更新 2016.04.19 (作成 2006.08.25)
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第2章 雌伏のとき 32.懇親会
懇親会は6時ちょうどに始まった。福嶋までは裏の路地を抜けると会社から歩いて2、3分の距離である。平田らは一旦組合事務所に戻って荷物を置き、みんな揃って出かけた。福嶋の親父は50前後であるが、平田の釣仲間でもある。平田の顔を見るとニコっと笑った。
福嶋は古くから可部にある小料理屋で、昔は川魚を主にした旅籠であった。近年は寿司や割烹料理などを商いの主にしている。ヤマメや鮎、スッポン料理などももちろん出してくれるが、一般の個人や家族連れには好みのオーダーで料理してくれる。しかし、宴会には必ず川魚が出される。いくつかの仕切りで区切られた大きないけすは、何時行っても何種類かの魚が元気に泳いでいた。
可部は水がきれいなことから、こうした川魚をメインメニューにした小料理屋がほかにも何軒かある。その中でも福嶋が一番の老舗で最も大きな店構えをしている。
川魚は好みにより、ヤマメが旨いと言う人もいるが平田は鮎が一番好きだ。新鮮な鮎はスイカのような香ばしい香りがする。
鮎の食べ方で一番旨いのはやはり塩焼きであろう。身の部分にはパラパラっと薄く塩をふる。あまり多く付けると辛くて鮎の風味が損なわれる。その代わり背びれや尻尾にはしっかり付ける。こうするとひれなどが焦げずにきれいな姿に焼ける。焼くのはやはり炭火がいい。遠火でゆっくりと焼く。遠赤外線が魚の旨みを引き出してくれる。こうして焼いた鮎は、蓼酢か土佐酢でいただくとなんともいえない香りと味がしてとても旨い。
釣り好きの平田は、鮎もよく釣りに行く。昼時に釣りたての鮎を仲間と川原でバーベキューするのを楽しみにしている。
席は社長の小田と委員長の吉田を中心にし、会社側と組合側を交互に左右に開いてコの字型に座った。平田は河村の隣になった。後藤田の隣は嫌だなと思っていたので、内心ホッとした。
河村は話好きである。乾杯が済むと、
「どうかね」と、平田が勧めるより早く平田にビールを勧めながら気軽に話しかけてきた。組合役員に対する気遣いであろう。
河村と平田は部門も違い、それほど親しく話したことがなかった。河村も平田を意識し始めたのは、平田が組合役員になり表舞台にデビュ−してからである。会社役員が組合役員を意識するのは、その何がしかの組織への影響力や権力のせいである。ただ、河村のそれは多少そのせいもあるが、純粋に組合役員の志に共感するからであろう。河村の組合役員に対する接し方から、“信頼しているよ”というような河村の気持ちが伝わってきた。“マル水食品の組合活動のレベルが、そうした信頼を得る領域にあるからであろう。俺たちもそうならなきゃ”と自省させられる。
平田は、自分の仕事のことを話した。
「私は原価計算や工場の損益計算などを担当しております。でも、私は一番大事なのはメリット計算だと思っています」
「投資の是非を決める計算やな」と河村は答えた。
「はい。確かに原価計算や損益計算は日ごろの工場管理の上で大事ですが、これを元にするメリット計算が会社を左右すると思っています」
「そうだな。俺もそう思うよ」河村は、平田が仕事の本質を深く理解していることを感じ取った。その上で、
「山陰工場はどうだったんだ」と聞いてきた。
「常務のお見通しのとおりだと思います。いろいろありまして、最後は担当を外されました」多少自嘲気味に、苦笑いをしながら小さな声になっていた。
「私たちが組合をやるようになったのも、その辺に理由があります」
河村は、すぐ近くに浮田がいるので平田が歯切れの悪い返事をせざるを得ないのだなと察して、
「そうか、わかった」とこれもまた小さな声で返事し、話をそらすかのように、
「おう、それでやな、今度一杯飲みにいこうや。後藤田専務を誘ってやな、三役とでやろうじゃないか」と平田の肩を叩いた。河村は後藤田とは気が合うらしい。
「はい、いいですね。ぜひお願いします」
この時点で、役付役員の序列は、小田社長ー後藤田専務ー河村常務ー浮田常務ー新井常務、の順になっている。浮田は後藤田、河村を超えて存在したいため、小田に接近している。
後藤田、河村の2人は、そんな浮田をおぞましい心の持ち主だと思いながらも、上と下から押される格好で自然と近しくなっていった。
新井盛雄は、55才の経理担当常務で、やはりマル水食品から送られてきていた役員である。役員会で山陰工場建設の審議のとき、その是非をめぐって浮田と激しくやりあったその人である。孤軍奮闘したが援軍に恵まれず、小田ー浮田連合に押し切られ、山陰工場の建設が決まった。このときには、まだ河村は赴任していなかった。
酒が回るにつれ座が乱れてきた。それぞれに思いの人のそばに集まるようになってきた。一番人気はやはり河村である。営業担当常務であり、この場にも営業出身者が一番多かったからあいさつも含めて皆酒を注ぎにきた。平田の前にはいつも誰かが座って、河村と話をしたがっている。どんな話をするのかと聞いているとやはり営業施策のことや現場のことが多い。河村も「ウンウン」と聞いて相手をしていた。
河村との話が済むと、後藤田のところへ流れていく。その間には小田がいて素通りはしにくいので、お義理にちょっと酒を注いでいく。
浮田のところには誰も行かない。仕方なく平田が行った。本来なら行きたくないところであるが、直接の上司でもあるし“俺が行かなきゃしょうがないじゃないか”と、ビールを持っていった。
一方で楢崎が平田の転勤手続きを進めていることなど露ほどにも思わない平田は、
「今度は、いろいろとご迷惑をかけるかもしれませんがよろしくお願いします」と通り一遍のあいさつをした。
「うん。あんたも大変やな。しかし、仕事も大変やからな」と、含みのある言い方をし、翌週には通知するであろうことが言外に滲(にじ)んでいた。
そうとも知らない平田は、“また、いつもの嫌味か”と受け止め、
「すいませんね」と言い残して、そそくさとその場を離れた。
“浮田と話をするたびに嫌な思いにさせられる。だから行きたくねーんだよ”と、心の中でつぶやいた。自然、その場にふさわしくない怒った目になっていた。それを察した豊岡が、ビールを持ってやってきた。
「のぉ平田よ、今度、常務に飲みに連れて行ってもらおうや。ね、常務行きましょうよ。こんな大勢のところじゃ話ができんやないですか」豊岡は、同じ部門の上下関係ということで河村と親しげに話している。平田は、ある種の羨望を持った。自分は今までこのように話せる上司に巡り合ったことがない。例え河村が自分の上司であったとしてもこうは話せない。よほど息が合うのであろう。広い懐の河村が上司であることと、物怖じしない豊岡の性格が羨ましかった。
「ああ、さっきその話をしていたところさ。だけど、お前とはいつも話しているじゃないか」と冗談っぽく返した。「だからお前さんとは行かないよ」と言いたげである。
「いいじゃないですか。組合の連中とは行ったことがないですよね。ぜひ僕たちの気持ちを聞いてほしいんですよ」豊岡もムキになった。
「わかっているよ。今度機会を持つからな」河村は、笑いながら答えた。
「お願いします」と頭を下げ、平田に向かって、
「なあ、常務に聞いてもらわんといかんやろ」と、だいぶ酔っているようだが、豊岡にはこんな優しさがあった。