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恩人

更新 2016.05.19(作成 2009.02.05)

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第4章 道程 28. 恩人

ブラックマンデーの傷も癒えた日本経済は、年号を平成と変えバブルの絶頂で踊っていた。
中国食品では山陰工場を閉鎖し、CB発行、25周年記念大会、本社移転と矢継ぎ早の政策をガムシャラに敢行しついには黒字化を成し遂げ、目まぐるしい変貌を遂げていた。
そのころ、後藤田はハローコープ社長に転出して4回目の夏を迎えた。
ハローコープは年間売り上げ10億、従業員28名の小さな会社だ。役員と管理職の4名は中国食品からの出向者で、監督職や一般職はプロパー社員がほとんどだった。
後藤田は人材も乏しい中そこそこの業績を出していた。後藤田は樋口のような豪腕ではない。規模も事業内容も中国食品に比ぶるべくもなく、経営政策の選択肢も限られた中で穏当な政策を採っていた。自分の就任期間もそう長くないだろうし、冒険したり思い切った政策は執れなかった。「本体に迷惑をかけない」それだけが後藤田の拘りだった。
そんな中、従業員との対話を重視し、コツコツと地道な事業活動を社員と歩んでいた。それがこれくらいの会社では一番有効な経営姿勢だった。1〜2千万円前後の利益だが毎期着実に計上し、中国食品へ配当していた。
平田は、7月の鮎が一番美味しいころになると毎夏獲れたての若鮎を後藤田のところに届けることにしていた。
入社で世話になり、組合活動ではマル水との橋渡しをしてもらい、人事に関する基本的考え方の教示を受け、生涯の恩人である。盆正月の付け届けはいやらしい。こうした心付けがちょうどいい。こういう繋がりはいつまでも関係維持ができる。
後藤田は平田が行くと殊の外喜んでくれた。最近では訪ねる者も少なくなったのであろう。「上がれ、上がれ」と歓待してくれた。
「息子たちが喜ぶんだよ。平田君の鮎は美味しいって、楽しみにしててね」
近くに息子さん夫婦が住んでいた。鮎が届くとお裾分けするのだろう。そう言われると止めるわけにもいかなかった。それに平田自身も後藤田と会うのは里帰りしたような何か温かい安心感があった。
「ところで、君たちの退任は急なことだったね」後藤田も不思議がっていた。一応の経緯は誰かに聞いたのか承知しているようだ。
「そうなんですよ。吉田さんはなにか言ってきませんか」
「うん。辞める前に一度来たかな。樋口さんとのことを言っていたよ。『どうも私たちが邪魔なようです』と」
「そうなんです。三役はみんな怒ったんですが、樋口さんはどうも自分の好きにしたいんだろうって。先に役員人事に介入したのは組合じゃないかと引き合いに出されて、それ以上抗し切れなかったようです」
「なるほど。それを引き合いにしたのか。さすがにしたたかだね」
「それで、『それじゃ任せてみよう。おかしくなればまたやればいい』ということになりまして」
「そうか」後藤田は感慨深そうにうなずいた。
「私が残らなかった意味もそれだったんだよ。残れば私も邪魔になって悲惨な冷戦状態になる。もちろん私に彼のやることを邪魔するつもりはないよ。だけど向こうが邪魔になる。私には組合が付いていると見られるし君たちの立場もおかしくなる。会社中が疑心暗鬼になって、何もかもつまずくことになっただろう。浮田さんだけが喜んだだろうね。そうなると正常化が遠のく。何のために樋口さんを呼んだかわからなくなる」
「本当にそうでした。あのときは専務に残ってほしいばっかりで、そこまで考えが及びませんでした」
「うん。あの時点でそれを言っても誰も理解できなかっただろう。実際そうなるかどうかもわからないし、私の意識過剰ということで一笑に付されるかもしれない。これは私と樋口さんの微妙な人間の相性のようなものだからな。正反対同志でいいと言う人もいるが、それはNo.2、No.3で競い合っているときの話だ。意識がもう一つ上にあるからね。それがトップ同士になると直接意識することになってうまくない。どちらかが自分を殺さなくてはいけない。それでは良さが生きない。意地を張ると窮屈なんだよ」後藤田は自嘲ぎみに漱石の「草枕」を引き合いに笑った。
“なるほど、そうなんだ”平田は後藤田の考えに感心した。
実際、樋口は野武士のような猛々しさがあり、後藤田は貴公子のような上品な清新さがあった。
「ところで君は今なにをしている」
「工場で品質管理をしています。本社に戻りたくて、浮田常務の下ではどうにもならないし会社を辞めようかと思ったこともありましたが、河原さんに怒られました」
「そうか。彼も君によく似たところがあるからな。ハッハッハッ」と往時を偲んで楽しそうに笑った。
「まあ、もう少しだ。浮田さんはそう長くはないよ。樋口さんはそんなに甘くない。いつ首にするか、虎視眈々と頂門の一針を狙っていると思うよ」
「はい。皆さんそう言われますが私には一日千秋です。会社のためにもそうあってほしいと思っています」
そこに奥さんがお茶と菓子を持ってやってきた。
「楽しそうですわね。主人がこんなに楽しそうに笑ったのは久しぶりですのよ」
昔の人らしく控えめで楚々とした物腰である。静かな話し方は、これが東京弁なのか上品な響きが美しい。
後藤田はやはり淋しかったのだろうか。久しぶりに笑ったという。平田は胸につまされるものがあった。
「あなた、あれ」と奥さんがなにやら念を押している。
「うん。そうだった」そう言って後藤田は奥から銅版製のレリーフを持ち出してきた。
「これなんだがね。実はある人から頂いた記念のものなんだよ。長いこと掛けたままにしていたものだから少し錆び浮いてきちゃってね。どうにかならないかと思っていたんだよ。私たちはこういうことに疎いからさ、君が来たら頼んでみようかと話していたところなんだよ。君は化け学出身だからなんとかなるかと思ってさ」
平田が手に取ってみるとかなり重い。横幅1m、縦80cmはあろうかと思われるかなり大きなもので、若い女性の凛とした姿が打ち抜いてある。大分長いこと放置されていたらしく、わずかだが所々に緑青が噴いてかなり黒ずんでいる。
「少し時間をいただけますか」
「ああ、いいとも。なんとかなりそうかね」
「大丈夫でしょう。こういうのはサビを落とす薬品があるんですよ。それで丁寧に磨けばピカピカになりますよ」
平田はきれいに磨いてやった。
こんなことや鮎などの礼に後藤田は時々昼飯をおごってくれたり、奥さんが趣味で作っている刺繍の額などをプレゼントしてくれたりした。
平田と後藤田のこうした関係はその後も続けられ、後藤田が完全に引退し晴耕雨読の日々から鬼籍に入るまで続いた。

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