更新 2012.10.15(作成 2012.10.15)
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第6章 正気堂々 60.何に対して賃金を払う
平田と藤井の間で賃金について意見が分かれた。
平田は、その人の頑張りによっては賃金が大きく上下し、2、3年で遅れを取り戻せるようなある程度ドラスティックな制度を主張した。
その背景には、現行職能資格制度の賃金制度は年功色が強く、昔の賃金の水準をそのまま職能資格制度へ移行したその時の格差がいつまでも埋まらず、ほとんど頑張りやモチベーションに繋がらないし公平感も醸成されてこないことがあった。
管理職の中には早く入ったというだけで管理職ポストに座り続け、昔の栄光だけで高い賃金をもらい続けている人がいる。なんとかならんのかという役員の声がある中、賃金だけでもキャンセルしたい。
そうはいっても平田の思いの中には、そんな役員に対してはあなた方が管理職にしたのでしょう、あなた方が降格すればいいとの思いが強くあったが、役員の多くは降格人事権は使用制限があるがごとく人事制度上で修正してほしがる。
「ならば……」と平田が勇み立つのも道理であった。
このたび平田は専門役に重用され、人事に来て5年にもなるがそれでも未だ、同期の最下位の賃金に甘んじている。そんな事実が平田の主張の根底にあった。
それに反し、藤井の主張は全く違っていた。
「人は賃金だけで動かない。会社との信頼や理念への共感などが人を動かす大きな要素です。ただ、公平感や納得感がないと長続きしないのも事実ですがね。岐阜に『未来工業株式会社』という会社があります。この会社は年功賃金のままですが、休日140日、定年70才を実現し、創業以来黒字経営を続けています。会社と社員の一体感だとか社員の自主性に任せた仕事の進め方みたいなことが、こうした業績を維持している要素のようです。賃金を考えるときの論点は、組織内での公平感、納得感と人材が外部に逃げていかない水準を確保できるかということです」
藤井はドラスティックな制度が必ずしも企業の成功に結びつかないことを言おうとしている。
平田はそんな会社もあるのかと目を開いた。(2000年代になって、テレビでも紹介されたことがある)
「確かにそんな会社もあるでしょうが、わが社がそれでうまくいくでしょうか。会社にはそこにいるいろんな人の思いが折り重なって構成されています。そうした思いの最大公約数が制度に反映されなければならないと思いますが」
「そうでしょう。でも、それがドラスティックな制度ですか。そこは少し議論の余地があります。公平感というのは、長年積み上げてきた年功に対する公平感、今年の実績に対する公平感、今現在の役割や貢献度に対する公平感、それらは全て“あいつより俺”なんだと思います。ということは、年功的に安定した誰もが公平な部分と、競争するフィールドの賃金部分とをはっきりさせ、競争部分で公平な運用があればいいわけでしょう」
「安定部分は資格給で安定させればいいように思いますが」
「それだと資格が上がらない人は一生上がらなくなります」
藤井は論点を整理した。
こうした議論を経て、平田は賃金のイメージを膨らせていった。その構想は一般職は積み上げ方式だが、管理職は一定の範囲で見直されるキャンセル方式だった。賞与は評価をポイント化し、管理職、一般職それぞれの総原資をポイントで除した単価を個人ポイントで配分する方式を考えていた。
同時に、賃金制度の理念についても次のように固めた。
「頑張った人が豊かさを実感でき、同時に怠ってはならないという緊張感のある制度」
人事制度について関心をもっているのは人事部のメンバーだけではない。人事、労務の全てに責任を負わなければならない新田も同じだ。
平田と藤井の論議を見た新田は、平田が暴走しそうな気がして自分の考えも伝えておこうと平田を呼んだ。
管理本部長になった新田は、それまでの1階の総務部から経理部の4階に執務拠点を移し、窓際に両袖の机を置いて皆と一緒に執務していた。
まだ常務にはなっていないので個室が与えられておらず、入り口からは真正面に見える。平田が来たのを認めると、オウッといった顔で昔の常務室をアゴで指した。
新井が使っていた管理本部の常務室は、今会議室のように使われている。新田は平田をそこに誘い、近くの女性社員にコーヒーを頼んだ。
「制度の構築は進んでいるか」
「はい。少しずつですが着実にって感じです」
こうした議論はあっちこっちで投げかけられる。特に部課長クラスの管理職は自分の処遇の行方と共に会社の方針がどうなるのかと強い関心を持っている。
「少し急いでほしい」
「はい。けしてサボっているわけじゃないんですが、マイナーチェンジと違って考え方やなにから全てを見直さなければならないものですから結構時間が掛かっています」
「そうか。どんなイメージの制度にしようと思っているのだ」
「そうですね。今頑張っている人がそれなりに処遇されるような制度を考えています。年功だけでいつまでも高い処遇を受けるっていうのは、もう限界のように思います」
平田は賃金制度の理念の考察が終わっていたことにほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、年令給はなくすのか」
「できればそうしたいなーと思っています。あっても極端に小さくしたらどうかなと思っています」
「その分をどこにもっていく?」
「はい。実はまだ迷ってはいるんですが、成果、あるいは資格連動部分に厚くしたいと思っています」
「ウーン、そうか。それもいいがそれで本当に会社運営がうまくいくか」
新田は結構険しい顔をしている。