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急接近

更新 2016.03.22 (作成 2005.05.02)

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第1章 転機 10.急接近

「社長は、今何をしておられるかな。ちょっと会いたいので、都合を聞いてくれんかな」
「はい。ちょっとお待ちください」
あいさつ回りを終えた小田新社長のもとへ、浮田常務がすり寄ってきた。
専務のポストが1つ空いたのである。色めき立ってもおかしくはない。
浮田は野心家であったから、こういうことには極めて目ざとい。
“新社長にロイヤルティを示しておくのも悪くない”と考えているのだ。
自ら秘書室に出かけていき、社長付秘書に社長の都合を尋ねた。
秘書の名前は竹内玲子といって、平田がかつて工場で勤務していたときの同僚の妹である。兄はちょっと偏屈なところがあったが、妹は気立てのいい、朗らかな娘であった。特別美人というわけでもないが、純朴な感じがして平田も気に入っていた。
小さな田舎町のことである。それほどたくさんの働き口があるわけではない。中国食品のようにちゃんとした会社の体を構えているようなところは可部近辺には4、5社しかない。しかも従業員1,300名を擁する上場会社である。この町では大会社と評価されていて、男女を問わず人気があった。
地元の人たちは中国食品に勤めることに憧れをもっており、竹内兄妹のように兄弟や親子で勤めている人も結構いた。
社長室には廊下側に正式な出入り口と、隣の秘書室からも出入りできる扉がある。
社長の都合を尋ねてきてくれた竹内は、社長室に通じるドアを閉まらないように片手で押し開いたまま、
「今ならよろしいそうですので、どうぞ」と浮田を案内した。先に中に入りお辞儀をして浮田を迎え入れると、ドアを閉めて出て行った。
「社長、お疲れ様でした。大変でございましたね」
「いやー、まいりましたよ。くたびれました」
「本当に、気を使う相手ばかりですからな。お察し申し上げます」
「まあ、お掛けください。ゆっくりお茶でも飲みましょう」
手のひらを前に突き出すように、ソファを勧めた。
「コーヒーでよかったですかな」と浮田を見やりながら、インターホンのボタンを押し秘書にコーヒーを2つ頼むと、自分もデスクを離れソファに身を沈めた。
社長室は20畳とさほど広くはなかったが、皮製のソファや木製の書棚などが配置してあり、落ち着いた雰囲気の部屋である。
その隣は監査役の部屋になっていた。同じ広さであるが、2人の監査役が相部屋で入っていた。
役員の個室らしい個室といえばこの2部屋しかない。
専務時代は営業担当で現業部門を持っていたから、営業部の大部屋の一角に簡単に仕切った専務室が設けられていただけである。そのため、大所帯の喧騒な雰囲気に慣れていたから完全に隔絶された社長室は吸い込まれるほど静かに感じた。寂しく思っていたところへの浮田の訪問である。内心うれしかったのであろう、ニコニコと愛想よく応対した。

社長室に引っ越してまだ3週間しか経っていない。その大半をあいさつ回りに費やしていたからプレジデントチェアはまだ尻に馴染んでいなかったが、デスクの前に広げられている応接用のソファにドッカと腰を下ろし、斜めに体をひねり、足を組んでタバコをくゆらす姿は最高権力者の姿そのものである。
「ところで社長、新社長ご就任のお祝いと、あいさつ回りでお疲れでしょうから慰労を兼ねてのゴルフなんぞいかがですか。実はお誘いが来ておりまして、是非ご都合を聞いてくれとのことであります」
「それはありがたいですね」小田はうれしそうに身を乗り出した。
実際、社長になって本当にうれしいのか迷惑なのか自分自身よくわからないところがある。あいさつ回りをしても片や威風堂々のその道の傑物ばかりなのに、一方のこちらはまるで張りぼての虎よろしく、にわか社長が見え見えである。それがとてもやるせなくこれから先が思いやられていた。
そんな折のゴルフの誘いは慰みとして涙が出るほどありがたかった。
浮田としては、そこまでの心配りをしたわけではなく、新社長に何とか取り入ろうとすり寄っていったに過ぎないのだが、しかし、それが絶妙のタイミングで心の琴線に触れたのだ。期せずして抜群の効果だったことになる。
人の心の機微とは不思議なものである。ちょっとしたおためごかしが、2人の関係を急速に接近させた。
「やられますか。それでは私に任せていただけますか」
まるで、全て自分がセッティングするかのような言い方であるが既にお膳立ては済んでいる。
「相手はどこですか」
「N製糖さんです。今度の土曜日なんかよろしいですかね。実は、八本松カントリークラブが既に押さえてあるんですよ」
「いいですね。あそこは難しいがいいコースだからね」
小田は手帳を繰りながらスケジュールを確認し、予定に書き込んだ。

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