更新 2007.07.05(作成 2007.07.05)
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第3章 動く 27.癌
その響きは、まるで呪詛でもかけるように豊岡に浴びせかけられた。
「子供の遊びじゃないぞ。やると言ったら初志貫徹でやるべきだろう」
「それじゃなんですか。皆さんはこのままデモを続けろと言うんですか」
「やりゃいいじゃないか」
「何のために。“やること”が目的のデモなんてできませんよ。私たちはそんなデモには付き合えません」
「デモに付き合えと言ったのはあんたらじゃないか。俺たちは朝早くから遠くからやってきとるんだぜ。いきなり中止と言われても納得できるわけがないじゃないか」
豊岡はタジタジとなって、防戦一方となった。傍らにいる平田にも鋭い視線が飛んできた。
平田は豊岡からマイクを取り上げた。相手が代わると気分が変わったりすることがある。それが望みだった。
「それはよくわかります。しかしそれは私たちも同じです。ズーッと準備してきて、いろいろ考えて、交渉して、“さあ”ってとこなんですよ。だけど交渉は生き物なんです。夕べも遅くまで会社のキーマンと接触を持って、ギリギリまで交渉していました。それで会社が動いたんです。株主総会が終わったら上積み回答をすると言ってきました。そこで私たちは、このままデモをやって下手に態度を硬化させるより、ここはそれを待ったほうが得策だと考えたわけです」
「しかし、いくら出るかわからんじゃないか。0.1や0.2%もらったって割が合わんやろ」
「それはないと思います。感触では台替わりの回答だと思います。それくらいでないと私たちも考えますよ」
やはり相手が代わったことで気勢を削がれたのか、それとも台替わりという言葉に欲が出たのか、少し静かになった。
もう一度豊岡がマイクを取り返し、
「そういうことなんよ。しゃーないやないか」豊岡にも少しゆとりができてきた。圧倒的に営業出身者が多く、ほとんどが豊岡の仲間みたいな連中ばかりである。豊岡はいつの間にか日ごろのため口調になった。彼らは仕事の上でも何かと豊岡の世話になっており、気安い付き合いの連中だ。一旦腹を割って話すとわかりは早かった。
「よし、わかった。そこまで言うなら我慢しよう。その代わりしっかり取ってくれよ」ようやく話はついた。豊岡の人懐っこさが収めたようなものだった。後は、半ばピクニックにでも行くような雰囲気で本社広場に戻った。
本社では吉田らが出迎えた。平田はこの連中が吉田らの顔を見て、再び怒りを呼び覚まさないかとチョット心配だった。しかし、その心配は杞憂に終わった。バスから降りてくる現場の猛者たちは、吉田の顔を見ると肩を叩いたり、手を握ったり、懐かしそうに話し合っていた。みんな仲間みたいなものだった。
全員が揃ったところで、吉田があいさつした。このような場面では、小難しい御託を並べても誰も聞いちゃくれない。吉田は、ほんのあいさつ程度で終わらせた。
「みなさん、今日はお疲れさまです。急に予定変更になって驚かれたことと思いますが、交渉とはこんなものです。状況は一刻一刻変化しますので、柔軟に対応していきたいと思います。これからも頑張っていきますので、ヨロシクお願いしまーす」最後は、訴えるように大きな叫び声となった。
すると、期せずして「オー」と大きな返事が返ってきた。こぶしが突き立っていた。
続いて、作田が
「それではせっかくですから、会社に何か言いたいことがある人は前に出てきて言いましょう」と誘った。
「はい」「はい」何人かが間髪入れずに手を挙げた。
「じゃ、どうぞこちらでお願いします」一段高い木箱を手で指した。
今日は会社は休みだ。役員も株主総会で誰もいない。彼らもそのへんのところはよく承知している。レクレーション気分で気楽に言いたいことを言った。誰かご注進に及ぶ者がいないかなんてケチな勘繰りをする者はいない。大らかなもんだ。しかし、よく聞くと中身は辛辣なものばかりである。
「経営者とは、社員を幸せにしてこそ本物じゃないのか。自分だけが太っていいのか」
通りがかりの一般市民が、立ち止まって奇異な目で見つめている。
「責任は取るためにある。役員は責任を取ってやめろー」
「成り行き任せの経営なら俺でもできるー」
などなど、言いたい放題を並べてストレスを発散させた。執行部の連中も可笑しくて笑っている。
平田は、横にいた豊岡に
「いいガス抜きになったかもしれませんね」と、囁いた。
「そうよ、これで良かったんよ」と、なぜか豊岡は自慢げである。
弁当が配られて集会は解散となった。銘々仲間同士で集まってどこかへ出かけるらしい者など、三々五々帰っていった。
組合事務所に戻った執行部は、一様にホッとした顔付きをしている。
「なんとか治まりましたね。お疲れ様でした」
「本当、お疲れでしたね」吉田も、嬉しかったのかニコニコしている。
「後は会社の回答待ちですね」長瀬も、やっと決着したので安堵した様子で嬉しそうだった。
「どれくらい出るかですね」
「後藤田専務のことだから、よう考えて一番いいところで出てくると思うよ。考えてもしょうがないよ」吉田は、後藤田を信じきっているようだ。
「それじゃ、私たちも月曜に備えて帰りましょう」作田の誘いにみんなも腰を上げた。
彼らの張り詰めた思いから発展したデモ騒動は思わぬ展開で落着した。
帰りしな、平田は考えた。“みんな安心した様子で帰っていったが、こんなもんでいいのか”正常化という大命題に一歩も近づけなかった無念さが、平田の中に渦巻いた。
週明けの月曜日、今日は会社が回答をしてくるはずだ。準備に時間を要しているのか、まだ何も言ってこない。
組合事務所では闘争委員会のメンバーが、今か今かと待っている。
平田には、もう一つ気がかりなことがあった。それは、今日が妻の検査の日になっていたからである。二月ほど前から胸に変なシコリがあると言っていたが、まさか大したことはなかろうと放っておいた。それが、最近だんだんと大きくなってきて今やピンポン玉くらいあるという。大きくなるようでは不気味である。急いで市内の広島市民病院に検査に行かせたのだ。それが今日で、その結果が気がかりでならなかった。そんな心配を胸の片隅に置きながら、会社の回答を待っていた。
団交は1時からと連絡が入った。早めの昼食を取って待機することとなった。昼食を済ませた平田は、そろそろ連絡があってもいいころだと、電話機の前で待った。
ベルが鳴った。平田は反射的に手が伸びた。電話の声は妻からのものだった。すでに泣き声になっている。一気に黒い雲が平田の胸に広がった。
「家の者ですが、平田をお願いします」辛さに耐えて、やっと絞り出したような声だった。
「俺だ。どうだった」平田は、周りに聞こえないように小さな声で話した。
「乳癌だって」やっと聞き取れるほどの、今にも崩れ落ちそうな声だ。
平田の頭の中は真っ白になった。顔から血の気が引いていくのがわかった。あとはどう妻をなだめたのかわからない。
「とにかく家に帰ってくれ。俺も早く帰るようにする」平田は放心状態になった。
この当時、癌の研究は今日ほど進んでおらず、癌の診断は半ば死を宣告されたようなものだった。中でも乳癌は最も治りにくく、治癒率は20%程度と言われていた。
平田は幼い子供たちの顔が浮かんだ。もしものことがあったらと思うと、子供たちが不憫でならない。もう何も考えることができなかった。
平田は、抜け殻のような状態で団交に出た。