更新 2008.01.25(作成 2008.01.25)
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第3章 動く 47.奇麗事では
「ご心配掛けて大変申し訳ありません。それでは説明させていただきます」後藤田は一通りの状況と見通しを報告し、業績不振を深く詫びた。
「ウーン、大変厳しいですな」もともと悪いという予測は立っていたし、サプライズはない。金丸は、そんなことは百も承知と眉ひとつ動かさず、沈痛な表情を見せていた。
「それでどうなんですか。この不振の根本的原因は何ですか」
「一つは、なんといっても販売が伸びないことによります。販売の伸びを期待して山陰に工場を造りましたが、活かしきれていません」後藤田はやはり、オブラートに包んで解説した。
「後藤田さん、もうそんな奇麗事では済まないように思うのですが、いかがですか。本当のところを話していただけませんか」
金丸は経営者の感覚で、これ以上放置しておくことは危険だと感じていた。
後藤田は、金丸の顔をマジマジと見つめ、この人は本気だと思った。
「金丸社長、それを私にお求めになりますか」
「うん、立場的に苦しいのはよくわかります。言いにくいこともあるでしょう。しかし、後藤田さん、あなたしかいないじゃないですか」
後藤田は少し間を置いた。そして、
“ここが一世一代の大勝負”と意を決した。
「社長。さっきお礼がしたいと言ってくださいました。そのお気持ちをいただけるのなら、私の願いを聞いていただけませんか。もし、無理だというのであればなかったことにさせていただくという前提で、お願いできませんでしょうか」後藤田は、真剣な眼差しで金丸を見つめた。
アウンの呼吸とはこういうことを言うのであろうか。ただならぬ後藤田の様子を感じ取った金丸も、
「いいでしょう。伺いましょう」と、後藤田を見返した。2人の間をピリピリとした張り詰めた空気が支配した。
後藤田は胸の高鳴りを覚えたが、“さぁ、ここからだ”と挫けそうになる自分を鼓舞した。
「うちの組合の委員長で吉田優作という者がおります。実は私、いつか金丸社長にお引き合わせすると彼に約束をしております」後藤田はとっさに嘘をついた。ここまで言って、金丸が機嫌を損ねていないかと注意深く金丸の顔色を伺った。
金丸は“断りもなく”と思ったが、そんなことを悟られるような器ではない。おくびにも出さずに静かに聞いていた。
「それはどうしてですか。委員長は何を言いたいのですか」
「恐らく、さっき社長が私にお尋ねになったことでしょう」
「うん。なるほど。だいたい飲み込めました。もっと詳しく話してくれませんか」
「はい。今年の3月株主総会の日でございます。……」後藤田は、一連のデモ騒動をかいつまんで説明した。
「それと今回の件とどう関係があるのですか」
「彼らは会社を良くしたいと一心に思っています。彼らの志のようなものです。そのためには、金丸社長に聞いてもらうしかないというのが彼らの言い分です。それがデモ騒動に発展した原因です。デモはなんとか食い止めましたが、彼らの志が宙に浮いたままです。加えて私も経営の端くれです。私が説明したのでは言い訳がましくなりますし、牽強付会になります」
「組合は組合として、業績説明は取締役専務としての務めではありませんか。お聞かせ願いませんか」
「この業績には私にも大いに責任があります。そんな私がいくら説明申し上げても、必ず自己弁護が入ります。そんな私に説明申し上げる資格はありません。ここは曲げてお願いいたします」
「しかし、親会社の社長が関係会社の組合幹部と会談するなんて聞いたことがないよ。前代未聞じゃないの」
「ごもっともです。私もずいぶん悩みました。しかし、わが社の現状は神風でも吹かないかぎりどうしようもないほど膠着しております。ところが、そんな風など吹くわけがありません。それで私も決心した次第です」
「しかし、デモをやるなんて少し過激すぎませんか。中国食品の組合ってどんな組合ですか」金丸は気乗りしない様子だ。
「アッ、これは止むに止まれぬ気持ちから起きた騒動であります。ここ2、3年業績が振るわないものですから彼らは危機感をつのらせております。合理化も心配しているようで、そんなことがこの騒動に発展した次第でして、むしろそこまで追い詰めた経営に責任があります」
「組合といえども人次第ですが、委員長は信頼できるのですか」
「考え方、志、人柄、誠実さ、どれを取っても間違いありません。私は信頼をおいております」
「大層、買いかぶっていますね。会社と組合とはどういう関係にあるの」後藤田が組合と結託していないかと疑っていることをわざとわからせるように、金丸は覗き込むようにジロリと後藤田を舐めた。もっともなことだ。うかうかと乗るような話じゃないし、一部の取締役と組合がつるんだ内紛劇はよくある話だからだ。
後藤田は脇の下にビッショリと汗をかいていた。そう疑われることは初めから予想していたが、いざその場に直面すると想像以上に寒々しかった。
「ごく普通の労使関係です。彼らは、決して策動家でもイデオロギーにかぶれた扇動家でもありません。ごく普通のまじめな人間です。こんな業績が振るわないときに、進んで組合を引き受ける熱いものも持っております」後藤田は必死に擁護した。そして、忍ばせていた辞表をそっと押し出した。いつ出そうかと考えていたのだが、今このタイミングしかなかった。
辞表を見た金丸は、じっと後藤田を見つめた。後藤田は緊張の極みにあった。
「そうですか。そこまで決心されてのことでしたか」
金丸は、「ウーン」と短く唸って腕組みをし、少しの間を置いた。
「そこまで考えていたのですか。しかし、これは収めてください。そこまで思いつめることはないでしょう」後藤田の誠意を確信して辞表を押し返した。
「いえいえ、これは是非受理願います。それでなくては私の筋目が立ち行きません」
金丸はやや考えて、
「わかりました。後藤田さんにも意地がおありでしょうから、一応これは私が預かっておきます。ただし、あくまでも預かっておくだけで受理とは違います。よろしいですね」と、辞表を胸に収めた。そうでもしないと押し問答が終わらないと思ったからだ。そんなことに拘泥するより吉田に会うか会わないかのほうがずっと大事だった。
「ありがとうございます」後藤田は深々と頭を下げた。そしてここが押し所と詰めに入った。
「先だってのお土産、気に入っていただけたようですが」
「はいはい。大変嬉しく思いました」金丸の表情が少し和んだが、さっき済ました話を改めて蒸し返す後藤田の意図を訝った。
「あれを準備してくれたのが吉田君です。空港まで持ってきてくれてました彼がそうです」
「ああ、あのときの」ちょっと考えるように宙を見た。金丸は、いかにも人が良さそうな印象だけを持っていた。
「そうでしたか」と、少し安心したようだ。
「長門出身なもので、地元のお土産なら彼に頼むのが一番確かだと思って彼に手配を頼みました。いかがでしょう。もし私の願いを聞いていただけるのでしたら、彼らからお聞きいただくのが一番のように思います。もし、お気に召さないようでしたらこの話はなかったことにしていただきます」
「それではあなたの立場がないでしょう。それになんだか根が深そうですね」金丸は、そこまで言って一息入れ、
「わかりました。さっきお礼をすると約束しましたし、会いましょう」と、意を決するように言い切った。
「ありがとうございます」後藤田は起立して頭を下げた。
金丸はどのように会うか、シチュエーションを考えた。
「こちらは、樋口専務と松本課長を連れていきます。日時場所は専務と相談して追って連絡します。そういうことでいいですかな」
2人を連れていくのは証人だ。彼(か)の人の言い分が単なる告発なのか、真理(まことり)なのかを見逃さぬためである。金丸は慎重な対応を忘れなかった。
また、相手が1人で来るか複数で来るか、それも試したかった。
吉田にはまさに試金石である。が、後藤田はついに金丸を動かした。彼の真心が大物社長の心を動かした瞬間である。