更新 2013.12.25(作成 2013.12.25)
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第7章 新生 10.受け入れ先
代表取締役である以上いつか来るであろうこの日を、けしてうろたえる事なく堂々と受け止める覚悟をもって経営に当たってきた。
ただ樋口は、その日が来るのが少しでも先にずれるように常に業績に目を配り、社内に心を砕き、マル水の付け入る隙を必死で防いできたのだ。しかし、その日はついに来た。
聞かされたのは、マル水本体の業績が思った以上に振るわず社内の経営体制をテコ入れしたいということと、後任は竹之内一人に任せたいということだけだった。
オーナー社長であれば後継者は自分で決めることができるが、サラリーマン社長ではそれができない。
樋口は暫く思案してポツリと呟いた。
「まあ、マル水もルビコン川を渡ったということかもしれんぞ」
「どういうことですか」
「市場が見通せなかったことと投資のタイミングを誤って、稼げる事業体になっていないということや。今になって何かをやろうと慌てているのかもしれんが、金がない。背に腹が代えられなくなったということや。大きなうねりかもしれん」
「……」
坂本も何やら不気味な足音がすぐそこまで迫ってきていそうな気がした。
「後任役員の体制はどうなるんですか」
「それも竹之内さん次第だ」
「会長の意向は少しは組み入れてもらえるんでしょう」
「わしの意向なんか受け入れてどうする。そんな奴に新しいトップの下で何かいい仕事ができるかい」
「しかし、会長がいいと思うから任用されてきたんでしょう」
「俺は俺の流儀に合う者を使った。竹之内さんもそうするだろう。俺の息のかかった者をそのまま使うようじゃ知れているからな。取締役というものはいつ首になってもいい覚悟をもってならねばならん。そもそもここでうろたえるような者がなっちゃいかん」
「なるほど。そうですか。それじゃ追い出すんですか。放り出しちゃいかんでしょう」
「新しい受け入れ先は用意してある。俺の介入はここまでだ」
「酒事業ですか」
「もう知っているのか。まあ、そういうことだ」
「だって会長が前から調査させていたじゃないですか。このためだったんですね」
「このためとは限らん。第2ステージになんか役に立つかなと思って調べさせていただけだ」
「だけど、酒は事業として成り立つんですか。無駄な投資になりませんか」
「竹之内さんの胸算用の内だ。新しい経営体制を混乱なく作るためには多少の出費も仕方なかろう」
「誰にやらせるんですか」
「うん。竹之内さんに進言するつもりだが、これだけははっきりしている。事業としては一番難しい事業だ。これをやれるのは一人しかおらん。恐らく竹之内さんも同じ考えだと思う」
「なるほど。わかります」
坂本も直感的に誰かに思い当たって得心顔をした。
「退任されたあとはどうするんですか」
「東京に帰ってノンビリするさ」
「そうですか。それがいいと思います。どうぞお体を大事になさってください」
坂本は樋口との惜別を愛しんだ。今日が会談としては最後になるだろう。そしてもう二度と会うことはない運命を思うと、なにやら感傷めいたものが込み上げてきた。
「いや、今日はご苦労さんでした。これで胸のつかえが降りたよ。後は頼んだよ」
樋口は、喉に刺さった小骨が取れたようにようやくスッキリしたようだ。
「いえ、会長こそ長いことお疲れ様でした」
2人は硬い握手を交わして分かれた。
そんな表舞台の騒動とは一線を画した裏舞台で、平田は退職金の改定準備と、平行して関係会社の人事制度改定の準備を急いだ。
対象となるのは、日本冷機テック(株)と中国ベンディングオペレーション(株)の2社である。この2社は厚生年金基金を設立するとき総合型基金として取り込んでおり、退職金、年金を改定するときはこの2社も同じ仕組みにしなければ認可が下りない。
関係会社の制度整備は自分がやるのとは違い、わかってもらうのが一苦労である。この2社は過去の経緯はともあれ無条件での転籍を強いられている。それだけに被害者的意識も強い。
平田も気が重かった。
平田は関係会社へのアプローチの仕方を丸山に相談した。
行うことは決まっているのだが外部への働きかけであり、方法論も含めて部長の了解はとっておきたかった。
「とりあえず、総務課長を訪ねて事情を説明することにしたいのですが」
この2社は、総務課長と人事課長は兼務になっている。
「うん。それはいいが、総会前だからゴチャゴチャしていると思うぞ。具体的活動は総会後にしろ」
丸山は自分の去就すらわからない状況であり、関係会社の役員も恐らく動くであろうことを想定して言っている。
「はい。今回は状況の認識とプロジェクトを作るとしてどんなメンバーがいいかとか、委員会の位置付けとか、そんなことの心積もりを話しておきたいと思っています」
「うん。わかった。抵抗があると思うから慎重に頼む。どうしてもわからんことを言うようだったら俺に言ってこい。俺から直接社長に話すから」
「はい。ありがとうございます」
平田はまず最初のアプローチをどのようにするかを考えた。
1社1社個別に話すがいいか、それとも2社まとめて説明するがいいか。
それぞれの場面を想定した。
個別だと恥も外聞もないため聞き分けのないことが言える。だれか他人がいると人間は多少なりとも行儀が良くなりわがままを押さえるものだ。
平田は、関係する2社に本社に集まってもらうことにした。