更新 2016.05.26(作成 2010.06.15)
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第5章 苦闘 48. 家族
忙しい日々が続いていた3月16日の土曜日、平田一家の夢である引越しの日が来た。しかし、平田はとてもそんなことに構っておれなかった。春闘は大詰めに来ていたし、係長主任制度の実施準備や制度研究、パソコン習得もある。
引越しは、中国食品の製品を運んでいる運送会社の引越し部に依頼してあるので「頼む」と妻に任せて会社に出た。
妻も「任せて」と何一つ文句を言わなかった。内助の功とはこういうことをいうのだろうと、平田はありがたかった。これまでも家のことでは一度も不安を感じたり心配したことがなかった。安心して任せられ仕事に専念できた。
それでも今日は初めての新居だ、さすがにケーキを土産に早めに帰宅した。
広々とした居間にくつろぎ、ここにソファを置こうとか、サイドボードはこことか話を弾ませるとまた明日の闘志が湧いてくる。
子供たちも自分の部屋で荷物を片付けたり配置を考えたり、それぞれに満ち足りた時間を過ごしている。
“家族は宝だ。そのために俺は働いている。もし家族がいなかったら、これほど充実した人生は送れまい”
平田はしんみりと一人家族に感謝した。
結婚しない若者が増えているが、人との交わりの煩わしさを嫌ってのことのようだ。複雑な現代社会の中で人との交わりが希薄化してきていて、無縁社会というのだそうだ。地縁、血縁の結びつきがなくなり、孤独な社会生活が人との関わり方を忘れさせているのだろうか。先般お話しした不安定雇用の広がりも、結婚に踏み切れないことに大きな影響を与えているのも確かだろう。
営利企業という組織の中で徹底的に業績を追求され、時には人格すら否定されるほど罵詈雑言を浴びせられることもあるのかもしれない。人との交わりがホトホト嫌になることもあるだろう。わかるような気がする。仕事に追われ恋愛や結婚どころではあるまい。心の病に陥るのはこんなときだ。安らぎを求め、フィギュアやバーチャルの世界に逃避する人が増えているとも聞く。人との関わりがない気楽さが安心感をもたらすのだろう。
こうした人たちの心の隙間を埋める新たなビジネスも生まれているようだ。人との交わりが希薄になった分、そのことだけを埋めるビジネスで、悩みや寂しさを電話で聞き話し相手になってやるのだそうだ。共感が安心感を呼ぶのだろうか、10分1,000円の話し相手料で急速に業績を伸ばしているとか。それで寂しさが紛らわせるのなら安いのかもしれない。
ここまで来ると、一人身は気まま、気楽でいいなどと言ってはおれない。日本の社会が崩壊してしまう。民主党は子供手当や高校の無料化などを実施しようとしているが、そんなことではないような気がする。もっと社会生活の根本のところをリードするような政権運営をしていかないと、次の選挙は大きなしっぺ返しを食うことになろう。前回の衆議院選挙で国民が期待したのは、官僚政治にメスを入れるその1点だけだったはずである。小泉内閣が郵政民営化で大勝したのも改革に対する国民の真実の声だったのだが、そのことまでも否定する今回の選挙結果ではないはずだ。
官僚天国の打破。無駄と天下りを排除し、増税を回避し、次世代に安定した国家運営の姿を見せれば出生率も支持率も上がるはずだ。
そんな殺伐とした時代だからこそ家族の温かさが必要だ。家族を持つことはすばらしい。妻との語らいで安らぐ心。傷付いた心を癒してくれる温もり。子の成長に受ける感動。家族のために働く充実感。何物にも代え難い人生の宝だ。
「女房なんて」と嘯(うそぶ)く強がりな豪傑も、奥さんを亡くしたりすると抜け殻のように虚脱してしまうではないか。それほど家族の存在は大きい。結局人は愛情を注ぐ誰かのために生きているし、その手応えがここにある。子を育て世の中に送り出す責任を果たしたときの達成感は誇りすら感じる。親の考えや躾をどこまで吸収し、どんな子に育ってくれるかを楽しみにしたとき、それこそ人生の醍醐味ではないだろうか。
そのことを世の中の年寄りがもっと若者に語り継がなければならないのかもしれない。
一方で、家族を持つということは家族を守るという責任が負いかぶさってくる。特に子供は親が守らなければ誰も守ってくれない。「この子のため、この妻のため」その思いがあるからこそ必死で歯を食いしばって頑張れるのだ。その思いがあれば自ずと仕事に向き合う真剣味も違ってくる。
私たちが若いころ、よく言われた。
「男は結婚をしてはじめて一人前だ」と。そのことだろう。
ただ家を手に入れただけなら、それはただ物質欲を満たしただけのこと。瞬間、虚しくなるだけだ。しかし、家族を住まわせる家を手に入れた、家族が喜んでくれる家を手に入れた、となるとその意味は何倍にも違ってくる。
君は誰のために生きている。若者よ、大いに恋をし、家族を持ち、そして仕事に励め。充実した人生がそこにある。どうせ一人では生きてはいけぬ。