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今このとき

更新 2010.01.15(作成 2010.01.15)

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第5章 苦闘 33. 今このとき

車から降りて見上げるその姿はレンガ塀越しに大屋根が迫ってきて存在感がある。オープンハウスのその家は、中に案内役を兼ねた留守番の別の営業マンがいて自由に中を確認することができた。
「いらっしゃいませ」
平田らが行くと愛想よく応対してくれた。
その物件は積水ハウスの家だった。1階は12畳のリビングとその奥に8畳の和室に1間の床の間や押入れが設えてある。玄関から奥に続く廊下の脇には洗面所やトイレ、風呂などがあり、その奥に8畳のダイニングキッチンがあった。その奥には押入れや箪笥置き場のある6畳の和室が続き間になっており、洗濯物をたたんだりアイロン掛けしたりと、奥さんの作業部屋として便利が良さそうである。
2階は7畳半の和室と7畳半と6畳の洋間があり、掃きだし窓の外はベランダで囲まれていて洗濯物やフトン干しに最高の日当たりだ。遠く広島の街越しに広島湾が見える。
平田は見るからにいい家だなと気に入った。積水ハウスは1mモジュールで1間は芯と芯の間が2mとなり、壁の厚みを考慮しても本間造りよりわずかに広い。この家も畳数以上に一部屋一部屋がゆったりとしている。
一通り見終わると、留守役の営業マンが自信たっぷりに薦めてきた。
「いかがでしょうか。いい家でしょう。これはお買い得だと思いますよ」
「ウーン。本当にいい家だね。だけどこんないい家がどうして売れないの。なにか訳ありですか」
「営業という面から言いますと、家というのは良すぎてもダメなんです。高くなるから普通の人には手が出せなくなる。普通の人はもう少し価格帯が下になります。これくらいの物件を軽く買えるような方はハイソサエティで新築を望まれる方が多いのです。収入もありますから、めったに売りも出てこないし買う人も少ないのがこのクラスという訳です」
「なるほどね。私も手が出そうにないからね」
留守役は話を変えるように窓からの開放感を強調しながら、
「どうですか。この日当たりの良さ。東南の角地ですから一日中陽が差しますよ」
住宅としては東南の角地は最適地だ。人気も値段もその分高い。
庭もまあまあ楽しめる広さがある。
「そうだね。しかし、やっぱり高くて手が出ないよ」
「ご予算はおいくらくらいですか」
「まあ、3千万円くらいまでかなと考えています」
「3千万ですか」留守役は考えるようなしぐさを見せながら続けて、
「さっきオーナー様から値下げの連絡が来ましてね。1割値下げされまして3,180万円になりました。いかがですか、考えてみられては」
「ウーン、あと180万か」平田は飛びつきたくなった。
「あまり私どもが言うのもなんですが、3,180万円でしたら今すぐ転売されても利益が出る価格になります。あと180万円でしたらご主人がお小遣いを少し我慢なされてもそれだけの価値ある買い物だと思いますよ」
横から平田の担当の営業マンも、
「いかかでしょう。一度奥様ともご相談なさってみては。一両日でしたら押さえておきますが」と薦めてきた。
「そうやな。家内が気に入るかどうかもあるしな」
「それではこうしましょうか。明日もう一度奥様とご一緒にご案内いたしましょう。それまで押さえておきますから。それでいかがでしょう」
営業マンはあくまでも誠意ある対応をしてくれる。

平田が帰って妻と相談すると、妻の言い分はこうだった。
「そんなに気に入ったんなら頑張ってみようよ。180万円はローンの中に組み入れることになると思うけど、ボーナスも入れて考えると月々の返済額が4、5千円増えるだけじゃない。小遣いを少し我慢してくれたらやれるかもよ」と、にっこり笑っている。平田は少し安心した。
「あそこだったら子供たちの通学定期代が要らないじゃない。その分ローンに回せばいいのよ」
なるほど。どこに金を使うかだ。B団地には妻が子供たちを行かせたいと言っていた公立の有名進学校がある。この家から徒歩3分である。
翌日、営業マンの案内でその物件を見た妻は大いに気に入った。
「この家はどんな人が住んでたんですか」平田は持ち主に興味が湧いた。
「平田さんたちもご存知だと思うんですが、県会議員のOさんのお宅なんです。ただ、選挙区が違うものですからこのたび地元に帰ることになって売りに出されたんです」
「ハーァ、あの人の。それでしっかりした造りなんやな」
「ご存知ですか」
「うち(我が社)の組合が選挙なんかで協力しています」
「どうして値下げになったんですか」代わって妻が聞いてみた。
「やはりあちらでも家を建てられるから、資金的に急がれるんじゃないでしょうかね」
「それじゃ、もう少し待ったらまだ下がるかね」今度は平田が計算高く尋ねた。
「いや、もう無理でしょう。これ以上下がったら他の人に取られますよ」
「もうチョット下がってくれたらいいんだけどな」なおも未練がましく食い下がった。
「それじゃ平田さん。これだったらどうですか。もし、ここで手を打ってくれたら私どもも仲介手数料を2%に値引きするよう上司と掛け合います。価格が高いだけに手数料も高額になりますから値引きしましょう」
「本当かね」平田は妻と顔を見合わせた。
妻は大きくうなずき、商談はその場でまとまった。
現在住んでいる家は不動産業を営んでいる釣り仲間が、田舎は物件が少ないからと平田らの希望価格より4割以上も高く転売してくれた。
こうして4月の新学期に間に合うよう3月中の引き渡しで話は進んだ。
仕事からの必要性、子供たちの学校の切り替わり、いい物件いい営業マンとの出会い、物件や仲介手数料の絶妙のタイミングの値下げ、いい仲間による家の売却。全ての条件が今この時しかないと平田らの背中を押した。
サラリーマンにとって、家とは一世一代の買い物である。焦って闇雲に買わなくても「今このとき」が必ず来る。

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