更新 2016.05.19(作成 2008.08.05)
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第4章 道程 10. 責任
説明会場に集まった顔は皆沈痛そのものだった。最初に一通りの説明を吉田が行った。川岸とほぼ同じ内容だったことと、雇用は絶対に守られるということに大方の者は一応の安堵感を持った。しかし、人というものは事情が洋服を着ているようなもので、さまざまな事情を抱えている。中には深刻な人もいて必死に訴えてくる。ついには恨み節になることもある。
工場のことは平田が一番よく知っているということで、質疑は平田が受け答えした。
「どうしても工場の存続は不可能なんですか」
「もともとこの工場は無理して造った経緯があります。それは皆さんが日々の活動の中で一番感じていたはずです。これ以上続けたら会社の存続そのものが危ぶまれます。辛いでしょうがここは一旦耐えて、再起を期待しましょう」
「そんな無理をしてなぜ造ったんですか。もしこの工場がなかったら、私たちはもっと早い段階で違う人生の選択をしていたはずです。今更取り返せないじゃないですか。どうしてくれるんですか」
一つの政策の誤りが多くの人を巻き込んで、その人生を狂わせている。平田は自分の生涯で初めて、一人の人間の強欲さがその裏でこれほど多くの人を苦しめるのかということを目の当たりにし、一歩誤ると自分もその片棒を担いでいたかもしれないことにゾッとした。
神様は人というものを欲深いものに造られた。人より安全に、人より豊かに、人より偉く、人より贅沢に、と貪欲に造られた。他の動物は己が基準で、自分の腹さえ満腹になればそれでいい。しかし、人間は他人よりという欲がある。欲があるのは人間だけだ。人間は、その欲をエネルギーに進歩し成長を遂げてきたが、そのために人間の社会では争いが絶えない。そこで人間は争いを未然に防ぐためにルールを作った。それを守らなければ社会は成り立たない。しかし、それすらなかなか守れない。欲のためである。では法を犯さなければそれでいいのだろうか。浮田は法の目を掻い潜って自分の飽くなき欲求を満たそうとした。しかし、それが許されないことは明らかであり、それは倫理であろう。
日々の何気ない人の営みがこんな形で多くの人生に影響している。そう考えると、人の仕事というものは目先のことだけをこなせばいいということではなく、将来にどう責任を取るかということではないだろうか。先のことはわからないよと言われるかもしれないが、一生懸命ひたすらに考え抜き、真実を見極め、やっぱりこれしかないというどこから突かれても揺るぎない最善手を出さなければいけない。しかもその最善手は、誰かの役に立つものでなくては意味がない。
端的な例が厚労省の年金問題だ。記録の改ざん、紛失、窓口担当者の掛け金の横領。目を覆いたくなる。グリーンピアや職業訓練施設などやたら箱物を造っては二束三文で叩き売る。私はそこに浮田と同じ臭いを感じる。将来の大事な年金資金だとは思わないのだろうか。彼らの責任はどこにあるのか。公僕として国家国民のために働くという志は無いものか。マンションの偽造問題も然りだ。ほんの少しの勇気と努力と真心があれば、今になって人の生命や財産を脅かさずに済んだはずだ。どれだけ多くの人が苦しまずに済んだことか。
今の日本は、政治家も、官僚も、民間も、個人も、日本全国総モラルハザードに陥っている。
地球の温暖化も将来に多くの悲劇を招きそうだ。洞爺湖では、あれだけ多くの世界中のリーダーが集まったが何一つ有効な手段が打ち出せない。自国の欲のためだろう。悲しい限りだ。
今、橋下大阪府知事が財政再建に取り組んでいるが多くの抵抗勢力に遭って難儀している。それぞれに事情はあるであろうが、付けを将来に持ち越すだけで問題は解決するのだろうか。自分の時代だけが良ければそれでいいという安易な考えをしていないか。ならば抵抗勢力たちは未来の府民にどう責任を取るつもりなのか、それを持って反対すべきではないだろうか。ニュースを見るたびにそう思う。
中国食品の悲劇も1人の役員の欲得からである。もし浮田が普通に経営判断していれば山陰工場の人たちは苦しまずに済んだのだ。
“仕事とは、責任である”
“だから俺があれほど反対したじゃないか”平田は、浮田への怒りが今更のように込みあげてくる。
「うん、それはあるでしょう。しかし、それだって必ずしも成功だったとは言えないかもしれません。そこで選択した会社が同じ運命をたどったかもわかりませんし、わが社だっていつ山陰工場を再建するかわかりません。いい人生だったかどうかは定年を迎えたとき、いやもっと後の人生を終えるときにしかわからないじゃないですか。それまでは精一杯生きてみましょうよ」
「私は田んぼや畑があります。親の面倒も見ています。子供も高校生で転勤は無理です。どうしたらいいんですか」40代の男性は半泣きの顔をして訴えてきた。切実な問題だ。がんじがらめの事情を背負って生きているのだ、泣きたくもなるだろう。平田は心が痛んだ。
「会社の考えは、他の工場でもいいという人は他の工場で、どうしても地元でないといけない人は営業をやってもらうということになっています。体力や性格的にどうしても営業が無理という人は、近隣の営業所で内勤業務をやってもらいます。ただしこれには数の制約があります」
「私たちだけが動かされるのは納得がいきません。他の工場の人は動かないんですか」
やはり出た。被害者意識とはこういうことだ。自分たちだけが不幸なのが許せない。他の工場の人間にも動いてもらいたい。
「はい。他の工場でも営業でいいという人には営業で頑張ってもらいます。全体で調整します」
「会社は転勤はしない、地元で働いてもらいますと言ったじゃないですか。組合は守ってくれないんですか」感情も高ぶり、会社への怒りがいつしか組合に向けられてくる。
「そういう話も聞いてはいます。しかしそれは、普通の状態ならばということだと思います。今は会社の存続が危ういのです。1,300名全員を不幸にするわけにはいかんでしょう。私たちも苦汁の選択をしたわけです」
「いいじゃないですか。つぶれるときは全員でつぶれましょうよ」もはや刹那的感情論だ。何を言っていいかわからないが、何か言わないと気が済まないから感情のままぶつけてくる。
しかし、平田は怯まなかった。
「いいえ、それは違う。全員で生き残ります」机の両端を握り締め、力強く言い返した。
「しかし、現実に転勤も営業もできない私たちは首になるのと同じじゃないですか」彼らも必死で食い下がってくる。
「そんなことはありません。しっかりしてください」平田は力を込めて叱咤した。
「ちょっと隣の工場に転勤するだけです。現にこの工場が立ち上がるとき、他の工場から転勤してきた人がたくさんいるじゃないですか。自分だけがと考えないほうがいいと思います」平田に叱られたことでみんなやや平常心を取り戻した。
「この責任は誰が取るんですか」やっと普通の質疑に戻った。
「無理な投資をして会社を経営不振に陥れた責任として、トップ2人が交代しました」
「私たちをこれだけ苦しめるんですから、製造部長も責任を取らにゃいかんでしょう」
「そのことは別途交渉しています。しかし、それで皆さんの処遇がどうなるというものでもないでしょう。今はしっかり自分の家庭の事情や体力、性格を考えて、転勤するのか、地元に残るのか、営業でもやれるのか、考えをまとめておくことです。1週間後くらいにもう一回面談に伺います。それまでにご家族としっかり相談してご自分の意見をまとめておいてください。今後の組合の活動の基礎にいたします。最終的には11月ころ意思確認に伺います」
こうして平田らは、山陰工場の人たちのやりきれなさ、切なさ、悔しさが複雑に入り混じった感情を真正面から受け止めた。
平田は話をしながら悔しさに何度も唇をかみ締めた。事業所閉鎖という初めての経験になんともいえない敗北感が平田の胸を惨めに支配した。
“事業所閉鎖とはなんと辛いことか”