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 ホーム > 正気堂々 > 目次INDEX > No.3-34

有罪

更新 2007.09.14(作成 2007.09.14)

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第3章 動く 34.有罪

要求基準が出来上がったのは、8月の第1週だった。専従でない平田は、土日や通常業務が終わってからの作業であるから時間の工面が大変だった。妻が体のことを心配してくれたが、悠長な時間はなかった。
しかし、平田は“何かいいものができそうだ”と、仕事そのものは楽しくそれほど苦労とは思わなかった。元々エンジニアの平田は物作りが好きだし、喜びも知っていた。執行委員会で承認されたときは嬉しかった。
この方式を打ち出したことは、会社に対してかなりのインパクトを与えたようである。10月の大会でオーソライズされると、会社は慌てて『人事制度研究会』なるものを立ち上げ、根本から見直す作業に取り掛かった。
大会議案書を見た川岸は、事務局員たちをかなり厳しくしかった。
「この方式に対してどう対応していくのか。あんたたちはどんな理論武装をし、どんな準備があるというのか。本来会社側から提案していかなければならないことだろう。押されっぱなしじゃないか。一体、今まで何をやっていたんだ。君らにビジョンはないのか。ただちに見直しに掛かるように」川岸は、人事部を緊張させるに十分な力を持っていた。
先の交渉で平田から制度の遅れを指摘され、今回はまた新しい要求基準を突きつけられることになる。交渉での川岸の発言は、会社の強力なメッセージとして全社が注目する。満額回答出せれば多少窮屈な理論も何の影響もないが、とてもそんな状況ではない。新要求基準に対し、会社もしっかりしたロジックをもって交渉に臨まなくてはならない。そのための言い訳材料も欲しいではないか。
“これからどう交渉を進めたらいいか”人事部長になってまだ半年しか経っていないが、会社がそうであるように人事部もこれほど窮まっていたのかと驚かされた。川岸には、交渉担当者として何の説明もできないようでは全社員に申し訳ないという強い使命感があった。川岸は追い詰められたような気になった。その焦燥感が事務局員たちへのきつい叱責となって現れ、人事制度研究会を発足させたのだ。
メンバーは、人事部の事務局以外に一般から広く集められ、組合からも平田が代表で出ることとなった。
結果として、新要求基準は会社がまた一歩動き始める起爆剤となったのだった。

平田が、要求基準作りに没頭していた5月の連休明けである。業務を終えていつものように組合事務所に詰めたとき、
「平田さん、今日時間がありませんか」と吉田が尋ねた。
「別にいつものとおりですから、いいですよ。どうかしましたか」
「うん、春闘でデモを中止して以来、我々の正常化運動が頓挫しとるように思うんよ。それで三役で作戦会議をしたいと思うんですがどうですかね」
「そうなんよ。それなんよ。実は私もデモを中止したとき、本当にこれでいいのかって思っていたんですよ。いつか話そうと思っていたところです」平田は、当時みんながホッとした顔で帰っていったとき、忸怩たる思いが込み上げたことを鮮明に思い出した。
「実は今日、豊岡さんの家で集まることにしましたんでお願いします」
平田は、吉田、作田らに連れられて出かけていった。

豊岡の家では、すでに料理などが準備されていた。
「奥さんいつもすみません。なんだかここが作戦本部みたいになってしまって」吉田が、すまなさそうに断りをいれた。他の2人も「お邪魔します」と口々に言いながら、ゾロゾロと上がっていった。
「いいんですよ。むさ苦しいところですが遠慮なく使ってください」奥さんも気さくに返してきた。
平田は、何か手土産でも持ってくれば良かったと悔やんだが、急なことで準備できなかった。
「私は店のほうを手伝わなければなりませんので、あとは自由にやってくださいね」そう言って、奥さんは料理やビールを出すと家を後にした。
子供たちは勉強でもしているのか、気配が感じられなかった。
「まあ、一杯やろうや」豊岡がビールを皆のコップに注ぎながら、
「しかし、なかなか会社って動かんね」と、ため息をついた。
「そんなもんですよ。だから我々が立ち上がったんでしょう」
「まあね」
「それでこれからどうするかやね。今日はそのことを相談したかったんですよ」吉田はみんなの顔を一通り見渡した。
「まず、我々の狙いを確認しましょうよ。むやみに実力行使を繰り返しても、一体何がしたいのかわからんときがあるんです」平田は、デモ中止の悔しさをぶつけるような言い方だった。
「そりゃ、会社の正常化よね」すかさず豊岡が突っ込んできた。
「その正常化って、どういうことよ」
「我々が頑張った分だけ会社が良くなり、それだけ我々の給与や賞与が報われるってことやろ」豊岡は口を尖がらせている。
「今だってみんな一生懸命頑張ってますよ。だけど山陰工場が足を引っ張っちょるから赤字なんですよ。会社が良くなるためにはですね、絶対あれをなんとかせんといかんのです。そこでしょう」平田は、山陰工場が諸悪の根源だと確信している。
「山陰工場をどうしたらいいですか」吉田は営業出身だから生産部門全体のことがよくわからない。確認のつもりで聞いてきた。
「閉鎖したらいいんですよ。あれだけの固定費を負担し、ランニングコストを考えたら、赤字になるのは当たり前です。工場を閉鎖して、土地や機械を売っぱらって、借金を返して金利負担を軽くするんですよ」
「固定費ってどれくらいかかるんですか」
「償却が5億、金利負担が4億くらいだと思いますが、これは投資に関するものだけですからね。本当に固定費として考えたら、これに人件費が1億4千万、税金やら電気ガス水道、通信費、書籍代など、諸々の維持費を入れたら14、5億が固定費として必要です」
「そんなに掛かるんですか。それってハッキリした数字はわかりますか」
「私が計算したのでよければわかりますよ」
「それにしても、会社の実際の赤字はもっと大きくないかい」作田は数字に弱いらしく大人しく聞いているが、豊岡はさらに深く聞いてきた。
「そりゃそうでしょう。販売そのものが大きく落ちているし、山陰工場からわざわざ逆送して経費を膨らましとるんやから、この輸送費は大きいよ」
「それもわかるわけやね」吉田は、何かのために裏を取るような聞き方だった。
「わかりますよ。輸送計画が毎日出ますから」
「それも全部浮田がやりよるんやろ。許せんな」豊岡は憤慨した様子をして見せた。
「だから、山陰工場をつぶさにゃどうにもならんのよ」平田は、自分の意図と違う投資の誤謬を白日のものとし、自分の正しさを主張したかった。
「しかし、今の役員では閉鎖にもっていかんやろね」吉田は、やはり役員に問題があると思っているのか、自分に言い聞かせるようだった。
「そりゃそうやろね。リベートのためにわざとそうしとるんやから」
「リベートをもらっている証拠はあるんですか」吉田は慎重に進めた。
「それはないです。それを悟られるほど彼らもバカじゃないでしょう。しかし、今の会社の惨状をみればこれだけの状況証拠だけで十分有罪だと思いますよ。リベートじゃなくても、毎晩のように接待で飲み歩いとるやないですか。それでシビアなビジネスができると思いますか」平田も、つい興奮した言い方になった。
「役員が問題やなー。山陰工場だって役員がしっかりしとったらなかったやろ」吉田は同じことを言った。
「だから、やっぱり株主に訴えるしかないんよ」
「デモを強行しとけばよかったかね」
「いや、それは河村常務の言うとおり、リスクが大きすぎたやろね」
吉田は、今でもトップとして踏ん切りを付け切れなかったことに少し惑いを残しているが、責任者としての臆病さを選択した自分の判断を信じている。
「今更、実力行使じゃ会社は変えられないと思う。違う戦略を考える必要があるやろう。山陰工場を閉鎖しても、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の奸悪が会社に巣食う限り、違うところでまた同じことを画策するやろ」しっかりした口調で付け足した。
「トップを交代してもらうのよ」豊岡が強く主張した。
「それができれば簡単よ。なかなか策がないから悩むわけよ」作田は、少し投げやり気味に言った。
「しかし、それをターゲットにせんと我々の活動は終止符を打てんよ」
「そのとおりだと思う。我々の戦略もその一点に絞らんと会社を変えることはできんと思う」吉田はみんなの顔を見渡した。
「しかし、本当にそれでいいんですね。人をターゲットにする以上、どこに飛び火するかもわからんし、どこに火の粉が降りかかるかもしれんよ。本当にそれでいいですね」みんなの覚悟を確認した。
「いいよ。やろうよ。ここまで来て今更引き返せんよ」豊岡が強く返事して、みんなも大きくうなずいた。
平田は、返事をしながら後藤田専務の顔を思い浮かべていた。

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