トマトがあれば生きていける(かも)
先週末、実家からトマトが大量に届きました。
毎年夏が来ると、母が「船山農園」というところから買って(というか仕入れて)送ってくれます。
行ったこともなく、どこにあるかもわからない「船山農園」。今どきサイトもありません。
ただ例年「船山農園からトマトが届いたから送るよ」という短いフレーズの中だけで知るまぼろしの農園。そこのトマトが格別においしいのです。
世の中にはもっとおいしいトマトが存在するのかもしれないけど(きっと存在するのだろうけど)、私にとっては最高においしいトマトです。
形が不揃いで、ところどころ皮が傷つき固く盛り上がっていますが、そんなことはまったく気になりません。かえってその素朴さがいい。
今、冷蔵庫の野菜室は丸々赤々なトマトで埋め尽くされていて、あふれたトマトはキッチンのそこかしこに。テレビ朝日の昨年末?新年にかけての企画で、"木村拓哉のトマト生活"というのがありましたが、ちょっとだけあのトマト部屋を彷彿とさせる風情です。
我が家では年間とおしてトマト料理が食卓に上る割合が高く、イタリア人並とまでは言いませんが、日本人としてはかなり消費量が多いほうだと思います。
もっとも、元来トマト好きだったわけではありません。店頭で追熟させる方式の未完熟トマトが流通していた時代は、青臭い味がむしろ苦手でした。私の記憶では、バブル後期あたりから品種改良された完熟トマトが市場に出回るようになって、味が格段に変わってきた気がします。
食卓にトマトが欠かせなくなったのは、その頃からでしょうか。
また、トマトを食べると、「おいしい」幸福感とともに、何とも言えない切なさがよぎります。
理由の1つは、高校の頃、ある事情により数日間絶食をしたことがありましたが、後半、猛烈にトマトが食べたくなったという記憶があるからでしょう。あのときは頭の中がトマト一色で、絶食明けにトマトを口にしたとき、まさに生き返った思いでした。
理由の2つめは、松谷みよこさんの「まちんと」という絵本の思い出。広島で被爆した女の子が「まちんと、まちんと(もうちょっと)」と言いながらトマトを食べつつ亡くなったという話を思い出すからです。
そして3つめの理由は、祖母が最期に食べたがったものもトマトだったということ。
私にとってトマトは、生死の隣にある究極の食べ物なのかもしれません。
さて、2ダース以上はある船山農園のトマト、これがあればこの夏を生きていけそうです。
恥ずかしながら、我が家の食卓をご紹介しましょう。