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浮かぶ瀬もある

更新 2015.12.04(作成 2015.12.04)

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第7章 新生 80.浮かぶ瀬もある

平田は、再び人生の岐路に立った
“自分の足で歩きたい。会社という枠組みに頼らず、自分の働きたい働き方がしたい”
心の底で魂がそう叫んでいた。
しかし、会社という組織を捨てて何が出来る。自分には世の中に通用するだけの財産もなければ信用もない。まだ会社を捨てるわけにはいかなかった。もう少し会社という世の中の仕組みを頼らなければ生きていけない。ならば会社の中で自分らしい働き方が出来ないものか。そんな会社がどこかにないだろうか。
平田は、会社という枠組みに媚び諂いながら生きることを否定しながらも、人智が生み出した会社という便利な仕組みは肯定した。それを利用しながら自分らしい働き方がないものかと、手前勝手な考えを妄想した。
“仕事探しはまだ早い。その前にしなければならないことがある。筋目を通すことだ”平田は目前の現実に立ち返った。
平田はまず、組合委員長の坂本に打ち明けることにした。社内では一番中立、かつ客観的に判断してくれる人物だ。それに、平田の去就で組合の運営上最も影響を受ける一人でもある。
平田は組合事務所を訪ねた。
坂本は本を読んでいたが、平田の来訪を認めると応接のテーブルに歩いて来た。
同時に女性スタッフがコーヒーを入れに席を立った。
坂本は、平田の浮かぬ顔を見て、いつもの「やあ、元気」の挨拶を省略し「どうしたん。元気ないようやね」と気遣ってくれた。
「いや、そんなことはないよ。いろいろ難しい時期に来てるからね。そう浮かれてばかりもおれんのよ」
「うん」坂本は軽く受け流した。
「ところでまだここだけの話だけどね、会社を辞めようと思っている」
「エーッ、本当かね」
坂本は驚きの声を出すと少し引いた姿勢でじっと平田の顔を見つめた。
「うん。いろいろ考えたんだがそのほうがいいように思う」
「なんで。どうしたんかね」
「まあ、理由は2つある」
そう言って平田は運ばれてきたコーヒーを1口啜った。
「うん」
坂本もつられてコーヒーに手を伸ばした。
「一つは、もうあんな会社と一緒になって仕事をするのが嫌になった」
「それを質していくのがヒーさんの仕事やろ」
「ウーン、そうなんかな。じゃがそれは無理よ」
「なんで」
「あの会社は創業以来、三尊主義、業績配分制度、社員会、それらを複合的にからませて、今の社内カルチャーを作ってきた。会社にとって実に都合のいい仕組みだ。そして今は専務がそれをしっかりと守っている。とても急には変わりようがないよ。40年掛かってできた風土は、それなりの時間が経たなきゃ変わらんよ。トップがシャカリキになって変えていけば話は別だが……。それでも10年そこらは掛かる。ところがそのトップが今の仕組みが一番いいと信じ切っていて、だから頑なに守ろうとしている」
「まあ、それはそうやね」
情報通の坂本は、近畿フーズの実態をすっかりお見通しのようだ。
「わが社は、人事が何か打ち出したらいろいろな反応があって手応えが感じられた。だが近畿には人の息吹がない。金、金ばかりで人の尊厳や個性が完全に封じられている」
平田はそこまで言って沈痛な面持ちで深いため息をついた。
「もう少し、何とかならないかと思うが受け入れる環境がない中ではどうしようもない。社風の違いと言えばそれまでだが砂漠のような会社だ。味気ないし、保身と人の足元をすくうことばかりに気がいって殺伐とした会社だ。上役の顔しか見ていないしね。それに俺たちの倍の人数がいるわけやろ。そこに本社スタッフとして俺たちが100人そこら乗り込んでいったとしても埋没するだけやと思う」
「まあ、そうかもしれん。それでも行かないかんやろ」
「あんたが行かにゃいけんと言うのもわからんでもないよ。制度の統合を進めにゃいけんし、中国食品の制度の中心的役割をしてきた立場上、敵前逃亡だし、無責任だと言うんだろ」
「そうよ」
「しかしやね、制度の統合はかえって俺がいないほうがいいように思う」
「いないほうがいい?」
坂本は頭の回転が早い。その意味を自分流に探っているのか首を傾げて斜めに平田をのぞいた。
やがて、なんとなく整理がついたのだろう、徐に語り出した。
「しかし、会社はどうするん。ヒーさんは合併の主務者やろ」
「さー、そこよ。中国食品と近畿フーズの制度同士が、意地を張り合っていても統合はできんよ」
「だが、誰かがせにゃいかんやろ。ヒーさんがおらにゃ誰がするん?」
「うん。制度の統合はもう相手に任すんよ」
「それじゃ無茶苦茶されやせんかね」
「なるもんか。いいかね。労働条件は労働協約によって全て担保されているんだぜ。組合の同意なしで一方的改定はできない。委員長が守るのよ。俺はな、むしろ近畿のほうを下げなきゃいけないことへの苦しみに悶えてるんだと思う」
「うん、なるほど。そうかもしれん」
坂本も理解できたようだ。
「どっちにしても、いずれ統合しなきゃならんことは厳然たる事実だし、そのときどっちの制度だとかいう拘りをなくしてあげることが統合を早める肝だよ。そのためには俺なんかいないほうがいい。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるってことよ。近畿にもそんな担当がいるんだけど、それも一緒に道連れにできたら理想的やけど合併前じゃアプローチのしようがない」
「うーん、そうか。それでもう一つの理由っていうのは何」
「うん。まあ早い話が自分のためよ」
「うん」
坂本は軽くうなずいて先を促した。
「制度担当として自立、自立と提唱してきたわけよ。そんなこと簡単に出来るわけがないという声も聞いてきた。別に独立しろと言っているわけじゃなく、この会社にしがみつかないで自分らしく生きろと言っているだけなんだけどね。そのための支援制度も作った」
「そうやね。それはわかるよ」
「だから、そう言ってきた俺がいつまでも会社にしがみついているわけにいかんやろ。きれいごとを言えばそうなるが、要は我儘に生きたいわけよ」
「何か始めるわけ」
「いや、そんな力量はない。どこか自分のやりたい働き方をさせてくれる会社を探そうと思う」
「自分のやりたい働き方ってどういうこと」
「手っ取り早く理想を言えば、どこか小さな会社の人事課長くらいがいい。そこで自分なりの人事をやってみたい。もう会社のためとか、社員のためとかじゃなくて、自分流ができる会社がいい。自分のやりたいようにやらしてくれるところが」
「そんな都合のいい会社があるかね」
坂本は「そんな会社があるものか」と言わんばかりに語尾に力を込めた。
「わからん。その時はまた考えるさ。自信はないが小さな会社の人事担当くらいはありはしないかね。平でもいいんだよ」
「そうか。まあ、俺がどうこう言えないが新田さんが許さんと思うよ」
「うん。それは覚悟している。誠心誠意頼むしかない」
こうして坂本とは淡々として別れた。
平田は、新田に懇請する前にどう口説くかしばらく考えた。

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