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きざはし

更新 2016.04.13 (作成 2005.11.25)

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第2章 雌伏のとき 5.きざはし

販売不振と山陰工場の償却負担が重くのしかかり、2年目の今年はついにごまかしがきかなくなった。さらには前年度の決算対策のツケが今年に回り、赤字転落が確実な状況に陥っている。会社の業績というものは、一度歯車が狂い始めると止めようがない。まるでつるべ落としのようにストンと堕ちていく。
平田はこうなることを何度もシミュレーションし、この投資を止めさせようと浮田常務と再三にわたって議論をしてきたのであるが、ついに受け入れてもらえなかったと言う悔しい思いの経緯があった。
この話になるたびに、忸怩(じくじ)たる思いが込み上げてくるのはそのためである。
必死に力説したがついになし得ず、残ったのは浮田との気まずい確執だけだった。
浮田は、小田社長との約束や山本を追い出したいとの思惑を実現したいがために、山陰工場建設を利用したのだ。権力者が大きな政策を誤ると悲惨な結果を生む。部下がどんなにあがいても補いきれない。戦略のミスは戦術でカバーしきれない。

こうした会社の惨状にたまりかねた豊岡たちは何かを企んでいるようである。そんなこととは露知らず、何か面白いことでもあるのかなと豊岡の呼び出しに気楽に応じ平田は喫茶店まで付いてきたのである。
なかなか本音を言わなかった豊岡であるが、とんでもないことを言い始めた。
「会社を変えたいと思わないか。俺たちで新しい組合を作ってそっちから会社を動かそうや。今の組合は会社べったりでその力もその気もないからだめなんじゃよ」
「組合を作るって、今の組合を分裂させるわけ?それは力を分断するし運営も二重の労力が必要だし、会社の組織をさらに疲弊させるのであまり賛成しかねるよ」平田は驚いて反論した。
「そうじゃなくて、今の執行部を降ろして俺たちがやるんよ。もうじき選挙じゃろーが」
現執行部に対するクーデターである。と同時に会社に対するクーデターでもある。
「降ろすと言ったってどうやって降ろすかね。彼らが降りるもんですか。会社とべったり手を組んどるじゃないね」
「だから、俺たちが降ろすのよ」
「どうやって」
「それは俺たちの体制を作って、皆で考えるのよ」
「そんなー。まだ見通しも立っとらんのに俺は嫌だよ」
「まず、体制作りが先やないか。お前が入らんと成り立たんのよ」

“今の執行部を降ろすと言ったって、難しいぞ”
彼らだってせっかくやっている執行部である。そうすんなりと降りるとは考えられなかった。もし対立ということになると、現執行部と新執行部候補群との泥仕合である。
個人と個人がいがみ合う分には会社として大した影響はない。せいぜい飲みの席で陰口を吹聴するか、会議や仕事上で足の引っ張り合いをするくらいである。役員クラスではよくある話である。
しかし、組織と組織が対立するようなことになると大変である。
お互いにフェアな活動をするとは考えられない。生き残りを賭けたデスマッチになる。単純に政権を交代するだけでは終わらない。サラリーマン人生の全てが懸かることになるからである。
勝ったほうは負けたほうに対し、二度と立ち上がれぬように徹底的につぶしにかかるであろうし、会社も勝った政権との関係をこじらせないため負けたほうに救いの手を差し延べるようなことはしない。むしろ勝ったほうと手を結ぶことになるであろう。
他の従業員たちも会社と組合の2つの組織から睨まれるのを恐れて近寄らない。
敗れたほうは従業員からも会社からもボイコットされ、社内で生きていくことが極めて難しくなる。
それがわかっているだけに組合の対立抗争は悲惨を極め、泥沼化することが多い。組合が2つある会社ではよく見かける話である。
平田自身は、気も強く負けん気も旺盛であるが争いごとは決して好きではなかった。歯に衣着せぬ言い方もするが喧嘩が好きなわけではない。
豊岡の言う組合抗争なんかに巻き込まれるのはごめんこうむりたい。
製造部での生活は面白くないし先行きも見通しは立たないが、組合の新執行部を作ることと結びつけるのにはいまいちピンとこなかった。
基本的には平穏な生活を送っているのである。まずもって心の準備ができていない。鏡のような池にいきなり大きな石を投げ込まれたようなものである。
できることなら双方話合いで解決してほしい心境である。
と言っても一体誰と誰が話し合うのかわからない。少なくとも自分ではない。ややもするとまるで自分も渦中の人であるかのような錯覚に陥るのが不思議であった。
人の出処進退は、「人は時の要請で出征し、引退は自らの決断で行うものである」と言われているが、こうした熱血的闘士が出てくること自体会社に何かが起きようとしている「陛(きざはし)」ではないだろうか。
2年前、浮田の思惑という会社転落の「陛」があり、今またそれを変えようとする「陛」が生まれようとしているのだろうか。
平田は、薄暗い朝の喫茶店から窓の外に目をやった。初夏の朝日がまばゆく輝いている。会社が変われば自分の境遇もひょっとすると新展望が開けるかもしれない、と一筋の希望が見えるような気がした。

「なあ、頼むけやってくれ」豊岡は頭を下げた。

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