更新 2006.05.24 (作成 2006.05.24)
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第2章 雌伏のとき 23.士の心
昭和59年10月18日金曜日の午後である。浮田は、平田の直接の上司である楢崎を、製造部内にある小さな会議室に呼んだ。
「楢崎君、ちょっと来てくれんか」
会議室に入った浮田は、いつもの大きな声を一段と落とした小さな声で、
「今度、平田君は副委員長になるんやな」
「はい、そのようです」
「製造部のいろんなことが組合に筒抜けになるな」
「……」
「製造部から出そうと思うのやが、どうかね」浮田にしてみれば、山陰工場建設で正面から苦言を呈されて以来、腹に抱えてきた懸案事項である。浮田にとって平田は、いわば獅子身中の虫でしかなかったのである。
「はい。別にいいと思います」楢崎も簡単に答えた。
これまで出さなかったのは、これといったきっかけがなかったこともあるが、たとえ平田が製造部の秘密や恥部を知ろうともどうせ大したことはできやしない、せいぜいどこかで愚痴ったり陰口たたくくらいのことが関の山、と高をくくっていたからである。
“しかし、これからは違う。奴は副委員長という何がしかの権力を持った。その気になれば組織を動かすこともできるハズだ。これから奴の発言は単なる愚痴ではなく、正式なステートメントとなる。団交や会議での発言は公式発言になる。これ以上抱えることはできんな”浮田が慎重に考えて下した決断である。
出すことによるコントロール不可のリスクもあるにはあるが、抱えることによるこれからのリスクを考えると、将来のほうがはるかに大きい。過去は過去である。
「原価計算をやれる者を育てておけと宿題を出しとったが、誰かいいのが育ったかね」
「はい、お目に適うかどうかわかりませんが、水沼に勉強しておくように言ってあります」
水沼富士夫は、岡山工場の主任で33才と平田と同年齢である。
「うん。あれか」ちょっと顔を思い浮かべるような表情をしながら、
「彼で大丈夫か」と言いながらも、浮田は満足そうであった。
「多分やってくれると思います」
「そうか、それじゃ出そう」
「はい」
2人の意思が確認された。
「そこでやな。なにぶんにも現職の副委員長を動かすんや。何か適当な理由が必要と思うんじゃが、いい考えはないかね」
「そうですね。ちょっと急には思い浮かびませんが、考えます」楢崎も考えるふりをした。
「そんな情けないことじゃいかんやないか。頼りにしとるんじゃからな。しっかりしてくれよ。常にいろんな状況を想定して対応を考え、即座に対策案を出すのが課長の務めよ」浮田は叱り口調になった。
楢崎は、“そうは言っても急に出てくるものか”と思ったが、
「はい。すみません」と頭を下げた。しかし、顔は笑っていた。
「副委員長といえば忙しいやろ。仕事は大丈夫かね」
「はい、仕事でしたら大丈夫だと思います。忙しいといっても春闘のときと賞与の交渉時だけで、あとは休日にやりますから。それに、仕事のほうも今はあまり急ぐような案件がありませんから」
「そうじゃないだろう」語尾を少し上げた、諭すようなゆっくりとした口調である。「まだわからんのか」と言いたげである。
「組合が忙しいから、大事な仕事が任されないんだよ」言い聞かせた。
「あっ、はい」楢崎も、やっと今意味を飲み込んだような返事をした。
「製造部で忙しくて、組合活動の足を引っ張ってはいかんので広島工場に転勤してもらうというのではいかんかね。副委員長といえば重職だ。製造部のおかげで組合活動に齟齬(そご)をきたしては申し訳がないからな」
誰かに言い訳でもするかのように、これが理由だぞと言っているようだ。
「製造部としても、組合で抜けられて業務に支障があっては困るしな」
「あ、そうですよね。いいんじゃないでしょうか」
「うん、それじゃ手続きしなさい」
「時期はいつにしましょうか」
「いつでもいいよ。早いほうがいいな」
「わかりました」
「じゃあ、頼むよ」と言って立ち上がりながら、
「それから、今日はL製紙さんと付き合いじゃ。今日は君も付き合いなさい。しっかり稼がせてもらおうよ」
「勝つのはいつも常務ばかりで、私なんかちょっとですよ」
「ちょっとでもいいやないか。負けることを思えば天国だよ」
2人は、人ひとりの運命を弄(もてあそ)んだ後に、マージャンの話でにやけて出ていった。人の品性とはこうしたところに出る。
人の品性は、育ちである。教養である。どんなにポストが上がろうとも、心掛けがなくてはそう簡単には変わらない。
また、品のない人というのは、品など要らないと考えている。品のなさを恥ずかしいことと気付かない。教養がないからである。
品のある人とない人とは、決して相いれない。
下品に暮らせたら楽だろう。やせ我慢をする必要がないからだ。
言いたいことを言い、したいことをして気ままに暮らしていける。
建築士、公認会計士など、今『士』が話題になっている。漢和辞典によると、士はサムライと呼び、学問・人格のある者とある。
昔の諺に「武士は食わねど高楊枝」というのがあった。
やせ我慢をし、自らを律することができる人が教養人であり、品格者ではないだろうか。
この諺を知っている方は、間違いなく教養人である。その心が、既にご自身の精神の中に宿っているからである。
そんな話が進められているとは露ほども考えず、平田は要求案作りのことで頭がいっぱいであった。