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思う

更新 2008.10.24(作成 2008.10.24)

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第4章 道程 18. 思う

樋口は実にいろいろなことを考えている。考えているというよりそれは思うと言ったほうが正しいだろう。そう、若い恋人たちが寝ても覚めても大好きな相手のことを思い続けるように。
真剣に相手のことを好きになったら“今度の誕生日はこうしよう。次のデートではこうしたら喜んでくれるかな。あの人たちはあんなことをしている。私はこうしよう”などと考えるはずだ。それと同じだ。
樋口はひたすら会社のことを思い続けている。新聞を見てもテレビを見ても、車の中から見る景色からも、全てが社業に結びついてくる。わが社ではどうなっている。なるほどこういう方法もあるのか。こんな考えもあるのか。こうしなければいかん。などといろいろ連想を働かせている。どんな難しい案件もただひたすら思い、考え、常に心掛けていれば必ず出口が見つかるものだ。もし呑気に構えていたらせっかくのヒントも見逃してしまうだろう。
「仕事を好きになれ」というのはそういうことだ。

昭和62年の年頭あいさつで、樋口はこう訓示した。
『思うて一なれば敵なし』
司馬遼太郎の『飛ぶが如く』の一説を引用したものである。
西郷隆盛が、若い者から「自分は何かしようと思うがどう心がければよいか」と問われたときに答えたものだ。
メンドリは卵を抱いているときは、どんなにうまそうな餌を近づけても見向きもしなければ、またおどしても逃げもしない。臆病で警戒心の強い猫ですら、鼠を狙うときは怖れもせず他を振り返ろうともしない。
つまり、1つの目標のために思いを凝らしたら、わき目も振らずに、何者も怖れず、一心不乱にやり遂げよ、という意味である。
このことは新年の社内報に詳しく載せられ、全社員がその意味を理解することになる。社内報では、『思うて一なれば敵なし』の精神でやり抜こう、と結んだ。
これによって社員各自は、自分の「思い」の部分が経営方針、予算からくる各自の目標であることを強く意識することになる。
樋口はこれを色紙に一枚一枚丁寧に自らの手で書き、サインを施して45の全事業所に送った。本社の各部にも配られた。事業所ではこれを額縁に入れ、社員が一番よく見えるところに掲示した。その後も内容はその時々で最も組織に必要なものを訓示して毎年続けられ、それが中国食品の年頭の風物詩になった。
こういうものは毎日繰り返し目にしていると、次第に精神に浸透し人間をその気にさせていく。
『思うて一なれば敵なし』は、賢者の悟りというか境地に近いものだが、樋口は仕事に向き合う姿勢とか心構えとして引用したのだ。なかなかダイナミックな躍動感を取り戻せない社員の意識改革の一環だ。
年頭訓示を考えること、色紙を書くこと、年賀状を整理すること、それが樋口の正月休みの仕事になった。他人任せにしないところに樋口の『思うて一なれば……』が伺える。
樋口が就任して1年が過ぎた。樋口の政策に営業現場がやる気を取り戻し、業績が徐々に回復の兆しを見せはじめたころで、樋口のこの訓示は、社員がようやく本来の闘志をよみがえらせようとするその機微を絶妙に刺激するものだった。実によく社員の心境を掴んでいる。
折しも堀越が営業部へ復帰した。そのことも第一線の営業マンに安心感を与えた。堀越のような実力、人望ともに備えたものが一地区部長に納まっているのは言わば組織に歪みを起こしているようなもので、一般社員から見ても違和感があり居心地悪く落ち着かない。
その歪みとは、実力や本人の頑張りと不釣合いな処遇の仕方だ。そんな人事は、まじめな社員に頑張るより上役のご機嫌をとることのほうが大事なのかと思わせてしまう。そのことを社員は悲しがっているのだ。
しかし、その歪みが修正され納まるべきところに納まったことで、社員は落ち着きを取り戻した。また頑張ろうと思うことができる。
一般社員の場合も同じだがそれは小さな歪みで地震の初期微動のようなものだ。大きな地殻変動を引き起こすには至らない。
しかし、堀越の存在はそれほど大きかったのだ。それほど彼の人間性と政策は現場に厚い信頼があった。彼の復帰は現場に自信を回復させた。
このモメンタムに弾みをつけることができたら、ひょっとして中国食品は長いトンネルから抜け出すことができるかもしれない。そんな態勢が整った。

しかし、この年の春闘ではまだまだ厳しいものがあった。業績は赤字の域から明確に脱却したとは言い切れない。それに会社があれほど約束した人事制度がまだできていなかった。
職能資格制度の職能要件書や評価制度がいまだ完成していないのだ。春闘では当然槍玉に挙げられる。平田にしてみれば人事制度研究会のメンバーであり、進捗具合は自らの責任でもある。しかし、その研究会は昨年度の春闘後一回も開かれていない。事務局での作業に終始しているとの理由からであった。ならばその作業の成果を出すべきであったが、まだまとまっていないとのことである。そんなことで収まりはつかない。組合も対応を迫られた。
それに今年は、平田が2年越しに調査してきた地域手当を廃止する方向で逆提案している。地域手当を廃止し、その原資を家族手当に組み入れ、薄まる分を家族手当の増額で補うというものだ。
会社は職能資格給という能力主義を推進しており、組合は俗人的手当を要求するという、相反する政策がぶつかり合った。
「いいですか。賃金はすでに移行してるんですよ。それなのに基準ができていないとはどういうことですか。去年絶対に完成させると約束したじゃないですか」会社の作業遅れは、団交でも追求は険しくなる。
「すみません。みんな僕が悪いんです」事務局の西山が悪びれる様子もなくシャーシャーと謝った。一人自分が責任を被ることで格好をつけた。そんな見え見えのポーズを作田は見逃さなかった。作田はこれが癇に障った。
「そうですか。会社も全組合員もみんなが迷惑しているんです。謝るくらいのことではすみませんよ。本当に悪いと思うんなら、これだけの失態をしでかしたんですから責任取って辞めたらどうですか」
「イヤー、そこまでは……」西山は言葉を濁らせてもうしり込みした。
「ほーら、見なさい。なんの責任も取る覚悟なんかありゃせんでしょうが。偉そうにしゃしゃり出るんじゃないよ」作田はピシャリとやり込めた。
代わりに川岸が申し訳なさそうに謝った。
「大変申し訳ない。事務方の遅れは私の責任です。しかし、限られた人材でやっており限界もあります。基準作りがこれほど時間が掛かるとは計算外でした」
「一体何に時間が掛かっているんですか」
「職能要件書の部門間、職種間、特に本社の部署ごとのレベルのすり合わせが上手くできないのと、これをマトリックスに考えた評価制度への落とし込みがうまくいきません」
「それじゃ今年の評価はどうしたんですか」
「従来のやり方でやりました」
「情けない話ですね。それじゃ、運用も今までどおりですね」
「申し訳ない」
「組合が要求している地域手当の廃止と家族手当の増額も要求どおりでいいですね」
「地域手当については、世間の風潮に流されて会社も安直に導入したきらいがあり、組合の調査を尊重せざるを得ません。家族手当の増額は事務方とよくすり合わせて必要最小限度でお願いします」
こうして、昭和62年地域手当が廃止された。平田が調査を開始して丸2年を要した。
春闘そのものは、会社がようやく赤字から抜け出そうかというギリギリの業績論議(見通し)に終始した。しかし、業績回復の主要因は山陰工場の廃止やファイナンスの発行という経営手腕によるものばかりで、労働の貢献はこれからというところだ。交渉は不利だった。
しかも、そもそもの業績を悪化させた経営責任の追及は、飲みの席とはいえ不用意に仕掛けた責任論を樋口にピシャリと封印されてしまった経緯があり、使えなかった。
「まだ、黒字になるかどうかギリギリだ。これから先が、君たちの頑張りに掛かっている。それは年末に賞与で清算しようじゃないか」
こうして、昭和62年の春闘は地域手当が廃止されたものの盛り上がりに欠けたまま決着した。

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