更新 2016.04.01 (作成 2005.08.05)
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第1章 転機 19.ストレス解消
平田は、5時半の退社時間が来ると一番に会社を飛び出した。
「こんなくしゃくしゃした気分のときは、マージャンもパチンコも絶対負けるな。久しぶりに早く帰って子供と遊ぶか」
野木と話をし、日がな一日暇つぶしをした平田は‘白黒’を散々こき下ろしたことで多少溜飲を下げた。気分もだいぶスッキリした。
平田には、3歳の女の子と生後8カ月の男の子がいる。妻が賢くというか上手に育ててくれていたから、どちらも健康で素直に育っていた。
「ただいまー」
平田の声に子供たちは玄関まで飛び出してきた。走ってきては、平田めがけて飛びついてくる。下の男の子はまだ這い這いしかできないから、お姉ちゃんに負けまいとワーワー言いながら必死で後を追ってくる。一気ににぎやかになった。
玄関から居間まで、2人を両手に抱きかかえて入った平田は着替えを済ませ、お馬さんごっこや相撲をして一頻(しき)り遊んでやり、子供と一緒に風呂に入った。妻は夕飯の支度をしながらニコニコして見ている。至福のひとときである。
子煩悩の平田は、目に入れても痛くないほど可愛くて仕方がない。子供と遊ぶのが何よりも楽しみだった。
平田は、人は何のために働くかということについて、“結局誰かのために働くのだな”と思っている。
家庭においてはこの子たちのために俺は働いているのだと思う。誰のためかといってこんな確かな手応えはない。
会社においては会社のため、社員のために何とか役に立ちたいと思う。誰からも当てにされなかったらこんな寂しいことはない。
平田は、“子育ては、盆栽造りの心に似ている”と思っている。
しっかりと根(基本的学力や人格)を作ってやらないといい木にならない。
いい幹や枝は添え木をし、愛情という肥料でたくましく育てる。
水をやりすぎても根腐れするように、あれやこれやと構いすぎても軟弱なものになってしまう。かと言って放任してもいけない。せっかくいい姿の力強い幹を持った盆栽も、悪い枝が出たために全く価値のないものになってしまうことだってある。小さなうちに摘むか、矯正しておかなければならない。子育てというのはまことに、親の愛情という土壌に育つ芸術作品であろう。
躾にはある程度の厳しさを伴う。叱ることは親として可哀そうの情が起きるが、常識やマナーなど何も身に付けないまま大人になって社会の波にもまれることのほうがよほど可哀想ではないか。子供が自立でき、社会で通用する人間に育てるのが本当の親の愛情ではないだろうか。
そう思って平田は、いくつかの子育て方法を実行していた。
と言っても、特に難しいことをしているわけではない。‘けじめ’をはっきりとつけているだけのことである。
子供が小さいころの育て方として、何かの本で読んだ平田は、これを実行していた。
夜の8時までに寝せなければならないから、結構忙しい。
めったに遊んでもらえないお父さんと思いっきり遊んだ子供たちは、満足して8時に寝た。
平田自身も無邪気に汗をかいたことで昼間の息が詰まるようなやるせなさをいくらかでも忘れることができた。
平田は、会社での行事や出来事は妻にも話すが仕事のことはほとんど話さない。苦労している姿など見せたくなかった。どんなに苦しくても歯を食いしばり、じっと耐えるのが男のダンディズムだと思っている。
子供たちが寝てしまい妻が後片付けに忙しくしている間、一人になった平田はテレビをつけてはいるがほとんど目に入らず、海に想いを馳せていた。
青く広い海は見ているだけで全てが忘れられる。釣りに行くたびに思うことである。一応釣り糸は垂れてはいるが海を見るだけで心が洗われ、生き返る思いがするのである。広い海を見ていると男のロマンを感じる。
平田には、なくてはならないストレス解消の方法である。
好きな釣りに夢中になることで全ての雑念が振り払われる。
“今度の休みは釣りに行くか”前回行った浜田のポイントの情景が思い出された。童心にかえり、仕掛けや餌への工夫を思い描いていると居ても立っても居られなくなってきた。
「よし、行こう」
そう決断すると、不思議と元気が回復してきた。