浮田さんにこんな処遇を受けました……」
みんな固唾を呑み、膝を乗り出してきた。
平田は、自分が左遷させられた過去の体験をかいつまんで話した。
「悔しくて悔しくて、何度辞めようと思ったことか。結局山陰工場は私が指摘したとおりになったし、大勢の人たちが涙を流したじゃないですか。恨みを残して辞めていった人もいます。それもこれもみんな人事がなっちょらんからですよ。見てください、今の会社を。管理職は自己保身ばかりで勤務態度はなっちょらんし、部下は奴隷のようにこき使うだけで部下育成なんて考えているものは一人もいない。部下も上司を信頼しておらず、不平不満ばかり言い募っている。社員は会社も人事も信用していないから刹那的に目先の利害ばかり考えて動く……」平田はしゃべりながら言葉が熱気を帯びてくるのを覚えた。
「だから人事を変えたいんです。人事がきちんとして、正しい人が正しいと評価されるようにならんといかんのです」
「しかし、どう変えていくんですか」
「まだわかりません」平田は憂鬱そうにつぶやいた。
「役員のご機嫌取りとかごますりが、役員の好みで偉くなっていく。そんなことを排除し、人事のきちんとした基準とか仕組みで人が遇されるようにしたいんです。私は、“人事を変えたい”その一念を組合時代も工場時代も今も思い続けてきました。頑張った人が頑張ったように、正しい人が正しいように認められる、そんな人事になるべきです。そのためには正しいものは正しいという仕組みにできるところから変えていって、いつか気がついた時きちんとなっている。それが私の思いなんです」
みんな「そのとおりだ。俺にも覚えがある」と言いたげな表情でうなずいている。
「この手当もその一環です。係長・主任の手当だけ改定して管理職は変えないなんておかしいでしょう。いくら奇麗事を言っても、少しでも嘘やごまかしがあると社員は“都合がいいときだけ”と信じてくれません。全体が正しくならないとダメなんです。その代わり、成果というか業績というか求めるものは求めていく。ごますりだけでは許されませんよと持っていきたいんです。今回の説明で本社を回りましたが、やっと管理職の方が人事の言うことに耳を貸してくれました。反応はマチマチで、さっき言われたような管理職からは白い目でみられましたが、ちゃんとうなずいてくれた管理職もいました。人事制度の改革と言えばすぐに組合員の制度と思われがちですが、私は改革の核心は管理職制度のあり方を変えることだと思っています。ここにメスを入れなければ会社は変わりません。ここが変われば会社がガラッと変わるように思います。まだまだですが社員全員があるべき方向に頑張るためには、人事があるべき姿にならなければいけないんですよ」平田は両手で一つの道筋を作るようなしぐさを交えた。
場はシーンと静まり返った。

「正気堂々」についてご意見をお聞かせください

▲このページの先頭へ

お問い合わせ・ご連絡先
Copyright © 1999 - Navigate, Inc. All Rights Reserved.