みいちゃん、ありがとう
先日、実家で飼っていた猫のみいちゃんが虹の橋を渡りました。
享年推定22歳、人間の年齢に換算すると100歳を超えた大往生ですが、それでも悲しくて心にぽっかり穴が開いています。
そもそもみいちゃんは、私がまだ実家で両親と暮らしていた30歳の頃に両親の同意も得ず勝手に連れて帰った猫でした。
そのころの私は人生でいろいろと行き詰まり、相当荒んだ生活をしていましたが、両親もただ見守るしかできず、一番心を痛めていたのはおそらく両親かと思います。
そんなある日、突然猫を連れて帰り「今日から飼うから」といわれても、両親に心の準備があるわけもなく。
それでも、私の心が少しでも晴れるのなら、と快く迎えてくれました。
当時、推定生後半年くらいでしょうか、まだ「みいみい」と泣くので、母が「名前はみいちゃんね」といとも簡単に名付け、一家の仲間入りをしたのです。
実家では犬は飼ったことがありますが猫ははじめて。
猫を飼う知識はまったくなく、また当時はまだまだインターネットでの情報が少ないため、周囲に聞いたり自分なりに試行錯誤しながら、少しずつ共存していきました。
「最後までちゃんと飼うから」と啖呵を切ったくせに、猫がこんなに長生するとも知らず飼い始めて2年もしないうちに結婚し実家から遠いところに巣立った私。
「お父さんとお母さんが、しっかりみいちゃんの世話をするけ、あんたは自分の生活をがんばりんさい」
と快くみいちゃんの世話を引き受けてくれた両親には頭が上がりません。
その後、つわりで苦しんでいるときは電話口で鳴いて私を和ませてくれたり(★→癒されるもの)、娘が生まれたときは赤ちゃんの娘のそばでじっと見守ってくれたみいちゃん。
年に数回しか帰省しない私や娘にも、付かず離れずの距離でフレンドリーに接してくれたみいちゃん(★→さくらは猫のエサ係)。
突然猫を飼い始めた実家に戸惑ったであろう兄一家も、帰省時にはとても仲良くしてくれ、みいちゃんのおかげで家族がいつも笑顔で過ごせた気がしています。
そんなみいちゃんも年齢には勝てず、ここ数年は認知症なのか奇声を発したり、トイレ内で用を足す体力がなくやむを得ず猫用のおむつをしたり。
両親からそんな連絡があるたび、覚悟はしていました。
さて我が家にも1年前に猫がやってきました。
娘も高校生になりなかなか難しい年頃ではありますが、猫がいると雰囲気も和み、世話が大変ではありますが家族平穏に過ごしております。
ふと、両親に「猫を飼い始めて1年だよ。みいちゃんは元気?」と聞いたところ、すぐに「みいちゃんの写真は送れんのんよ」と涙声の母から電話がありました。
虫の知らせだったのか、私が連絡した数時間前に、母の腕に抱かれたままみいちゃんは虹の橋を渡ったようです。
ああ、ついにこのときが来たか。
悲しみとともに、亡くなる瞬間さえ私は見守ることができず、結局全て両親に託してしまった申し訳なさ、そして20年以上も世話を引き受けてくれた両親への感謝の気持ちでいっぱいです。
後期高齢者となった両親、これからは自分たちの生活で精いっぱいとなり、猫の世話までは難しくなることでしょう。自身のケアに力を注いでもらえたらと思います。
人間の言葉は話せないけど、家族の真ん中でみんなを笑顔にしてくれたみいちゃんには、心から感謝しています。
「みいちゃん ありがとう」
実家から離れるちょうど20年前 まだまだ若いみいちゃん。 |
赤ちゃんの見守り役もこなしました! |
人間の食卓でご飯を狙うみいちゃん | その姿は、つい1年前も健在でした |
家族の真ん中でくつろぐみいちゃん | たくさんの笑顔をくれてありがとう! |