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派閥

更新 2016.05.19(作成 2008.10.03)

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第4章 道程 16. 派閥

樋口は従業員のことには殊更意を注いだ。さりとて昇給や賞与で大盤振る舞いをし、従業員に媚びたり甘やかすようなことはけしてない。むしろ逆にシビアだった。例え1円の金を出すにもきちんとした議論がなかったら「もう一度交渉をやり直してこい」と突き返した。それは社員に対し、甘っちょろい考えでは通用しない、真剣に取り組めというメッセージであると同時に、人事担当者の教育の一環でもあった。
一方で次の役員の育成にも力を注いだ。それはターゲットを絞ってスパルタ式に行った。自分への忠誠心を試す狙いも込められている。
樋口は中国食品に赴任して以来、ボードの在り方について次のような考えを持っていた。
“マル水から役員が送られてくるのはもういい。生え抜きの役員を育てないと社員のやる気も腰折れてしまう。しかし、このまま人材不足の状態が続けばマル水からいつ次の役員が送り込まれてくるかわからない。組合も役員人事に平気で介入してくる不気味さを持っており、厄介な存在であることに変わりない。自分の政権基盤を確固たるものにするためにも、自ら鍛えたブレーンが早く欲しい”
そんな考えに拠っているのか、樋口の人材育成は次期役員候補と思しき部長クラスの何人かに的を絞って厳しく鍛えられた。
川岸もその一人だった。どんな事案も並大抵のことではOKが出ない。
人事のポリシーは貫かれているか。経営方針との整合はあるか。背景や経緯はどこまで知っているか。どこまで掘り下げて考えているか。関連する部署や事柄は?効果と影響は?などなど、徹底的に鍛えられた。こうした項目は物事を進めたり提案するときの基本的留意事項であるが、これまでそんな訓練を受けてこなかった中国食品の社員には大きなハードルだった。しかし、新しい発見ばかりで新鮮でもあった。そのため仕事に深みと面白さが加わり、みんな必死で付いていった。
また、他の役員への根回しなどもけしてサポートすることはなかった。自ら切り開かせ、喧嘩の仕方を覚えさせた。とりわけ労務部門は経営の中枢事項でありあらゆる部署との折衝が付きものだ。川岸は腹を括って聞き分けのない他部門の役員たちと厳しい折衝を粘り強く繰り返した。
この経験は川岸を逞しく鍛えた。川岸にとって大きな財産となり次期役員としての経営資質を実践で体得していくことができた。次第にタフネゴシェーターとして一目置かせる存在となり、押しも押されもせぬ実力者として社内の地歩を築かせていった。
また、川岸自身強い上昇志向の持ち主で、厳しい樋口のやり方にも必死で食らいついていった。
他に、営業の堀越洋一、総務の新田泰雄、製造の青野善伸などがその候補になっていた。いずれも先の社員面談で金丸と樋口が面談した連中である。樋口はそのときすでに彼らの気骨のようなものを感じ取っていたのかもしれない。
ただ、この連中は全て後藤田が選抜した者たちだ。後藤田は自ら一線を引いたが自分の志を彼らに託せないか、そんな思いが彼らを面談候補に選ばせた。

“一粒の麦地に落ちて死なずば唯一にてあらん”
一粒の麦も地に落ちなければたった一粒で終わってしまう。地に落ちてこそ次の新しいたくさんの芽が育つ。

後藤田の心境もこうだったろうか。平田は、どこかで読んだ一首を思い出した。
営業の堀越洋一は、かって後藤田に信頼され本社営業部の部長をしていた。その堀越を最大のライバル視していたのが人事部長の筒井だった。同期入社でお互い本社の部長を務めていた。2人は次期役員のポストをめぐってしのぎを削っていた。バランスを崩したのは一瞬の出来事だった。
数年前のことだ。後藤田が海外出張で留守にしている間に筒井は持ち前の狡猾さを発揮し、一計を凝らした。
小田、浮田らに「これは後藤田専務も了解されていることであります」と稟議を回し、堀越を地区部長に放出してしまったのだ。
堀越は生え抜きの中でもトップを走っており、営業センスもさることながら、人を優しく包む大らかさと落ち着いた人柄が広く社員の人望を集めていた。筒井にはそれが脅威だった。
しかし、逆に地区部長でいたため面談候補に選抜され、樋口の目に留まったとも言えた。今回の人事で再び本社営業部部長に返り咲いた。人生とは皮肉なものである。
製造の青野善伸は福山工場の工場長をしていたが、持ち前の合理主義のため浮田とは反りが合わず、疎んじられていた。このたび本社組織改革で輸送部が新設されたことに伴い、樋口がもう少し観察しやすいように近くに呼び戻したものだった。後藤田の魂は脈々と生き続けている。

 

樋口は毎夜のように飲みに出た。単身赴任の気軽さと自分の賄いのためである。安い小料理屋が主だ。そんなとき樋口は必ずこの4人の誰かをお供させた。教育の延長だろう。
この時点で中国食品に明確な派閥は存在していない。あるとすれば小田―浮田連合に迎合していた連中が、小田の失脚で連合が崩壊し拠りどころを失ったため、次のよすがを求めてあたふたしているところだ。もともとこの連中は理念や節操などというものは持ち合わせていない。あるのは誰が自分にとって都合がいいかという打算だけである。言わば吹き溜まりのカンナくずのようなもので、風の吹くほうに流されていく。それだけに離合集散は日常茶飯事だ。小田―浮田連合も、浮田一人では心許ない。トップに繋がっていればこその派閥力学であった。よそよそしく距離を置き始めた。
本来派閥というものは利害とか確執だけでなく、企業を経営する理念や方法論に対する社内の主導権争いの構図でもある。これらを抜きにした派閥構成は単なる利害関係の寄り合い所帯で野合だ。
派閥には、俺はこの派閥に入ろうと思って入れるものではない。入れる側にも派閥が目指す理念を理解するのか、派閥内で役に立つだけの実力が伴っているのか、秘密を保持できるのか、派閥の目指すものに向かって献身的努力ができるのか、といった踏み絵を用意している。それをクリアしなければ相手にされない。むしろ利用されるだけだ。
派閥に入ることは、うまくいっているときは大きなリターンが期待されるが、一度歯車が狂うと取り返しがつかない。正も負も振幅は大きい。派閥に入るのも大きな賭けだ。それに派閥に入ると誰でも偉くなれるというものでもない。やはり実力次第だ。派閥の力はその実力の保険程度にすぎない。人間を磨くことだ。それでないと、派閥の力で実力以上の地位を得たとしても誰も認めやしないし付いてこない。実力以上の負荷を背負ってかえって苦労するだけだ。そんな立身出世になんの意味がある。
そんなことを考えれば、できることならどの派閥にも属さないで自分の力だけで勝負したいものである。社内で一目置かれるだけの力と人間を磨いておれば逆にどこの派閥からも欲しがられるだろう。欲しいから派閥に入らなくても粗末には扱われない。結局長く生き残れて昇進も早かろう。

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