更新 2016.05.24(作成 2009.11.13)
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第5章 苦闘 27. 1人の力なんて
平田は、職能資格制度に関する本を何冊か読んだがなかなかピンとくるものがない。どれも職能要件書がどうのとか、賃金の昇給の仕方がどうのと技巧のみが強調されている気がして、それを一人ひとりの現場の社員に当てはめたとき、何が起きるのか、人がどう受け取ってどう変わっていくのか見通せなかった。それに資格(能力)、職位(昇進)、実績(成果)、賃金(処遇)、の不整合がどうしても腑に落ちなかった。
平田は、川岸に直接願い出た。
「あーぁ。どんどん行きんさい。言ってくるのが遅すぎるくらいや」川岸は二つ返事でOKしてくれた。
「高瀬課長が反対なんですよ。どうしましょうか」
「しゃーないよ。何を言っとるんかね」川岸は広島弁丸出しで高瀬を詰りながら、「高瀬課長」そう言って高瀬を手招きした。
「ヒーさんは制度構築に必死になってもらわねばならん。急がんといかん。必要とあればどんどんセミナーにも行ってもらう。のんびり研究する時間はないんだよ。そのつもりで頼む」
それだけで高瀬は納得した。
これを境に平田はほとんどノーチェックでセミナーなどへの参加ができるようになった。費用はそこそこに掛かるがそんなことには目を瞑り、そこから得られる成果のほうに川岸は大きな期待をした。
それは、川岸が人が学ぶということについて独特の考えをもっていたからである。自らが営業所長をしていたころも、何か新しい営業手法や販売システムが他社で開発されたと聞くと、その会社に頼み込んで体験営業を頼んだりした。もちろん同業者であったり同じ営業エリアでは許してくれまいが、遠く離れた会社であれば1営業マンくらいは受け入れてくれることもあった。川岸はいろいろな伝手(つて)や人脈をたどってその手法を勉強させに部下を送り込んだ。長いときは1週間とか10日とかになることもあった。そんな破天荒な発想も、会社、仕事のためならガムシャラになれる川岸にはけして不思議なことではなかった。そのほうが早いことを知っていたからである。
そんな発想の根本は川岸の独特の哲学からである。
「人間1人の力なんて知れている。人の知恵や力を頼まなくては大きな仕事はできない」と常々語っている。平田を人事に呼んだのも、『ト金会』の存在もそんな川岸の信念の表れである。有能で志ある者の力を結集していい仕事をする。その思いの持ち方はある意味将の器量といえるかもしれない。
高瀬も川岸の意図はすぐに理解できた。
“確かに今の人事の状況は呑気に勉強している余裕はない。一刻も早く制度整備に取り組まなければならない”川岸に忠告を受けて気がついた。
それでも、高瀬は面白くなかった。そうした状況認識において平田と川岸が同じ意識のレベルにあるのに対し、自分の考えがわずかな経費などに拘泥し形式の域から抜け切れていなかったことが悔しくてならなかった。ただ何とない不安が胸に広がった。それに、自分が却下したものを頭越しに川岸のところに直訴した平田の行いは自分の立場を蔑(ないがし)ろにする行為であり、平田に対する警戒心がおのずと芽生えてくる。心理の深層では、川岸の平田に対する入れ込みもやっかみの種になる。下手をすると自分に取って代わられかねない。
しかし、平田にはそんな高瀬の心情を慮る余裕はなかった。平田は仕事が一番なのである。仕事が上手くいき、会社が良くなるのであれば多少の人間関係の軋(きし)みなど無視して進んだ。
2人の間には徐々に目に見えない不信の亀裂が深まっていった。
バブル崩壊元年の平成2年も残すところ後わずかとなった日曜日の夕方である。今夜は冷え込みが強く雨から雪になるだろうとの予報で、平田は早めに帰宅した。日曜くらいは少しゆっくりしたかった。
急に冷え込んで、雨が雪に変わる瞬間というものは実に神秘的な現象が現れる。
スーッと落ちていた冷たい透明の雨が何かしら白っぽく感じられるようになる。でもまだ雨だ。その雨のスクリーンに雪の精がフッと息でも吹きかけて、そこのところだけが曇るように白いベールがチラッと走る。目の錯覚かと思えるほどの、網膜の残像にしか残らないほんの一瞬の出来事である。白い妖精が空中の雨の幕合いからほんのチョットこちらをのぞくようだ。その妖精がそこここにチラッ、チラッと現れだす。間合いがだんだん短くなる。まるで宙に舞うようだ。そして、もう雨では耐えられない限界を超えたその瞬間、フワーッと全面真っ白な花びらが天空に広がる。それまで矢のように早かった雨足が一斉に行き場を失い、雪に姿を変え空中にさまよい迷ってフワフワと漂う。大輪の大花火が空一面にパッと開きゆっくりと降ってくるあの感覚に似ている。
白い雪はほんの数十メートル上から降ってくる。どこから降ってくるかといくら目を凝らしてもその境はわからない。それは薄暗い無の世界から湧いてくる。手のひらで受けると手の温もりであっという間に解けてしまう。紙や布のようなもので受け止め虫眼鏡で観ると奇麗な結晶が見られる。この結晶は一つひとつ形が違い一つとして同じものがない。それでいて六角形は崩れない。大自然からの不思議のメッセージだ。
静かに深々(しんしん)と降るとき雪はポッカリと積もる。
雪が積もると世界が変わる。まず、見る間に世の中から音がなくなる。雪が音を吸収し静かな世界が生まれる。車のヘッドライトは引っ切りなしに流れているが音はしない。
次になくなるのが色である。雪の世界は墨絵の世界だ。木々の緑もカラフルな屋根の色も、田んぼの土色も、全て白と黒のモザイク模様だ。無色な静寂、それが雪の世界だ。
中国山地から山陰側の冬の天気は、どんよりとした雲が垂れ込める日が多くなかなか太陽が顔を出さない。しかし、こうした降り方をした後にはクッキリと晴れ間がのぞくことがある。その一瞬の晴れ間は、太陽の輝きに真っ白な新雪が煌めく眩いばかりの銀世界である。
可部という町は、豊かな時間が流れるそんなまほろばとでも言っておこうか。