更新 2016.05.30(作成 2012.01.06)
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第6章 正気堂々 32. 面白きこともなき世を
広島に帰った平田は、やはり吉田を問いたださずにはおれなかった。
大勢の社員の中にはワーキングスタイルもいろいろなタイプがある。
成果が上がっているかいないかは別にして、朝から晩まで机にしがみ付いて何か作業をしていなければ許されないタイプ。許されないというと語弊もあるが周りがそう思い込んでしまっている。こういう人が少し席を外したり、サボったりすると何か冷たい視線を浴びるタイプだ。
反対に、時間の制約など全く関知せず自由に動き回り、成果だけで勝負すればそれが許されるタイプもある。上司の許可もなく自由に社内を飛び回り、コミュニケーションを図り、情報を収集し、先回りして仕事に活かす、活かしているであろうと思われている人種だ。
仕事の性格にもよるのだが、それは周りの人がそういう人だと認識し、容認していることが多い。仕事の性格や人間関係がそうしたキャラクターを形成してしまっている。けして悪いとは思わない。それで効率が上がるのなら何も型にはめ込む必要はない。成果を出し続けるならそれでいいではないか。それを許すか許さないかは組織の懐次第だ。保守的で封建的な組織は、それを異端児としてはじき出そうとする。まるで精密機械のようで少しの型破りの異物の混入にも立ち往生してしまう。逆に自由で開放的な組織は、そんな型には拘らない大らかさがあり奔放な発想を生み出す力強さと、少々の異物や不具合も濁流のように飲み込んでエネルギーに変えてしまう逞しさがある。
中国食品はどちらかというと後者のほうで、平田は職能資格制度の導入を機に少し行き過ぎた無秩序を評価の「規律」項目で締め直そうとしたばかりである。
ところがその当人である平田と吉田もそういうタイプの人種だから皮肉なものだ。しかも当人たちはそんな評価など全く気にしておらず、自分たちのスタイルを貫き通し周りもそれを容認している。
2人は9階会議室にこもって、2時間近く話し込んだ。吉田とはしばらく飲みにも行っていないが、こんな話は素面のほうがいいと思った。
平田は、会議室前の自動販売機で紙コップのコーヒーを2つ準備した。両手を塞いだ平田は腰でドアを押し込み、1つのコーヒーを吉田のほうに押しやりながらテーブルのコーナーで斜向かいに向き合った。
「ヒーさん。人生は一度きりじゃないですか。面白きこともなき世を面白く、ですよ」と吉田は、高杉晋作の言葉を引いて心情を吐露した。ニッコリと笑った顔は、人生ゲームを楽しむふうで決意の固さを物語っていた。
「しかし、せっかく会社は正常化され、プロパーからも役員への扉が開かれたじゃないですか。これからでしょう」
「うん。会社は正常化されたよね。良かった。会社がまともじゃなかったらヤル気も起きないし生活も良くならないし、何をしても面白くないからね。人生に与える影響は大きいよ。だから僕たちが動いたんです」
「それがせっかく成就したんですから会社におればいいじゃないですか。会社の中にも夢はあるでしょう」
「それとこれは別です。夢は人それぞれでしょう。僕には常に何かをやっていないと気が済まない何かがあるんです」
そんなヤンチャぶりは平田にも何となくわかる気がした。
いみじくもそのことをズバリ見抜いていた人がいた。
前年度の暮、川岸が今年度の人事異動案を社長に上奏したときのことである。川岸にとって人事部長としては最後の異動案である。そこには吉田を営業の課長に推挙する案が織り込まれていたのだが、樋口が待ったをかけた。
「いいか、川岸君。人間にはいろいろなタイプがある。成果を出したからといって誰でも彼でも役職につけていいってもんじゃないんだよ」
「はい。しかし彼は組合を統率して立派に組織を運営した実績があります。それからしても課長くらいの組織は任せてもいいかと……」
「違う。普通はそうだが彼は違うのだよ。確かに統率力も責任感もあり、時代の先読み感もある。しかし彼の性格は組織人ではない。組織には、組織の中に上手く収まってくれる行儀良さや律儀さがいるのだよ」
「はぁー」
川岸は納得のいかない曖昧な返事をした。その心底には、自分が最も崇拝する樋口に自分の案を否定された悔しさがあった。パーフェクトに尽くしたいと思っているのにそれができなかった自分が口惜しかった。自分の中で絶対的な人から自分の未熟さを糾弾されたことで、もしかしたら信頼を失うのではないかという緊張も走った。それと川岸は吉田が好きだ。この案に吉田贔屓の思い入れが全くなかったと言い切れるのか、その自信も揺らいだ。さらには人事部長として6年目になった今、自分に慢心はなかったか。そんな反省やら後悔が心の中で渦巻いた。
「彼は破壊と創造は得意だが、発展と維持は難しい。仕事にはじっと維持しなければならない時もある。長にはそれに耐える行儀良さがいるのだよ。彼は常に破壊し創造しながら進んでいなければ収まらない性分だ。彼は一匹狼なんだよ。所詮組織の中には収まらん」
“なるほどそうなのか”今までそんな視点で人を見たことはなかった川岸は、それまでの心の乱れもすっかり治まり目から鱗が剥がれ落ちるようにじっと聞き入った。
「合併や事業再編のように時と場合によっては彼のような人間をつけなければならない、そんなフレキシビリティもいるが今回は見送りだ」
平田は社長室から帰ってきた川岸を迎えた。
「今回は見送りだ」
資料を平田に返しながら川岸はよほど思い入れが強かったのだろう、寂しそうに樋口と同じ言葉をポツリと漏らした。しかし、ポストや昇進にあまり拘りのない平田は特に感慨はなく、吉田一人の昇進より全体の人事の佇まいのほうが気になった。
こんな曲折を経て、結局吉田は専門役に任命された。
そんな経緯など露ほども知らない吉田は、今新規事業に飛び出そうとしている。樋口の見立て通りだ。
「不退転の決意ってこういうことを言うんやろね。片足を安全牌に置いたままで全力を傾注することなんかできませんよ。この事業を絶対成功させて、それを足がかりに自分の店を出したいんです」
吉田の決意は固く、4月1日付けで新規事業に転籍していった。
これでまた1人、会社再建に情熱を燃やした仲間がその会社を去っていった。