更新 2016.04.14 (作成 2016.04.18)
| 正気堂々Top |
第2章 雌伏のとき 13.必死
通常の、円満な役員交代での誘いならば名誉なことであろうが、今回はなにやらきな臭いものを感じるから素直に受け止められない。
横から書記長役の作田耕平が言った。
「平田さん、一緒にやりましょうね。俺たちしかおらんじゃないですか」
作田だけはまだ遠慮があったのか、平田より年上であるにもかかわらずさん付けで呼んだ。
「それに平田さんがやってくれんかったら、賃金部長をやれる人がおらんのですよ。そしたら我々の組閣が成り立たんようになるんですよ」
「そんなことあるもんか。人ならいくらでもいるよ」
「平田さん以外に誰がおるっちゅうんですか。周りをよう見てくださいよ」
「誰かおるじゃろ」
「それじゃ、平田さんが推薦できる人を挙げてみてください」
平田は少し考えた。しかし、確かにいない。平田が知る限りではこういうときに推せる人間は豊岡と荻野しかいなかった。その一人は平田を誘う張本人である。荻野は抜群の頭脳と固い信念を併せ持つ人間であったが、表舞台に出るタイプではなかった。荻野は肝(はら)も据わっており何に対しても深く物を考えていた。将来は大物になるなと平田は一目置いていたが、目立ったり人と違った行動をとるのを最も嫌った。地道に王道を極めていく人間だった。
平田が考え込んでいると、作田が急かすように言った。
「やっぱりおらんでしょうが。お願いしますよ。やってください」
「難しいよ。俺にはそんな大役は務まらんよ。組合のことも賃金のこともまるっきりわからんよ」
「それは僕たちも一緒です」吉田が言った。
「だけど、ヒーさんとだったら一緒に勉強していけそうな気がするんです」
豊岡も追い討ちを掛けてきた。
「今の人事制度を見てみ。ぐちゃぐちゃやんか。賃金制度も評価制度も何もないやないか」
「会社ができんものを俺にできるわけがないやないね」平田も必死で言い返した。
「確かに、制度は会社がやらにゃできんよね。だけど、組合は要求という形で会社を動かすことができると思うのです。今の会社も組合も全てにおいて問題の認識がなってないと思うのです。だから良くしようという気がない。何となく他社のまねをして、漠然と要求して馴れ合いのうちに解決されていくじゃないですか。是々非々をきちんと議論するようにしていかないとだめですよ。ヒーさんなら会社を動かす何か新しい論理構成というか、材料を考えてくれそうなそんな気がするんです」
吉田は、丁寧な言い方で期待を込めて言った。
“なるほど”誘う理由はわかったが、まだ十分条件ではない。
「そんなぁ。それはあなたたちの勝手ですよ。俺にそんな大それたことができるわけがないやないね」
「平田よ、本当に今のままでいいと思うか。これを変えられるんはお前しかおらんのよね。なんか新しいロジックを考えてくれや」豊岡も付け足して言った。
「チョット待ってよ。制度の問題もあるけど、会社がおかしいのは経営陣やそれに対する組合の姿勢の問題でしょう。それだったらあんたたちが新しい組合を作って、そっちから押せばいいやろ。それと、俺が賃金部長をやらなければならない必然的理由と結びつかんよ」
平田にとっては、やる気にならない理由の核心である。
吉田は、丁寧な言い方をさらに続けて言った。
「そうですね。そこが納得できなきゃいけませんよね。それではお話ししましょう」吉田は一呼吸おいた。
「会社がおかしい。それを容認している組合もおかしい。これを変えなければ会社がダメになるということはわかってもらえると思います。会社を変えるために組合を変えたいんです。だけどそんなことは表立って言えない。辛いところです」
「……」
「その新しい組合にも賃金部長は必要なのです。それも、さっき豊岡さんが言ったように、今までにないとびっきりの逸材が……。」
吉田は、平田を持ち上げるように言ったが、そんなおだてにのるような平田ではない。むしろ、おだてられるのはあまり好きではなかった。
「賃金問題は組合の根幹となる活動の一つです。ここの論理構成が弱いと締まらない組合になってしまいます。
組閣は、頭数さえ揃えれば成り立ちますが、烏合の衆になってしまって格調高くとはならないでしょう。だから僕たちのこの志をわかってくれて、賃金部長をできる人と言ったらヒーさんしかおらんのです」
“なるほど、そういうことか。組合も数で押せばいいってもんじゃないからな。理論派が欲しいわけか。しかし、骨の折れる仕事だぞ”理由は飲み込んだが、竦(すく)む思いである。
「お前にできんかったら誰ができるっち言うんね。お前がやらないけんのよね」豊岡が口を挟んだ。
「ヒーさん、お願いします。一緒にやってください。このままだと本当に会社はだめになりますよ」吉田も必死である。
豊岡たちの猛攻にたまりかねた平田は、人にはあまり言いたくなかったのであるが、仕方なく入社時に後藤田専務に世話になった経緯を話した。
「そんな訳で、後藤田専務に恩を仇で返すようなことはできんのよ」
「ヒーさん、そんなことは心配せんでいいよ」吉田が言った。
「志が高ければ後藤田専務だってわかってくれるよ。今の状態でいいとは専務だって決して思ってないよ。俺たちの考えをわかってくれたらきっと喜んでだと思うよ」
「心配せんでいいよ」という言い方に平田は“あれっ”と不思議な感情を持った。既に専務と意思を通じ合っているかのような口ぶりである。しかも、平田を仲間に入れることも既に了解が得られているかのようである。
しかし吉田優作は、平田のそんな心の違和感には頓着せず、じっと見つめている。さっきまでの笑顔から真剣な眼差しになっている。