隣人のこと
2年近く前、ちょうど同じ時期に隣に越して来られたおじいさんの話です。
このおじいさん、それはそれは働き者で、自宅周辺はおろか共同のゴミ集積所の掃除も欠かさず、はては排水溝までと、毎日せっせと近隣を掃除されています。
近くに公園や森があるため緑が多いのはいいのですが、 風の吹きだまりにもなっており、とにかく散らかることが難点です。 春は桜の花びらが地面に貼り付き、秋は枯葉が際限なく舞い散ります。 今の季節は若葉も花びらも枯葉も(そして野良猫の糞も)......です。
拾っても拾っても風が容赦なく葉っぱを運んできて、箒で掃き溜めても、またすぐに風が舞い上げてしまって元の木阿弥に......。
そんな途方もないタスクに、おじいさんは毎日果敢に挑んでいます。最後の一葉まで見逃すものか、 とその気力はすさまじいものがあります。
実は私も仕事柄「途方もなく思えることに着手する」という点では若干の自信があるのですが、この落ち葉拾いには頭が下がります。がんばっても1円にもならないですし......。
「いつもきれいにしていただいて......」と言うと、 「いくらでも葉っぱが飛んで来ますよってなぁ、ははは」と、おじいさんは関西弁で明るく応えます。
最近は月極駐車場の草取りに精を出しているので、 「また大変なことに取り組まれましたね」と声をかけたところ、 「アザミがおるんですわ。雑草を取り除いてやったら秋にはきれいに咲きますよってに」と言われました。
誰の敷地かわかりませんが、荒れ放題の広い駐車場の草取りは、私が見ても「途方もなく」思えます。それにアザミの葉はとげがあるので、素手での草取りは痛い思いもすることでしょう。
"どうせやっても切りがない"そう思われることでも、日々続けると違ってくるものですね。 暑い日も寒い日も淡々と続けられるおじいさんの努力によって、地域一帯が何となくすがすがしい。 そうなってくると住民達も気をつけるようになります。
しかしそれでも心無い人というのはいるもので、ゴミの日以外にゴミが出ていたり、残飯が散らかっていたり、チューイングガムをそのまま道路に吐き捨てる人もいたり......、そんな例も後を絶ちません。いたちごっこです。そんなときおじいさんは「なんで捨てはるんやろなぁ」と呟きながらも、ヒステリックになることもなく、ただもくもくと掃除を続けます。
おじいさんの掃除には、これ見よがしなところや嫌みなところが全然感じられません。 誰の敷地だとか、誰の当番だとか、そんな狭い了見もないようで、純粋に「きれいにしたい」 「アザミの花を咲かせたい」そう思っておられるようです。 隠居の身で時間があるとはいえ、汚れるし報われないし体力的にも相当きついはず。 なかなかできることではないでしょう。昭和を生き抜いた人は基礎が違うのでしょうか。
また、このおじいさんはただ几帳面というだけではありません。なんというか、人との関わり方というのを実によく心得ているように見受けられます。立ち入り過ぎず、引き過ぎず、相手の出方をよく見ながら、実に微妙で程よい距離を保っているのです。その対応のしかた、滅私奉公の徹底した働きっぷり、立ち居振る舞い、目の輝き......。 「できる、ただ者ではない」ずっとそう思っていました。
さて、そんなある日のこと、ちょっとした立ち話のついでにおじいさんの素性を知ることになりました。 私の勘は予想を超えて大当たりだったようです。詳しくは言えませんが、やはりただ者ではありませんでした。それほどの人がなぜこんなところに?という点でびっくりです。
話によれば、流通業の指導も数多くされてきたようです。「流通は掃除が第一ですよってに。店のまわりが汚くて、どうしてお客さんに来てもらえますか。だから私はいつも、まず掃除しなはれと言い続けてきたんですわ」いつも穏やかで口数少ないおじいさんですが、その話のときだけはキリッと力が入っていました。
......なるほどぉ。そして引退してもなお、日々実践しておられるわけですね。うーむ、本物です。
そんなおじいさんの話に乗っかって「実はうちの会社も5S をやってましてね......」などとつるっと言いかけてみたものの、慌てて話を引っ込めてしまいました。おじいさんの掃除ぶりに照らしたら、我が身が恥ずかしくなったからです。
まだ5月なのに夏日が続く今日この頃、今朝もおじいさんはせっせと葉っぱを拾い、草をむしっておられました。かくいう私は、いつものように心の中で手を合わせつつ出勤したのでした。熱中症にはぜひ気をつけていただきたいものです。
(というか、心配はいいから掃除しろ、ですよね。はい......)