車内のマナーとニセ妊婦
通勤のためにバスと電車を使うのだが、高校生のころから年に1度は「妊婦さん」と間違われて、席を譲られている。
心優しい方の前に私が立つと、たとえば以下のようなやりとりが始まる。
おばさん「(立ち上がりつつ)あらあら、どうぞ、よかったら座って」
私「いえいえ!(両手で押しとどめて)どうぞおかまいなく」
おばさん「荷物重いでしょう、ひざにのせてもいいのよ」
私「いや、すみません、ほんとに大丈夫ですから」
本当は心配してもらう理由がないのだから、人をだましている気がして申し訳ない。そこに「私ってそういう体形なのかしら......」という落胆が入り混じる。最初は居たたまれなかったが、今では慣れてしまった。
この例では、もしかすると私の体調が悪そうだったので気を使ってくれたのかもしれない。妊婦だとは思っていなかったかもしれない。
そこで記憶をたどってみると、はっきり「妊婦さん」と言われたことが1度だけある。
私が大学生のころ。帰途につく会社員で乗客率80%の各停列車。
私は電車の吊り革にもたれて、一心不乱に本を読んでいた。
本の世界に入り込み、つい、妊婦に間違われやすいことを忘れていた。
斜め前に座っていたメガネのお姉さんが、スッと立ち上がる。
お姉さん「どうぞ!」
私「??」(......あ、降りるのかな?どうせなら座って読みなさい!ってことかな?いやそれはないか。)そう思って周りを見回すと、私の横に立っているのは50代後半とおぼしきご婦人である。(なるほど、この人に席を譲ったのか。)
私「(手で促して)どうぞ」(さあ、続きを読もう!)
ご婦人「え......」
お姉さんがじれったそうな様子で、「いや、あの、座ってください」と本に戻った私に向き合う。何が何だかわからずキョトンとしている私に、彼女はまともに問いかけた。
「だって、妊婦さんじゃないんですか!?」
ポカッと頭を打たれて、記憶が戻ったような感じだった。
(あっそうだ!私間違われやすいんだった。でもここまで断って今更「はい」とは言えないし。困った!こういうときは、えーと、正直に......)
私「いや、違いますけど......」
お姉さん「あっ............すみませんでした」
私「いえ、こちらこそすみません」
周りのサラリーマンが、心なしか「あちゃ?」と言いたげな顔をしている。
勢いよく立ち上がった手前、お姉さんももう一度座り直す気が起こらないのだろう。3人の女に囲まれて、空白の座席が困惑している。
「と、いうわけで、どうぞ」とご婦人に席を勧めて座ってもらい、私とお姉さんが横並びに立つことになった。
ここで和やかに「よく間違われるんです?」などと雑談すれば互いの心の傷が癒えたのかもしれないが、私にそんな余裕は残っておらず、黙って本の世界に戻るよりなかった。
家に帰ってこの話をすると、
妹「その対応はひどすぎ!その人、ショックで席を譲れなくなったかもよ。そういうときは座ってあげないと」
いや、私も結構ショックなんですけど......と思いかけたが、お姉さんは善意で席を譲ってくれたのだし、姿勢が悪かったり、ぽっちゃりしていたり、ピンクの服を着ている私が紛らわしい。本当は妊婦でないとはいえ、私が話を合わせるべきだったと少し後悔した。
しかし座ったら座ったで、その後の展開がややこしい。
駅の階段を2段飛ばしすると、「転んだら大変」と心配され「妊婦としての自覚が足りない」と怒らせてしまうかもしれない。
「何カ月ですか?」と聞かれても、自分の体形が妊娠何カ月にあたるのかわからない。また、おなかの膨らみは姿勢によるだろうから背筋を伸ばした途端に月が変動してしまう恐れもある。
「予定日は?」とか「男の子、女の子?」と聞かれることはさすがにないと思うが、「わからない」と答えても平気なのかわからない。
やはり人を傷つけない範囲で、正直に答えた方がよさそうだ。
以上を踏まえて、席を譲ってもらえるときには、妊婦ともそうでないとも取れるアルカイック・スマイルでお礼を言い、辞退することにした。そして「妊婦さんですか?」という質問はごまかしてしまう。
妊婦によく間違われるのは、それだけ周囲を気遣ってくれる人がいるということで、これはとてもありがたい。車内のマナーが低下しているといわれる分、こうした心遣いがより貴重なものに思える。だから、妊婦と間違われる人は気にしないようにしましょう。また、もし席を譲った相手が妊婦でなくても、めげずに自信をもってください!
↑(c) The Smashing Pumpkins "Mellon Collie and the Infinite Sadness", Virgin records america.Inc.1995 | ↑(c) Janson "History of Arts" 4th edition, Prentice hall.Inc.1990 |