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ビッグバン

更新 2013.03.25(作成 2013.03.25)

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第6章 正気堂々 76.ビッグバン

「元気?」
ビールで乾杯するときの決まりきった2人のあいさつだ。
坂本と飲む酒は楽しい。2人ともなぜか意味もなくニコニコして向き合っている。
四方山話を繋ぎながら料理に箸を運んだ後は焼酎のお湯割りだ。その頃になると徐に本題に入る。素面で語るには面白くないが、酔っ払ってしまっては意味がない。そのグットなタイミングを阿吽の呼吸が醸し出す。
「今度ね、マル水の連合会に入ることにしたからね」
「…からね」という言い方に坂本の心情が滲んでいた。
「エッ。本当かね。しかしマル水のほうで事業ドメインの違いから敬遠してたんだろ」
「まあそうなんやけどね、事情も変化してきたということですよ」
「ヘーッ、そう。よう入れたね」
平田は驚いた。創業以来、事業ドメインの違いと地理的理由で長いこと双方が敬遠していたものだからである。
「そりゃ、持っていき方ですよ」
この辺が坂本の自慢どころである。
「うん。それで何で入ったの」
「さー、そこですよ。奥が深いのよ」
坂本は平田の反応を楽しんでいるかのようにもったいぶり、なにかよほど嬉しいのであろうニコニコしながら両手を足の間でこすり合わせて心のワクワク感を溢れさせた。
「マル水の経営が振るわないことはヒーさんも知っとるやろ」
「まあ、一頃の勢いはないわね。じゃがマイナスってことじゃないだろ」
「表向きは繕っているけど実状はわからなくてね。だけどこのままじゃ浮上しない。それに経営として座してジリ貧を待ってるわけにもいかず、なんとかしたいが小手先の改善程度では昔日の輝きは取り戻せんというところかな」
「うん。今はどこの会社も多かれ少なかれそんな環境に置かれているわね。だから、やたら制度や仕組みを見直そうとしている。我社(うち)だって状況は同じやな」
「そう。しかしマル水はもっと深刻です。実態は赤字かもしれん。事業の根本から見直さないとダメらしいんです」
「そう。そんなに重症なんかね」
「そんな呑気なこと言っとられんよ。ヒーさん頼むよ」
何を頼むのかわからないが、坂本がこういう言い方をするのはもっとしっかりしてくれという意味である。もっと周りに気を配りいつか来るであろう衝撃に備えよという、そんな含みが伝わってくる。
一般論としての環境の変化は平田も承知しているが、マル水の個別状況まではつかみきれない。総務が親会社の状況周知としてインフォメーションする総会資料の決算書くらいで、そこから読めるのはやり繰りして、かどうかも本当はわからないが、配当原資になんとかつじつまを合わせた黒字の数値くらいである。その奥に隠れた経営の病理の実相は当事者でないかぎりわからない。恐らく事業モデルの陳腐化であろうことは概略想像できるが。
坂本はこの辺の情報収集にはずば抜けた才能を持っている。独特の臭覚と感性でいつも皆を「アッ」と言わせてきた。敵を知り己を……、である。
「しかし、それが我社にも影響するんかね」
平田はそのへんがまだしっくりとは飲み込めない。
「まあ、あるとすれば資本の論理ですよ」
「資本の論理?」
「藤野さんと坪枝さんが交代したのは、M&Aを含めた事業のリエンジニアリングすることが条件なんよ。つまり根本から事業を見直し、集中と選択を徹底的にやるってことなんです。そうせざるを得ないところまできているんですよ」
「そうかー。その影響が我社にも、ってことなんやね」
平田は無理やり飲み込もうとした。
「そうです。さあ、そのとき我社が無傷でいられるだろうか」
坂本は危機感を煽るような言い方をした。
「我社はそこそこ配当もしているし、マル水の優良児だろう。経営が苦しければなお更我社の配当は頼りになるはずだろう」
「だから利用価値が高い。売ろうと思えば高く売れるでしょう」
「まさか。手放すんかね」
「マル水とは事業ドメインが少し違っているから、コラボレーションとしては持っている意味があまりない」
「しかし、投資という意味では十分応えていると思うよ」
「昔はほとんどの会社が資産価値の形成を優先させ、長期保有を原則に成長頼みの投資スタンスだった。親子の繋がりを大事にし、育成することがベーシックな考え方だった。しかし、円高で環境が大きく変わってきた。そこはわかるかね」
坂本は知識をひけらかし、わざと平田の知見を試すような言い方をした。
「経営思想もグローバル化してきたということだろ。それくらいはわかるさ」
平田は笑いながら答えた。
「正確に言えば株主がグローバル化してきたということです」
「うん、そうやね。外人の比率が多くなった」

為替は85年のプラザ合意以来、多少の曲折を経ながらも95年の4月まで円はひたすら上がり続け80円を切るところまできた。円が上がるということは外資を呼び込むことになる。グローバルマネーは為替の変動と動きを一にして国境を跨ぎ、外資は日本の大株主になった。トヨタやホンダ、松下(現パナソニック)、ダイキンなど海外市場で名を馳せた大手優良企業が買われるのは容易に理解できるところであるが、海外投資家に内需も外需もない。日本の優良企業というだけで投資対象として買われた。為替差だけでも円は買いだ。
例えば、典型的内需産業と目されているヤマダ電機でさえ、今や持株比率で半数以上が海外投資家であり、国籍さえ海外に移せばもはや外国企業と言ってもおかしくない。
外人の持ち株比率が上がったということは、経営に対する考え方までもがグローバルスタンダードになったということを意味する。日本の経営スタイルは通用しなくなった。
それまでの日本では、相互に株式を持ち合い、配当よりも含み益や内部留保を優先し、経営を安定させるという財務至上主義がオーソドックスな考え方だった。財務基盤の乏しい日本の産業が、成長のための原資を確保するために内部留保に傾いたことは必然の道理だ。
そうした事情はお互い様であり、安定株主である相互持ち合い株主や年金に代表される機関投資家は物言わぬ株主だった。
対照的に海外投資家は明確に株主権利を主張する。含みよりも実現価値を追求し、株主価値を最大化することをはっきりと求めてくる。
外国人の投資スタンスは直接的だ。
例えば、子会社の利益がいいのであれば含みとして持つ親会社の株を買うより、子会社の株を直接買ったほうが効率はいいしシンプルでわかりやすい。親会社は売られることになる。

高度成長期、一頃は海外からも着目された日本的経営は、ここをターニングポイントとしてグローバル化へ大きく舵を切ることになった。90年代が、日本経済のグローバル化への一大エポックになったことは事実であろう。
86年に英国で起きたビッグバンにより、徹底した自由化と市場原理に基づく時価会計が欧米ではすでに先行し、日本も国際会計基準やBIS規制の適用など、グローバル化の洗礼を受けることになる。
こうした時代の変化に早く気がついた企業がグローバル化への対応をうまく乗り切り、その後の成長へとつなげている。
一瞬の躊躇い、決断の遅れは世界の市場原理という大きなうねりに翻弄されることになる。
特に護送船団方式にどっぷりと慣れ親しみ不良債権の処理に躓いた金融界の体質改善の遅れは、日本経済を長期低迷へと導いた一因でもある。それは、金融のビッグバンを契機に大きな痛手となって跳ね返って来る。
まず96年。先にも述べたが住専が破綻し、翌年には山一證券、北海道拓殖銀行、さらにその翌年には日本長期信用銀行、日本債権信用銀行、さらにその翌年には東邦生命と次々に破綻していった。
こうしたグローバル化への環境変化は、企業で働く社員にも大きな影響を及ぼさずにはおかない。まず、処遇方針が成果重視、実力重視へと変わっていく。雇用方針が終身から契約方式へ。英語が社内公用語に変わり、採用要件も国際感覚を身に付けたグローバル人材へと変わり、新規採用の半数以上が外国人という会社も。
こうした動きは、市場が海外に移ったことで近年は特に顕著のようだ。
ところが大学を筆頭に教育界の体質が変わらないから、そこで育った学生が就職という現実に直面し、グローバル化した産業界を前に戸惑っている。
GHQが残した戦後レジームの、民主化に名を借りた陰の遺産だろう。それを神聖化してきた一部メディアにも責任はあろう。

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