戦争
戦争が始まってしまいました。
戦争、それをどこまで理解できるのかわかりません。いいえ、まったく理解なんてできない気がします。
戦争には反対。
そう言える平和な現代の日本人として、世界各国で繰り返される戦いを評価できるのでしょうか?
「傷つけることで笑顔は生まれない」のだから傷つけあうのはやめてほしい。スティービーワンダーの「カンバセーションピース」を歌い、穏やかに解決することを願わずにはいられません。
日本がこの戦争を支持していることに、私は恥ずかしく、そしてがっかりしています。
それは戦争を反対しないから、ということではありません。
国民の多くが反対をしながらも、朝鮮問題などで揺らぐ状況下におかれ、アメリカを支持せざるをえない日本であることに、 そして今まであいまいにしてきた多くのことが悪い結果として出てしまったことに、です。
小泉首相が、もしただの一日本人であるならば「戦争反対」と言えたのではないかと思うと、そういう日本を作ってきた政治家、それを選んだ自分たち を反省しなければならないでしょう。
この戦争によって、「アメリカが嫌い、支持した日本が嫌い」という人が増加したと 思うと、とても残念でなりません。
今私ができることは何でしょうか?
戦争反対のデモに参加することでしょうか?ポスターでも作って反戦を訴えることでしょうか?
私が中国へ来て版画学部で勉強し、未熟でも表現者として過ごしているのだから、何かをしなければいけない責任のようなものを感じています。 しかし、それができないでいます。
ただ怠慢なだけなのかもしれません。
もう春が来ていて、あわててコートを脱ぎました。
中国で4年目にして初めて美容院に行きました。
部屋を片づけて、部屋に春の風を入れています。
......
そんな普通の幸せを受け取れない人がこの世界にたくさんいることが残酷です。
「わたしが一番きれいだったとき」 茨木のり子 わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさみしかった だから決めた できれば長生きすることに 年取ってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのようにね |
◆ 茨木のり子さん関連ページ → 東京大学教養学部立花隆ゼミ『調べて書く、発信する』インタビュー集