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集約

更新 2016.04.26(作成 2007.04.05)

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第3章 動く 18.集約

労使交渉の最中に、交渉窓口を外して三役と専務だけで話し合うなど異例のことだ。筒井は完全に宙に浮いてしまった。
「今回の交渉の最大のポイントは、山陰工場の無謀な投資の経営責任です。組合がここをあげつらって責任追及するのは簡単ですが、そうなると経営も構えて膠着してしまうでしょう。専務がガードされるのもわかります」吉田は、本音でぶつかっていった。
「ガードするとかじゃないんですが、経営には山も谷もあるということです」
「しかし、専務も今の会社が正常な状態にないということや、山陰工場は失敗だったかもしれないと薄々感じておられるはずです」
「……」
「このことは別の角度から取り組んでいきたいと思います。そのときには専務にも大きな役割を担っていただくことになるかもしれません」
吉田は一体何が言いたいのか、後藤田にはわからなかった。もちろん他の三役の理解も超えていた。吉田特有の壮大なシナリオを持っているのかもしれない。
「今回の交渉において大きな手違いがありました。もし、それがなければ争議は避けられたかもしれません。この責任は重大です」
「それは私も大変申し訳なく思っております」
「我々が正常化を真剣に考えているときに、片方で裏工作みたいなことをされたら疑心暗鬼が募るばかりで会社が信頼できなくなります。もし、専務が会社を本当に正常化したいと思われるんだったら、信頼できる窓口にしてください」
“なるほど、吉田はこれがしたかったのか”平田は納得した。
「筒井君も悪気があってしたとは思えませんが、少し思い上がりがあったかもしれません。そのことは考えさせてください」
「そのことを担保に取るわけではありませんが、我々もギリギリの決断に迫られています。もう一頑張りお願いできませんか」
三役一任を受けて、手ぶらで帰るわけにはいかない。みんなの付託になんとか応えたい。
後藤田もそんな吉田の立場を慮(おもんばか)ってなんとかしてやりたかった。
“ひょっとしたら、自分はこの男が好きなのかもしれない”そう思いながら、
「ウーン、そのことを言われると辛いものがあります。それではこうしましょう。さきほど1千万弱といいましたが、1円でも弱は弱です。限りなく1千万に近づけるというのではいけませんか。これはもう、相撲の徳俵のようのもので、これを割るわけにはいきません」
「逆に、1円でも1千万は1千万です。1千万を下回らないではいきませんか」吉田が、間髪入れずに切り替えした。
“うまい”平田は感心した。交渉のクライマックスは勢いだ。一瞬の気合で決まる。
1円2円など、専務の立場でどうにでもなるだろう。組合にとっても1円2円で、何ほどのことができるというものではないが、下部に伝わるメッセージとしては、インパクトがまるっきり違う。どちらが効果的かである。
「イヤー、兜を脱ぎました。それでいきましょう」後藤田は相好を崩し、椅子にもたれかかった。
交渉はこれで終わりですよ、という雰囲気を殊更醸し出すかのようで、平田は“さすがに役者がうまいなー”と思った。
「ありがとうございます。これで集約します」
2人は両手を握り締め、固く握手した。
こうして、新執行部の最初の交渉が終わった。

事務所への帰りがけ、
「最後は見事でしたね」平田が言うと、
「交渉とはこんなもんだと思います。何とか会社を良くしたいという一心です。一生懸命みんなのことを思ったら、何かいい知恵は浮かんでくるもんですよ」
他の三役は、自分たちが何か大きなものを得たような満足があった。
会社の正常化の妨げとなっていた君側の奸もなんとか排斥できそうだ。しかし、会社に巣食う最大の奸悪には手が届かなかった。
その年の賞与2.0カ月プラス査定部分は、何とか年末ギリギリの支給に間に合った。0.5カ月は翌年1月の月例給与と一緒に支払われた。越年の賞与支給など初めてのことだ。昭和59年12月16日のことだった。
次の定期人事異動で、筒井は企画開発室長へ異動となり、役員への任用も一旦キャンセルされ再審査となった。自らの存在感のためだけの画策は、その志のなさが故に手痛いしっぺ返しとなって返ってきた。
組合が人事に口を出したのは、後にも先にもこれが最初で最後だった。

事務所に帰ると、慌ただしかった。支部へ伝える要点をまとめ、緊急連絡をしなければならない。三六拒否中であり、支部にはもう誰もいないハズだ。ファックスになる。
坂本が緊急の速報のゲラを作った。

イメージ図

銘々の闘争委員は、支部へファックスを流したり支部長の自宅へ電話をかけたりして集約の要点を伝え、争議回避への一通りの手配を終えた。
その日は、集約したこともあり安堵感からそれで解散となった。
翌日、平田と作田は朝から賞与配分の計算式や原資の確認を会社側事務局と進め、妥結の手はずを整えた。
1時間もしないうちに事務局から協定書が届けられた。確認し、代表印を押して’84年年末一時金交渉は妥結した。妥結日は12月17日だった。
「皆さんお疲れ様でした。大変厳しい交渉でしたがよくやっていただいてありがとうございました。こうした厳しい時期は誰も役員なんかやりたがりません。実績が上がらない損な役回りになるからです。しかし、皆さんは選ばれました。これも何かの宿命だし、縁だと思います。皆さんだからこそ選ばれたのかもしれません。私たちの活動はやっと緒に就いたばかりです。もっともっと泥臭い活動になっていくと思いますが、今後ともよろしくお願いします」
吉田の最後のあいさつは、彼らしい思いのこもったものだった。
「最後に私のほうから、ブロックに帰られましたらブロック会議、支部会の日程を連絡ください。オルグが必要なところへは三役が行きますのでよろしくお願いします」書記長からの連絡事項である。
こうして、闘争委員会のメンバーは帰途に就いた。明日から通常の業務が待っている。この気持ちの切り替えが彼らに堪えるのだ。
彼らは、11月26日に回答を受けて今日までの3週間、会社の正常化という理念を掲げ、連日のように経営を論じてきた。それがある日を境に地味な通常業務に戻るのである。この落差は彼らの精神に大きなフラストレーションを与える。
大きな論点から小さな視点へ、理想の追求から現実との葛藤へ。
経営の一面をのぞくが故に、日常業務の努力が報われないという空しさも知る。知った上でなお努力しなければならないという切なさを痛感する。それが組合役員というやりがいの代償である。

中央委員会で活動報告の批准を受け、闘争委員会は解散となった。

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