更新 2010.10.15(作成 2010.10.15)
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第5章 苦闘 60. 効能
平田らスタッフが全管理職に向けて制度運用の研修を実施する傍ら、役員に向けての制度プレゼンと評価制度の説明や事例演習を川岸は器用にこなし、職能資格制度は完全移行に向けて発進した。
川岸が役員になったことで人事案件の役員会への提案は川岸が直接することになり、平田らスタッフはやりやすくなった。
川岸のプレゼンは平田らのように制度論理を解説するのではなく、組織をマネジメントする実戦管理者の心得を説くようなもので、組織が抱える問題点そのものへの対処法だった。制度はその1つの道具にすぎなかった。
例えばこんな具合だ。
「会社全体に何か物事に立ち向かうチャレンジ精神が不足しております。この面談項目は何でもよございますので何か1つでも2つでも本人のテーマを設定してやらせてください。挑戦するとはこういうことかとわからせてください。その結果をこちらの評価項目で評価します」
制度提案者は常に制度側から提案するが、川岸のこのプレゼンはある種の制度の立ち位置を平田に気付かせた。制度は主役ではなく、あくまでも実戦管理者のマネジメントツールであるということである。このツールを使ってあなたが目指す方に組織をマネジメントしてください、ということだ。
この制度構築を通じて、平田はある実験を試みた。
それは、制度構築の過程の中で平田が持ち続けていたある拘りを制度の中に織り込むことだった。
その1つは評価制度をオープンにするということである。秘密にするから評価の信頼が損なわれ、疑心暗鬼が生まれる。何がどのように評価されているかがわかれば評価者も極端な思い込み評価は付けづらくなる。
もう1つの試みは、評価の内容で情意評価の項目に規律性という項目があるが、管理職の特に専門役や調査役といった人たちの評価項目にそれを適用したことである。楠田理論では、管理職ともなればそんなことは出来て当たり前であり、管理職能の一歩手前でこの項目はウェイトを0とし成果や能力のウェイトを高くするというのがセオリーである。
平田が敢えてこの項目を専門役や調査役に適用した背景は、この管理職たちの無秩序ぶりがあまりに目についたからである。
「俺たちは残業がつかないのだから、時間は自由にしていいじゃないか」というのが彼らの言い分で、遅刻早退は日常茶飯事で何かと言い訳を作っての職場逃避が目についた。しかし、それは違う。確かに無定量労働部分はあるがそのために管理職手当が支払われている。仮に総労働時間は同じでも会社には守るべきケジメや規律がある。一般職のみならず役員以外のその他ほとんどの社員がこの社内規定を守って勤務しているのだ。彼らの言い分は特権意識を更に背伸びさせた都合の良い解釈である。
それを統制できない役員にも問題があった。子飼いの部下であり下手に関係をこじらすよりやることさえやってくれればそれでいい、という安直な考えが問題を放置させていた。
この2つの試みは見事に奏功し、導入から1年もすると彼らの行動が見違えるほど変わってきた。いや、「そうか。そういうことも評価されているのか」と、むしろより主体的に規律的行動を取るようになってきた。
しかしその反面、バサラ気質の象徴的存在の彼らの言動が萎縮し、どこかこじんまりとまとまってきたのも事実で、中国食品の自由奔放で豪放磊落な風土が色あせてきた感じがした。
平田は、2年間の経過を見て管理職群からこの項目を削除した。自由奔放で豪放磊落な気質と社内規律がちょうどいい塩梅に調和してきたからである。
この実験を通じて人事制度、とりわけ評価制度が社員を方向付ける最も有効な制度であることに気づくと同時に、その効力の大きさに驚いた。
平田の目指す人事を変える手がかりが見出せた気がした。
かって、社員の躾について後藤田から、
「例えば、評価制度なんかにこんなことをしなさいとか、したらいけませんとかを織り込むのも一計だ。そうすれば人はそっちのほうに向いていく。そういう躾を社風として根付くまで続けることだろうな。君の仕事だ」と言われたことを平田は忘れていなかった。
人事を、会社を変えたいと必死に考え続けている平田は、制度に関するどんな些細なことも聞き逃さない。敬愛する後藤田に言われたことである。固く拳拳服膺し、いつか試してみたいと思っていた。
そんな人事制度の意外な効能の発見にワクワクする胸の高鳴りを覚えた。
職能資格制度は翌年(平成4年)の1月1日から本格運用に移行した。しかし、平田の本当のテーマはここからが本格的なスタートである。
人事制度とはなんなのか。俺が目指すものはこんなものではない。
仕事ができる人、人望がある人、職位の高い人、技術に優れた人、賃金の高い人、今のままでは整合性がない。正しい人が正しいと評価、処遇されなければならない。
自分が理想とする人事は、力があり、人望が厚く、仕事に対する取り組み姿勢が真面目で、的確な判断が出来る人間が真っすぐに評価され、相応しいポストに就き、似合う処遇を受けることである。そうした人事を人事部が胸を張って主張し客観的裏付資料を提示しながら異動できることであった。
どうすればそうなるのか。理想ははるかに遠く平田の懊悩(おうのう)する毎日は続いた。
組合にも「俺の夢がある。信じろ」と大見えを切っている。出来ませんでしたではすまない。平田は悩んだ。
そんな苦悩を教育課長の佐々木昇にぶつけていたとき、
「藤井さんに相談してみたらどうかね」と佐々木が提案してきた。
「誰ですか、それ」
「うん、うちに協力してもらっている教育のコンサルタントなんやけどね、ただの教育講師というだけやなくてもっと広い観点で人事から経営までを見つめようとしている人なんよ。なんかヒントはあると思うよ」
「あーぁ。時々見かける人ですね。教育コンサルで人事がわかるんですか」
「いや、それはわからんけど、たぶんなんか解決の糸口を提示してくれると思うんよ。専門は教育やけど経営コンサルの性格のほうが強い。ダメもとで一遍相談してみたらいいやんか」
「なぜその人がいいんですか」
「そうやね、あきらめないと言うか投げ出さないところかね。わからんかったらとことん勉強し、研究して解決の糸口を提案してくれるんよ。自分の得意を売り込むんじゃなくて顧客がなんで困っているかを考えてくれる」
「そうですか。課長がそんなに信頼されとるんなら、今度機会があったら紹介してください」
平田はあまり期待せず社交辞令的に言っておいたのだが、そのことが切っ掛けとなり本来接点のない2人の運命の糸を出会いへと誘った。