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恩人の影

更新 2016.04.13 (作成 2005.12.15)

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第2章 雌伏のとき 7.恩人の影

平田を迷わせるもう一つの理由があった。それは後藤田敬介の存在である。
後藤田は、親会社のマル水食品で取締役九州支社長を経て、中国食品に専務取締役として送り込まれてきていた。
小田靖男が主に営業部門を、後藤田敬介が管理部門を見るというわけであった。
マル水食品株式会社は、中国食品株式会社の株式を51%保有する筆頭株主である。中国食品設立時には75%を保有していたが、中国食品が大阪証券取引所に株式を上場するにあたり保有株式を放出して、現在は51%になっている。
後藤田は、主に総務人事部門を担当し社員からの信頼も厚く慕う人間は多かった。
180cm近い身長はすらっとしており、人柄も温厚で物腰の柔らかいスマートな紳士然としていた。常に冷静沈着で話も噛んで含めるようにゆっくりとわかりやすかった。陰謀や権謀術策を労するようなこともなく、むしろ純粋すぎるくらい高貴な気品があった。
もう少し野心があれば社長にもなれたであろうにと、平田はいつも下世話な推測をするのであった。

平田は、中国食品に入社するとき、仕事上の繋がりで実兄がこの後藤田啓介と関係があったことから、その紹介で入社したいきさつがあった。
その恩ある専務に弓を引くことにならないか。そのことが気がかりでならなかった。
「後藤田専務は今の会社の状況をどう考えているのであろうか。もし俺がこの企てに参加したらどう思うだろうか」そんなことが頭の中で駆け巡り、豊岡は熱く誘ってくるがなかなか決断できない。
そもそも、大恩人が労務担当重役をしていて組合との関係にも日夜辛苦されているのに、その組合を対立あるいは分裂させるかもわからないような問題行動がありか。人間として道義に悖(もと)らないか。悩ましい限りであった。

読者の皆さんだったらどう思うだろうか。
「会社を立て直そうとする心意気や見事。大いにやるべし。恩人も喜んでくれるはず」の積極派か。
「大恩人の労務担当重役に泥をかけるようなことはすべきでない。常識を欠いている」の穏健派か。
はたまた、「自分のサラリーマン人生に、そんなリスキーな選択肢はもともとない」と事なかれ主義か。
賛否両論いろいろあろうが、それぞれの考え方生き方である。どちらが正しいという議論は無意味であろう。
もちろん会社の状況にもよる。会社が順調なときと窮状に瀕しているときでは「立ち上がる」という決断に大きく影響するであろう。
結局は後藤田専務の器量ひとつで、平田の評価が違ってくるということだ。
経営者として現状を憂え、何とかしたいと考えているところへ「憂国の志士たちが立ち上がってくれた。この会社もまだまだ捨てたものではない」と心強く思うか。
それとも、「そのうち状況が変わり何とかなるだろう。問題を大げさに荒げて、波風を立てることもなかろう。面倒なことだ」と迷惑に考えるか。
もちろん、平田に後藤田専務の器量など読めるはずがない。相手は社内ナンバーツーの重役である。齡50半ばの人生の大先輩でもある。格が違い過ぎる。
平田がその答えに出会うのは、ずっと後のことである。
それでも平田は、このクーデターに加担するほうへと動かされてしまうのである。
人を動かす‘力’とは一体何なのであろうか。

それにしても豊岡はなぜこうも迷いなく走れるのであろうか。なぜこんなに自信に満ちて説得できるのだろう。いつも温厚な豊岡からは考えられないと平田には不思議であった。
「それで、俺に何をしろと言うんですか」平田は聞いた。
豊岡は、「まだ絶対に人に言うなよ」と念押ししながら新しい執行部体制について語り始めた。
執行委員長………吉田優作
副執行委員長……豊岡信行、平田浩之
書記長……………作田耕平
執行委員…………製造部門1名、営業部門4名、本社管理部門1名
会計………………1名

合計11名の組閣案ができているようであった。
「副執行委員長をやってくれ」
やっと、おぼろげながら全貌が見えてきた。
しかし、平田は吉田優作と作田耕平なる両人物の人となりについて、あまりよく知らないでいた。
当時、会社は既に1,300人を超える規模に成長しており、この2人は営業所に所属していたので製造部門の管理セクションにいる平田には縁遠い存在だったのである。
平田が中央委員会の議長をしているころ、吉田と作田はブロック代表で中央委員会に出席していたので顔と名前くらいは知っていたが、そのころはまだあまり目立った存在ではなかった。
豊岡は営業部にいたため仕事の関係でよく接触していたようである。
平田は議長をしていたため否が応にも目立つ。吉田と作田にしてみればよく知っているということになるのであろう。
しかし、それだけでは人となりについては理解できないはずであり、まして大事なクーデター組閣の一員に入れるなど通常では考えられない。
なぜこうまで買いかぶっているのだろうか。それがわからなければ不気味でしょうがない。

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