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対決

更新 2016.04.14 (作成 2006.03.15)

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第2章 雌伏のとき 16.対決

お開きになったのは、東の空が白みはじめたころである。それぞれタクシーを拾い、
「それじゃ、また会おう」
「よろしく頼みます」
「ヒーさん、ありがとう」
思い思いの言葉を残して帰っていった。
平田は、すぐにタクシーに乗る気がしなかったので最後になった。
送りにきていた豊岡が、タバコに火をつけながらポツリと言った。
「平田よ、俺もお前と同じだったんよ」
不意を衝かれて、何のことかと豊岡の顔をのぞき込むと、
「俺も吉田さんに言われたときは迷ったよね。そりゃ、会社はおかしいし組合もおかしい。それはわかるが、俺たちに何ができるかという気持ちだったよ」
「今まで、散々俺を口説いてきたくせに」平田は、半分皮肉を込めて冗談っぽく返した。
「しかし、あの人と話しよったら吸い込まれてしまうんよね。よし、俺がやらにゃいかんちゅう気になってしまうから不思議よの」
「これは辛い仕事になるね。失敗は許されんし誰にも言われない。言っても誰も理解してくれんやろうね」
「そらそうよ。“好きでやったんやろ”と誰も評価なんかしてくれるもんか。いつか何かのきっかけでわかったとき、“そんなこともあったな”と言われるだけよ。辛い仕事よ。だから俺たちしかおらんのよ」
「ウン、そうやね」平田はしみじみと言った。

豊岡と別れた平田は、明るさを増した夜明けの街の佇まいの中に身を同化させ、しばらく歩いた。さわやかな朝の空気を肌で感じながら昨夜のことをもう一度思ってみた。
“世の中にはすごい奴がいるものだな。俺なんかまだまだ小さい。いい仕事さえすればいいと思っていたけど、気持ちだけじゃダメだ。何かを成したいと思ったら、身を捨てる覚悟がなくては何も動かんということか。
だが、俺は本当に身を捨てきるのか。一人ではせいぜい浮田とのバトルくらいが関の山や。こんな企てはとてもできん”
平田は、吉田らの発想の大胆さに感嘆しながら、どこか彼らに頼っている自分を感じた。昨日の出来事が走馬灯のように巡っている。
近野から教わった『大志』の意味が、現実味を帯びて少し理解できたように思った。
“しかし妻にはどう話そうか。今は子育てで一番手がかかるときに、組合なんかで毎晩遅くなって大丈夫だろうか。許してくれるだろうか”やはり家のことは心配だ。
“躾や生活習慣は妻が教えてくれるだろうが、人格形成に影響はないだろうか。父親の役目は何だろう。人としての生き方を教えることか。困難にぶち当たったときに、ひるまぬ逞しさか”考えながら歩いていたそのとき、平田の耳にゴーという音がいきなり飛び込んできた。
夜明けの街のざわめきたちは一気に目覚める。信号が働き始め、赤信号で溜められた車が青信号で一斉に加速する大騒音だ。それまで物思いに浸っていた平田を我に返した。
通りかかったタクシーがスピードを落とし、乗りませんかといった顔でのぞいたので軽く手で合図し、それまでの思案を振り切って乗り込んだ。
街は朝もやに霞んだ墨絵のような世界から、陽の明かりに暖められた本来の彩り達がそれぞれに目覚め始めていた。

京セラの稲盛会長が、あるコラムで、次のように言っておられた。
『成功の方程式は、「考え方」×「能力」×「熱意」=「成功」 である』と。
筆者の勝手な解釈であるが、「考え方」とは、志と方向性のことを言っておられるのだと思う。稲盛会長ほどの方なら、世のため人のため、強いては国家のことも視野に入れてのお考えだろうと思うが、我々凡人は、せめて会社全体のことを思って仕事をしたいものである。
また、方向性は、どんな部門のトップでも舵取りを誤ると会社を危うくするということか。昨今のように変化が激しく、グローバルな社会になると殊更である。いつ何が起きるかわからない。しっかり見極め、正しいジャッジが求められる。
「能力」は、知識も含めて自ら磨かなければならないが、考え方を方向付ける基礎にも通じる。正しい能力、知識を身に付けなければ、正しい考え方は生まれてこない。また、何かを成すだけの能力がなければ、成果は生まれない。
「情熱」は、やり遂げようと思う熱意であり、最後まであきらめない執着心であろう。さまざまな問題や困難を乗り越えていくための、体力も含めて精神的タフネスも必要だ。
方程式は、掛け算である。どれ一つ欠けても大きな成功はないことを表している。

立候補の受付締め切りも間近になった8月28日である。吉田優作と作田耕平は、現執行委員長の佐々木昭夫と書記長の馬場徹と、お互い2対2で流川の‘ふじの家’という小さな飲み屋で会うことにした。
流川は、広島の最も賑やかな歓楽街である。大きく立派な店構えが並ぶ中に、ひっそりと埋もれてはいるが温もりのある手料理と、女将の人柄に惚れたなじみ客でもっている小さな店も結構ある。
ふじの家は、15席くらいのカウンターと奥に小さな座敷が一間あるだけの小料理屋である。40代の夫婦2人でやっている店で吉田らはよく使っていた。
平田も、形式ばった店よりこうしたこじんまりとした店が好きである。

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