父の卒業
春は出会いと別れの季節、卒業や入学などを経験される方も多いと思います。
私の父はこの春、長かった職業人生を卒業しました。高校を卒業して以来40数年間ずっと働き続けてきた父、そんな父の人生思うと感謝の気持ちでいっぱいになります。
農家の長男として生まれた父は、農業を継ぐため大学には行かせてもらえませんでした。
弟はいずれ家を出るからと大学を卒業させてもらい、その後教員になりましたが、自分は高校までしか行かせてもらえず、遊ぶこともなく平日は仕事、休みは農業と働く日々、口には出さずとも悔しさもあったのではないかと思います。
仕事もはじめはそこそこ中堅の会社に勤めたようですが、会社の移転についていくことができずしかたなく転職。
とにかく農業ができるように、どんなに小さくても近所で転勤がなく、仕事が早く終わって農繁期には休みの融通がきくところを......。しかし、小さな会社だとそれだけ経営も不安定になりがちのようで倒産や会社の移転などにも遭い、町内で何度か転職をしたようです。最終的には知り合いが経営する小さな鉄工所で20年弱働き、このたび定年となりました。
鉄板を図面どおりの形に切ったり削ったりして加工する仕事、それは一人で黙々と行う作業のようです。それを知ったのは、父が仕事から帰宅後も同様の仕事をするようになり、家で夜働く姿を見るようになってからです。小さな鉄工所の給与だけでは子供たちを大学に行かせるには不十分だったのでしょう。
一日中立ちっぱなしで機械と向き合っての作業、作業服は油だらけになり鉄の切りくずが一面に飛び散っている、空調もないところで冬は寒く夏は暑い......。決して良い作業環境には思えませんでした。
パリッとしたスーツを着ているサラリーマンを多く見かける中で油まみれになって働く父の姿は、まだ学生だった私には恥ずかしいという存在でしかありませんでした。 大手企業に勤める友人たちの父がうらやましくて、高校のとき担任との面接で父はどこに勤めているかと聞かれ、「知らない」と答えたこともありました。私にとっては触れられたくないコンプレックスの一つだったのです。
黙々と作業をこなす職人のように見えますが、実際の父は人と話すのが大好きで、いつも冗談を言っているような人です。
私にかかってきた電話なのに私に替わる前にさんざん友人と話しこみ、私は父への電話と勘違いしていたくらいですし、友人からは「あなたのお父さんは面白いね!」といつも言われていました。
鉄工所に転職する前の仕事はある機械を売る営業で、いつも新幹線で出張に行っていました。「次は○○駅?、お降りのお客様は??」などと車内アナウンスをまねたり、お弁当事情や雑誌の読み回し、隣わせた人との会話など車内であった出来事を面白おかしく話してくれ、まだ新幹線に乗ったことがなかった兄や私はいつも楽しみに聞いていました。
父にはそのような外交的な仕事が向いていたようですが、その会社も倒産し結局は黙々と作業をこなす仕事に就かざるを得なかったようです。
私も無事大学を卒業させてもらい就職、そして結婚し遠くへ。自分の都合を優先しがちで、長い間ゆっくり父と話す時間はありませんでした。父も朝から晩まで鉄工所で働き、帰って夕食を食べたらすぐに家で内職。農繁期はさらに農業もこなすというハードスケジュール。
育児中で長期間帰省するようになり、最近になってやっと少しずつ父と話す時間ができてきました。
仕事から帰った父は、うれしそうにまだ幼いさくらを抱こうとします。しかしその手は真っ黒で、着ている作業服は油が染み込んでいるように見えます。
「赤ちゃんを抱くんだからきれいに手を洗って服を着替えてからにしてよ!」娘の私は容赦なくきつい言葉をかけますが、父は「ちゃんとせっけんで洗ったよ、服だって帰るとき着替えたのに......」と笑顔で、でも寂しそうにつぶやいています。一日のほとんどの時間仕事をしている父の手にも服にも、すでに洗っても落ちないほどの油が染みついていたのです。それに気づいたとき、私はあらためて感謝の気持ちがあふれてきました。
これまで自分の好きなことを犠牲にして、愚痴一つ言わずひたすら家と家族のために働き続けてきた父、ここまでして育ててもらえたからこそ私も人並みに学校にも進学でき、ぜいたくはできなくても人様と同様の生活をさせてもらってきました。
私も子供のためには必死に働き、子供を守り育てていく義務があるんだ。
父からは言葉でなく、生きざまから学んたような気がします。
この春から少しはノンビリできる父。小さな病気はあるようですが、今のところ自己管理でセーブできとりあえず元気なようです。
ここ数年は町の民生委員も務め、お年寄りへのボランティアにもいそしむ日々。本当はこのように「人と話す」仕事があっているのでしょう。これからは、自分の好きなことを優先しながらとにかく元気に過ごしてほしいと思います。
感謝の気持ちでいっぱいの娘がここにいるのですが、照れくさいのでそんな気持ちを伝らえれるのはまだ先になりそうです。