更新 2016.04.26 (作成 2007.02.05)
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第3章 動く 12.裏工作
筒井は書記長と会議室にこもりしばらくは闘争委員会の様子などを聞いていたが、コーヒーを持ってきた女性社員が退室すると本題に入った。
「書記長、どうするかね。本当にこのままやるんかね」2人きりのときは職制の上下関係が頭をもたげ、ため口である。
「しょうがないやないですか。会社が経営責任をうやむやにして、賞与を出さんからですよ」
「しかしまあ会社がこんなだから、ここは大人になって会社に恩を売っておくのも悪くない選択肢だと思うがのう」
「冗談じゃないですよ。恩を売るとか売らんとか、我々はあなたたちのメンツのためにやっているわけじゃないですよ。今賞与はどうあるべきか、賞与を通じて組合員に何をメッセージするかを考えているんです。そんな駆け引きを皆が聞いたら怒りますよ」
「だから2人きりで話しとるんよ。そういうふうに引っ張っていってくれんかね。お前たちの骨は俺が拾うよ」
「絶対だめです。それじゃ馴れ合いになってまた会社がおかしくなります」潔癖な作田は、こうした裏取引を極端に嫌う。
「最終的には握手料くらい俺が何とか会社から引き出すから、そうすれば組合の顔も立つだろう」
「お断りします。そんなことより我々の主張をしっかり会社に伝え、賞与原資を引き出してください。それが部長の本来の仕事でしょう」
「そんなことを言ったって、俺もサラリーマンやからな。言えることと言えないことがあるよ」
「何を言いよるんですか。男でしょう。首を掛けてでも会社を説得するようでないと、何事も解決しやしませんよ」
「今まではちゃんとやってきたやないか」
「そんなやり方だから会社がおかしくなっとるんですよ。それじゃなんですか、これまでの我々の主張は会社に伝わってないんですか」
「いや、そんなことはないよ。ちゃんと言ってあるが、それ以上のことは会社が決めることだからな」
「情けないですね。とにかくそんな話には乗れません」作田は筒井の提案を一蹴した。
筒井の本性が出た出来事だった。作田は事務所に帰りながらこのことを自分だけの腹に収めようとか考えたが、吉田にだけはそっと耳打ちしておいた。
筒井のシナリオは、
「2.3カ月で概ね土俵に乗せ争議回避料として0.1カ月を会社から引き出したことにして集約の方向に持っていき、最後の三役交渉で0.1カ月を握手料として出す。一両日は三六拒否も致し方なし。難しい局面をよく解決したとお褒めをいただくためには、そのほうがより効果的だ。そうなると来年あたり役員の椅子もあながち夢ではなくなる」というものだった。筒井は、全員が争議回避のために知恵を絞っているときに、2、3日販売が落ちることなど全く意に介さず、自らの存在感を高めることだけが全てだった。
しかし、作田にあっさりと袖にされ、臍を噛んだ。
いよいよ争議の当日になった。朝から会社全体が慌ただしい雰囲気に包まれた。
闘争委員会のメンバーは組合事務所に詰め、支部からの問い合わせやいろんなトラブルへの対応の仕方などを連絡していた。
昼食を終え、コーヒーを飲んでいるとき河村がひょっこり顔を出した。
「コンチハ」河村を見たメンバーがあいさつした。
「闘争委員会って書いてあるから私が中に入るわけにはいかんだろうからここから失礼するが、三役の人とちょっとお話がしたくてね」
「あ、いいですよ。隣の会議室を借りましょう」と、書記長が近くの電算室の会議室を借りるべく小走りに出て行った。
河村はドアのところから、
「皆さんご苦労様です。ちょっとお邪魔するよ」と皆にあいさつして出て行った。
書記長の後を追うように、河村と残りの三役は電算室の会議室へと向かった。わずかな距離だが、何の話かとみんな胸を高鳴らせ無言で歩いた。
会議室では、河村を正面にして長机を挟んで向かい合った。
「先日はご馳走さまでした。ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。貴重なご意見を聞かせてもらってありがたく思っています」
「ところで今日はどうされたんですか」
「うん。実はな、争議のことだけど本当にやるんかね。というのも今プロモーション打っているだろう。このまま争議に入ったら取り返しがつかんようになると思うんだよ。だってそうだろ、ディーラーさんは期待して待っているところへ、『いやー、争議で行けません』なんてことになったら、怒るだろうと思うんだよ。俺たちを裏切るのかって、信頼関係は一気に壊れてしまうよ。俺が首を突っ込むのはおかしいが、できたら回避してほしいというお願いです。これ以上市場を荒らしたくないんだよ」河村はお客を大事にしたいという一心で真剣に訴えた。
「だってしょうがないやないですか。いきなり固定部分をカットされて、経営の責任はうやむやのままですから」作田が説明した。こういうときは真っ先に自分が表に出なければいけないと思っている。委員長にはあまりしゃべらさないほうがいいのだ。
「しかし、これ以上営業の足を引っ張ったら、ますます赤字が膨らむことになってかえって賞与は出しにくくなると思うがね」
「会社は組合の言い分を聞いているんですか」
「どういうことかね。赤字になった責任をハッキリさせろということだろ」
「そうじゃないですよ。こんな状態になった根本的原因は何かを明確にしてほしいのです。経営戦略としてやったというのなら経営が責任持って解決すべきで、固定部分を削るのはおかしいでしょう。固定部分を削るのも経営戦略ですか、と言っています。負担だけ組合員に押し付けるのは筋が通りません」
「うん、なるほどね。全くそのとおりだ。筋が通っている。しかし、現実に赤字で賞与原資が捻出できないんだよ」
「だったら、経営のほうでも責任を取るべきじゃないですか。経営は誰も責任取らんやないですか」
「経営の責任としてやったというのなら、まずここを100%支給するようにしてください。そこがスタートでしょう」
「出すようになったじゃないか」
「なってないじゃないですか、2.3カ月しか戻ってないやないですか」
「おれは担当じゃないからわからないが2.5カ月になっていると思うよ。役員会ではそう決定しているよ。」
「本当ですか」三役全員が声を揃えて驚いた。
「もしかしたらこれは交渉のテクニックだったかな。つまらないことをしゃべったかもしれない。これは拙かったな。聞かなかったことにしてくれんかね」
「大丈夫です。でも大事なことを聞きました。なるほどね。それですべてが読めました。小賢しい手を使うね」吉田は昨日の作田の打ち明け話と結びつけ、一人合点した。作田も微かにうなづいた。
「どういうことね」豊岡が吉田に尋ねた。
「今までと何も変わってないということよ。従来どおりのやり方で解決しようということよ」と、吉田は薄笑いを浮かべながら答えた。
意味がわからない河村は、自分が会社の決定を漏らしたことで交渉が会社に不利に働くかもしれないと心配になり、黙って様子をうかがった。