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衝撃

更新 2016.05.24(作成 2010.02.25)

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第5章 苦闘 37. 衝撃

「失礼します」
開け放たれている常務室のドアをノックしながらのぞき込んだ。
いかにも意地の悪そうな冷たい視線がジロッと平田に返ってきた。
そのくらいのことは覚悟の上だ。平田は臆せずデスクの前にズカズカと進んで企画書のコピーを浮田に向けて机の上に出した。
「このたび係長・主任制度を見直すことになりました。その案でございます。一通りご説明したいのですが」
「見直すことになったって誰が決めたの。人事部が勝手にやってるだけのことだろ。役員会で“見直さなくてもいい”ってなるかもしれんのに“見直すことになりました”なんて勝手なことを言うなよ」
『カッチーン』平田はレンガのブロックでいきなり頭を叩かれたような衝撃で頭に来た。
“主管部署である人事部が見直すと腹を決め、根回しをしてそれを役員会にぶつけるんだよ。それが見直すということなんだよ”
大声で言い返したかったが、覚悟を決めて来ているだけに良く耐えた。
「それじゃ、お言葉どおり人事で勝手に進めさせていただいて、役員会で議論なさいますか」
平田も負けてはいなかった。“もはや浮田の触手の圏外で仕事をしているのだ。遠慮なんかするもんか。それよりきちんと筋を通すことが川岸のためだし、二度と配下に戻らないための最善策だ”そう腹を括っていた。
「あんたも厚かましい人やな。製造部を爪弾きにする気かね」
「ですからこうして説明に来ておるのですが、人事部の勝手な仕事だなんて言われますとそうしたほうがいいのかなと思っただけです」平田は引き下がらなかった。
「俺は忙しいから他の者に相手させるということよ」浮田は、忌々しそうに吐き捨てた。
“何が忙しいものか。雑誌を読んでたじゃないか”机の上に広げられた週刊現代に目をやりながら胸の中で舌打ちした。
「はい。それじゃ誰に話しておきましょうか」
「山本君」浮田が大きな声で呼ぶと、山本は飛んできた。
「今度人事部で係長・主任制度を見直すことになったんだそうだ。おかしなことにならんように話を聞いといてくれ」
“何がおかしなことだ。今がおかしいんだよ”いちいち癪に障る言い方だが胸の内でそう叫びながらグッと唇を噛みしめた。
それにしても山本を相手にさせるとは、なんという底意地の悪さよ。山本は昔、平田を裏切り山陰工場建設に加担して工場長に納まった平田のかっての上司だ。その因縁を再現し、2人の勝負を楽しもうというのか。
それだけ浮田にとって2人ともどうでもいい人間だということを意味している。どっちがどれだけ傷付こうが痛くも痒くもないのだろう。そこまで浮田に疎まれながらなおも浮田の下で仕事をしなければならない山本を気の毒に思いながら、“この男なら遠慮は要らぬ、やりやすい”と思いつつ山本の後ろに付いて行った。
浮田は、平田の後姿を恨めしげに見送りながら“やはり人事になんぞ出すんじゃなかった”と臍をかんだ。
つい半年前だ。川岸が平田を欲しいと言ってきた時、ひょっとすると自分に反対する勢力の強力な戦力になるかもしれないと一度は拒否を試みたことを思い出した。しかし、それも川岸のごり押しにやられてしまって、今やその川岸の片腕として力を出し始めている。
製造部のみんなが一斉に平田のほうに視線を浴びせた。つい今しがた浮田の怒声がこぼれたばかりであり、“また一悶着あるのかな”と好奇の目だ。浮田や山本との因縁を皆知っており、その平田が製造部に顔を出すことに奇異な感じを抱いていたところだ。むろん、平田びいきの者もいる。前者は目を丸くし驚きを隠さない。後者は嬉しそうな顔をして復帰を喜んでいるようだ。
山本は、簡単な仕切りで囲まれた会議用のテーブルに案内した。
「それで何をしようと言うんかね」山本は開口一番、つっけんどうな言い方で詰ってきた。
「何ですかその言い方は。昔とちっとも変わっていませんね。だから皆から裏切られるんですよ」平田も負けてはいなかった。ビシッとやり込めた。
平田は自分から喧嘩を吹っかけることはけしてないが、遠慮がいらない相手に噛みつかれたら10倍くらいの辛辣さでやり返す。決して負けない。それが平田の欠点だ。もう少し柔らかくなればもっと穏やかな人生が送れるものをそれができない。後藤田あたりからも「もっとオブラートに包んで話してごらん」と諭されたものだ。かし、この男だけは許せない。自分を裏切った男だ。ここで緩めると舐められる。
山本は苦虫を噛みつぶしたような顔をしながら、態度を怯ませた。
「今度、係長・主任制度を見直すことになりました。組織を運営するためのフォーメーションとしての位置づけです。製造部のフォーメーションとしてこれで良いかどうかを検討してもらいたいのです」
「そんなもん、俺一人で決められるわけがないじゃないか」
「そんなこと私は知りません。常務はあなたに説明しろと言われたんですから内部はあなたがまとめてください」平田は突き放した。
山本には返す言葉がない。仕方なく黙って資料を読み始めた。
「どうしますか。一通り説明しますか。それとも読み終わってからにしますか」
「うん。一通り読ませてくれ。それからわからんことを聞くよ」
「わかりました。それじゃ明日この時間にもう一度来ます。それでいいですね」

やはり、一筋縄ではいかなかった。平田は忌々しい気持ちを抱きながら人事部に戻った。同時に「けして弛めるもんか」という意地を固くした。
明日の質問も何が出るかわかっている。ポスト数の総数の削減と副主任の廃止が問題になるのは明白だ。
平田は明日に備え、じっと冥想した。想定される質問に対する答弁を繰り返し用意した。そこに論理の矛盾や齟齬はないか。何度も何度も繰り返し、自分の心に冷や水を滴らせながら慎重に思い描いた。
川岸が、「ヒーさん」「ヒーさん」と3度も呼んだが聞こえなかった。
後ろの席の女子社員が振り返り、背中を突っついてくれてやっと気が付いた。

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