フランス旅行記 ピカソの苦悩
「カルト・ミュゼ」3日目は、期限が切れる前にこの券を活かそうと、あちこちまわりました。 まずは「St.Sebation」駅へ行き、そこからピカソ美術館へ向かいます。
駅からは大分離れていて、地図を頼りに探しました。
「Where is......ピカソ ミュゼ?」と英語らしき変な言葉で、歩いていたおばさんに聞きます。
「この道をまっすぐ......えっと、たぶんあの四つ角を左だと思うわ」と、とても親切に教えてくれたのに、四つ角まで来た私は「いや、まだまっすぐだ!」と思い込み、さらに進んでしまいました。
結局それが間違えで遠回りしてしまいましたが、なんとか無事に着きました。
この美術館ではピカソの有名な作品の他に、まだ見たことがない作品にも出会いました。
変形した人の顔や体。 その大胆なまでの自由さは、ピカソの余裕ある精神状態でこそ(彼は生きている時代にも人気がありましたから、お金のために作品を作るという束縛感はないという意味で)成しえたものかもしれないと感じました。
しかし、彼自身は人が思うほど幸せではなかったのかもしれません。彼の作品の、その崩された形、それでいて完ぺきなバランスを持つ表現を見ていると、なんだか「形」というものの限界に挑んでいたようにも見えます。目で見るかぎり存在する「形」という枠の窮屈さをなんとか壊しながらも、その新たな表現を生み出そうとしたのかもしれません。
ピカソ美術館を出た後、オルセー美術館へ向かいました。 この美術館は、オルレアン鉄道終着駅の駅舎を利用していて、ルーブル美術館や国立近代美術館と並び、各時代の作品を所蔵する規模の大きい美術館として知られています。やはり、教科書などで見たことがある絵画や彫刻がたくさん展示されていました。
ここにもピカソの作品がありましたが、中でも注目したのは習作です。あの天才ピカソでさえも、1つの作品を仕上げるのに、時間を重ね努力を費やしたのだということに驚愕しました。いかなる天才も必要なのは努力ということでしょうか。
次はロダン美術館です。オルセー美術館から歩いて行きました。
オルセー美術館がとても広かったので、すでに体はくたくたになっていましたが、ロダンの独特な表現に見入ってしまいました。
ロダンの弟子は、ロダンの作品が素晴らしいがゆえに自分の行く末を悩み「彼は確かにすばらしく完ぺきだ。しかしそれを否定してでも打ち破らなければ、 それ以上のモノは生まれない」と、作風を変えたそうです。
ロダン美術館から地下鉄の駅に向かっていると「アンヴァリッド」がありました。
ここはルイ14世が傷病兵を収容させるために建てたもので、ナポレオンの墓があります。ミュゼもあるので入ってみることにしました。建物の後ろ側には教会があり、天井がドーム型になっています。そしてその祭壇はとても美しく素晴らしいものでした。この教会の脇には軍事美術館があり、フランスを中心とした世界の武具などが飾られています。
散々歩いてへとへとになっていましたが、友人の家まで近いことに気づき、 歩いて戻ることにしました。
途中小さな教会へ入り一休みしました。パリには、有名ではないけれど、素敵なステンドグラスの教会がたくさんありま す。そして一休みしたい旅人もやさしく受け入れてくれます。
私はキリスト教徒ではありませんが、とてもやさしい気持ちになり神に感謝をしました。
その教会の門には薄いピンクのバラが咲いていて、とても良い匂いを放っていました。
ロダンの「考える人」 | アンヴァリッド |