更新 2016.04.14 (作成 2006.04.14)
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第2章 雌伏のとき 19.高支持率
平田ら新執行部が、運動方針案の作成に取り組んでいるのと並行して、選挙管理委員会は投票に向けて準備を進めていた。立候補届けをもとに一人ひとりの顔写真と抱負を全支部に告示した。
選挙は、締め切りから2週間後の9月14日に各支部で行われた。その間の候補者は針のムシロに座らされたようなものである。
「立候補したんやな。しっかり頼むぞ」とか、「指名手配されとるやんか」などと、励ましやら冷やかしやらの電話がしきりにかかってきた。職場でも急に注目を集める存在になり、何となく対応もよそよそしさを感じる。落ち着きを取り戻すのに、平田らが組合活動をしている姿が当たり前と映るようになるまでの2週間程度を要した。
結果は、全員が90%以上の支持率を獲得して信任された。例年の結果は、2、3人が70%台、もう2、3人が80%台、残りが90%台というのが通例であったから、かなりの高支持率である。とりわけ、委員長の支持率は例年一番低かった。組合への不満もあるハズであるから、その辺の風当たりを、やはり一番強く受けるのであろう。しかし、今年は全員が90%以上である。業績不振による会社への不信、賃金や賞与の低下に対する不満、こうした状況を打破してほしいという変化への期待の表れであろう。
吉田は、
「ヒーさん見てください、この支持率の高さを。みんな同じことを考えとるんですよ。みんなの期待が選挙結果に表れていると思いますよ。やっぱりやらにゃいけんのです」最後は、自らに言い聞かせるように言った。
平田は、期待の大きさと自分にやれるのかという不安の入り混じった複雑な思いで聞いていた。
新執行部が正式に活動に入るのは大会が済んでからである。それまでは、現行体制による活動任期である。しかし、選挙の結果が出たこともあり、新執行部は三役だけで会社にあいさつに行った。
まず、労務担当の人事部長のところへ行き信任を受けたことを報告した。
人事部長は筒井誠人である。小田が社長になった翌年、後藤田専務らは反対したが社長の強い要請でなったもので、人事部長を大過なく過ごせば次は役員と、衆目を集めていた。年齢は45才で、長年営業畑を歩いてきて人の扱いは慣れていたが、その分誠実さに欠ける面があった。人事部は組合との窓口であり、真摯な対応が求められる部署である。後藤田専務は、彼のそうした性格を懸念し、いまいち信頼をしていなかった。
「この度はおめでとうございます」形通りの祝辞ではあるが目は笑っていなかった。
「まあ、こちらで話しましょう」人事部長は応接室へ案内した。人事部の若い女性社員がすかさずコーヒーを用意してくれた。
「現執行部から全員替わるわけですか。えらい急な話でしたね。何か訳でもあったのですか」労務担当として、この辺の事情を把握しておきたいのはわかるが、吉田らにしてみてもあまり触れられたくないし切り込みが性急過ぎる。前委員長から聞いて知っているはずなのに何食わぬ顔で踏み込んできた。人の心情に土足で這い上がる無神経さが、吉田らには傲岸不遜(ごうがんふそん)に映り神経を逆立てた。
「別に何もありません。現体制も長いですし、組合の雰囲気もそろそろ変わってもいいかなと思いまして」
「あぁそうですか。まあ普通は何人か少しずつ替わるもののように思うのですが、今回のように全員が一斉に替わるというのは穏やかではないように思ったものですからね」
「別にそんなことはありません。ごく平和裏に交代しました」
「それならいいのですが、運動の継続性とかにおいて大きく変化はあるのでしょうか」
「特別何かしようということはありませんが、会社の対応の仕方にもよると思います」吉田も、少し憮然とした言い方になった。
「会社は特に変わったことはありませんが、それはどういうことですか。私の対応に問題ありとでも」険悪な雰囲気が漂った。
「私たちが替わったということは、会社や組合を少し変えたいと思うからです。業績は振るわないし、賃金や賞与は下がる一方です。これは何とかしなければならないでしょう。その辺に対する要求は少しきつくなると思います。会社もそれに応えてほしいと思います。それだけです」
「しかし、会社も一生懸命やってると思いますよ」
「会社が真面目にやっていたらこんな状態にはならんでしょう」作田が、つい抑えきれなくなって横から強い口調で挟んだ。
「……」
「いいです。今日はごあいさつに来ただけですから、そういう具体的話は別の席でやりましょう」吉田は双方をなだめるように言った。
「あ、そうでした。つい深入りしてしまいました。それじゃ、チョットお待ちください。専務のところへご案内します」
人事部長はそう言って専務の都合を聞きに出ていった。
「あれじゃダメだ。自分の都合だけを優先させよる」吉田は、今まで飲み込んだ嫌なものを吐き出すかのように言った。
吉田らは、2、3分待たされて後藤田専務のところへ案内された。
後藤田専務は、管理部門を管掌しており、当然労務問題の責任者でもある。
平田はこのときの来るのが一番嫌だった。できることなら顔を合わさずに通り過ぎたいところである。吉田に説得されて以来、これまで“こんなことをいちいち報告するのもおかしい”と思い、後藤田には何もコンタクトを取っていなかった。しかし、いつかは来る事であるしやると決めたときから腹だけは決めていたが、後藤田の気持ちがわからないだけに不安であった。できることなら理解者であってほしいと願っていた。
筒井の後に続いて、吉田、豊岡、平田、作田の順に入っていった。
後藤田は、組合三役が通されても特別愛想笑いをするわけでもなかったが、端整な顔つきに少し柔和な表情を浮かべて迎えた。
吉田らは、入ってきた順に横一線に並んだまま、後藤田がデスクから離れるのを待った。
筒井が、「どうぞこちらへ」とソファを勧めたが、吉田らはソファの後ろに立ったまま待ち続けた。
後藤田はゆっくりと歩を進め、応接セットを挟んだ格好で吉田らの前に立った。
“ついに、このときが来たか”平田の気持ちは高揚した。