友人のストレス
久々に会った友人が、会うなり怒り心頭の様子。聞けば愛車を当て逃げされたらしいのです。「悔しくて眠れない!」と実に腹立たしく訴えるので昨日今日のことかと思いきや、もう3カ月も前のことだとか。3カ月間もこれほど生々しく怒りを抱えて生きていたのかと思うと、そっちのほうが気の毒に思えるくらいです。
彼女は無類の車好き。とてもマニアックな車(何度名前を聞いても覚えられない)に乗っており、休日に愛犬を乗せて海までドライブに行くことが週末の楽しみで、唯一のストレス解消法は、夜中に愛犬を乗せて高速を飛ばすことだそうです。おそらく愛犬も車好きなんでしょうね。
その彼女、数年前にもちょこっとだけ愛車を擦ったことがあったのですが、その時の落ち込みようといったら、この世の終わりといわんばかりで、半年ほどもしょんぼりしてたでしょうか。
「車って一定頻度で擦るものじゃないの?」という私のぞんざいな励まし(?)に、「ありえない!」と言ってさらに怒りに目を丸くされてしまいました。
車にはあまり縁のない私に話すより、助手席の愛犬に話すほうがまだ慰められるのでは?とも思うのですが、彼女は毎度性懲りもなく、こんな私に切々と訴えるのです。
私はこれまで、車を運転していて死にかけたことが2度、殺しかけたことが2度ほどあります。なので、できればこのまま車を運転せずに済ませられたら、と思いますし、そのほうが世の中のためだろうとも自覚しています。そんな私にとって、「鼻先を擦る」程度の出来事は別に何ということもありません。
...というのはちょっと言い過ぎで、さすがに新車をこすったときは、ふがいなさと申し訳なさとで2日くらいは凹んでいました。なので、彼女の気持ちがまったくわからないわけではないのです(たぶん犬よりは)。
でも車を擦ったことで眠れないほどに心が傷つくくらいなら、趣味というのも考えものだなぁ、などと思ってしまいます。
友人の話を聞いているうちに、ある出来事を思い出しました。もうだいぶ前のことです。
ある土曜日の朝早く、玄関のインターフォンが鳴りました。その当時は忙しくて、ほんの1時間ほど前に眠りについたばかりでした。無視しようとも思ったのですが、あまりにしつこいのでしぶしぶ出てみると、「向かいのアパートに住んでいる者ですが」というその人は、「お宅さまの車にぶつけてしまいました。ライトも破損してます。申し訳ありません」と言いました。
私は(ああ、そんなことで起こされたのか)とその時は思い「そうですか、わかりました」と言ってドアを締めようとしたのですが、相手は引き下がろうとしません。
聞けば息子さんがまだ運転に不慣れで、車庫入れするのに切返しをしようとしてぶつけたとのこと。
我が家の車は古く、そろそろ買い替えようという話をしていたときだったので、動揺はありませんでした。むしろ眠い。すごく眠い。。。
「どうせ買い替えるところですから気にしないでください。なんなら、あと2、3度ぶつけていただいて結構です」と言うと、先方は目を丸くして「いやいや、まさかそんな......」となかなか引き下がってくれません。
私の気持ちとしては、(頼むからもうちょっと寝させてよ)が7割、(今の内にせいぜい切り返しの練習しておいてよ)が3割でしたが、真意というのはなかなか伝わらないものです。
数回押し問答した揚げ句やっとお引き取りいただき、再び眠りにつくことができたのですが、それから1時間も経たない内に、またピンポンと例のご近所さんです。
せめてお詫びにこれを、と紙袋を私に押し付けるようにして去っていきました。
中を見ると、高級そうなブランデーケーキの箱と、なぜかヤマザキの食パン。きっと食パンのほうは自宅用に買ったのでしょうね。返すのも何だし食パンもありがたくいただいておくか、と、もう眠るのをあきらめて朝食をとることにしました。パンをかじっている内にだんだんと目が覚めてきて、「もしかすると、対応を間違ったのかもしれないな」という気持ちも生じたのでずが、とはいえこのときの私の価値観は、「睡眠>車」であったことに間違いありません。
そんな思い出話は、とても目の前の友人には言えません。
同じモノを見ていても、人によって感情の注ぎ方はさまざまなわけで、それによって彼女と私の見ている景色も、相当に違っているのでしょう。当たり前のことなのですが、なんだか不思議です。そしてお互いに相手のことが「信じられない」と驚きつつも、こうして性懲りもなくコミュニケーションをとろうとしているのも、なんだかおかしな話です。
ともあれ、わからないながらも凹んでいる気持ちを察することはできるわけで、まぁまぁまぁ、となだめながら、ぼんやりそんなことを考えていた休日の昼下がりなのでした。
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